第六章 黒竜と英雄

第51話 巫女の血


 冬の朝は暗い。

 山に囲まれた盆地の王都では、昼近くにならないと朝陽を見ることが出来ないが、今日のようにちらちらと粉雪が舞う日は、昼になっても薄暗いだろう。


(今日は雪かぁ……)


 刺すような寒さに身を縮めながらエルマが食堂の外へ出て行くと、まだ暗い空の下、ベックが欠伸をかみ殺しながら立っていた。


「おはよう、嬢ちゃん。あんまり眠れなかったみたいだな」

「うん……一睡も出来なかった。もしかして、ベックさんも?」

「まぁ、そんなとこだ」


 二人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべると、近衛府このえふの建物に向かって歩き出した。



 昨日エルマは、近衛府の建物内でサリールにさらわれそうになった。

 たまたま通りかかったセリオスに助けられて無事だったが、心配したマイラムは、ミンツェ王女の希望通り、ベックをエルマの護衛につけた。

 サリールのことを考えると、エルマは今でも震えが走るけれど、どんなに恐ろしくても、彼のことを考えない訳にはいかなかった。


(あの人は、どうしてあたしと話がしたかったんだろう?)

 

 もしもヌーラが見た通りなら、サリールは、普通種ウォロティの竜目石を黒くすすけさせた犯人だ。

 煤けた竜目石は、ハリムの店だけでなく他の店でも見つかった。全部合わせれば十数個ほどあるだろう。いったい、彼は何のためにあんな事をしたのだろう。


 それに、サリールは昨日、ソー老師に会ったことがあると言ったのだ。

 考えても考えても、浮かぶのは疑問ばかりで、エルマは昨夜、一睡も出来なかった。


(そう言えば……あたしの母か祖母がイリスの巫女なのかって聞いてきたけど、どうしてそう思ったんだろう?)


 エルマは無意識に、三つ編みにした白金の髪に触れた。

 この髪色を見れば、誰でもエルマが流民の子だとわかる。だが、エルマと巫女を関連づけるようなものは何もない。


(あたしは、誰の子なんだろう? もしかしたら、あの人が言うように、あたしのお祖母ちゃんはイリスの巫女だったのかな?)


 五十年前。北の大地で起こった戦で、イリス王国は焦土と化した。生き残った人たちは、国境を接する国々に身一つで落ち延び、流民となった。

 どこの国でも流民の待遇は良くないと聞く。エルマを生んだ母親も、きっと育てられない事情があったのだろう。


 幸いなことに、エルマは山の上で暮らしていた時、自分の親のことをあまり考えたことがなかった。それは、ソー老師やアールとの暮らしが楽しかったからだ。

 自分たちの暮らしが一般的な家庭とは違うことや、自分がルース王国民ではなく流民の子だと知ったのも、ずいぶんと後になってからだった。


(品評会で竜目石を黒くした人が、次の日あたしに会いに来た。それは……あたしが巫女の血を引いてると思ったから?)


 出口のわからない迷宮に迷い込んだ旅人のように、エルマは答えの出ない謎をグルグルと考え続ける。


(でも……どうしてそう思ったんだろう?) 



「────嬢ちゃん、竜導師長様のとこに行く前に、黒くなった竜目石を回収しに行くんだよな?」


 ベックにそう問われて、エルマは物思いから覚めた。


「あ、うん。竜導師長様は、飛竜を呼ぶ儀式で忙しいから行けないんだって。その代わり、黒い竜目石を買い取る書状を書いてくれたから大丈夫!」


 エルマは昨日、マイラムに許可をもらって、ハリムから預かった黒い竜目石を布で拭いてみた。何時間もかかったけれど、なんとか元通りの姿に戻すことが出来た。

 これならば、他の竜目石もきれいに出来るのではないか。そう思ったエルマがマイラムに相談した結果、黒くなった竜目石はすべて回収することになった。


「……あっ!」


 迷宮の出口が見えた気がして、エルマは思わず足を止めた。


(そうだ、きっとあの竜目石だ! あの人は、昨日あたしが黒い竜目石を拭いたのを見てたのかも!)


 イリスの巫女は、天空におわす神と交信したと言われている。それ以外に、彼女たちがどんな力を持っていたのかはわからない────けれど、昨日マイラムの執務室で、セリオスとベックも竜目石を拭いてみたが、黒い汚れを取り除けるのはエルマだけだった。


(あたしだけが、黒い竜目石を元に戻せたから?)


 ザワリ────と肌が粟立った。

 竜目石を黒くした人間が、エルマのような存在を快く思うはずがない。


 嫌な予感がした。

 サリールがどんな意図を持って竜目石を黒くしたのかはわからないが、彼が何の意味もなくそんな事をするとは思えない。

 何か良くない事が起こるのではないか。

 冷たい汗がエルマの背筋を伝った。


「ベックさん、急ごう!」


 ベックの袖をつかんで、エルマは走り出した。

  

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