第44話 王の石
「兄上、一杯やりませんか?」
公式の晩餐会が終わり、ようやく公務から解放されたその夜。
アルトゥン王の私室に王弟ユルドゥスが尋ねてきた。手には東方のものらしき酒瓶を抱えている。
「レラン王国の南部の逸品。しかも年代物ですよ!」
「ユルドゥス……」
アルトゥンは呆れ顔で弟を迎え入れた。
王の部屋の扉を守る
一人でゆっくりしたい気分だったが、弟を追い返せないという点では、アルトゥンも近衛士たちと同じだった。
(私にも……ユルドゥスのように人を惹きつける力があったなら……)
アルトゥンは棚に手を伸ばし、気に入りのグラスを二つ取り出す。
そのわずかな時間にアルトゥンの心に浮かんだのは、子供の頃から幾度となく抱いてきた劣等感だった。
「兄上もお疲れでしょう。でも、ミンツェも大人しくエドゥアルド王子を接待していたし、これ以上ゴネることは無いでしょう。一安心、といったところですね」
「ああ。そうだな」
酒の封を切り、器用にコルクを抜くユルドゥスの手元を眺めながら、アルトゥンも頷いた。
「ミンツェは不本意だろうが、国の為にはアズール王国に嫁いでもらわねばならない」
「あの子ももう十六です。わかっていますよ」
トクトクトクトク
琥珀色の液体が、二つのグラスに等分に注がれる。
「まずは、私が毒見を」
ユルドゥスがふざけたように片目をつむって、グラスの中の酒を一気に飲み干す。
「ううん、美味い」
ユルドゥスに続いてアルトゥンもグラスに口をつけた。果実のような甘い香りとは裏腹に、強い蒸留酒がカッと喉を焼く。
「ああ。美味いな。レランの酒か」
美酒を飲みながらユルドゥスの話に耳を傾けるのは、至福のひと時だった。
「ミンツェがアズール王国へ嫁いだら、次はテミルですね」
「そうだな。この冬は、テミルもミンツェと一緒にアズールへ行かせるつもりだが、テミルが戻り次第、許嫁を城へ迎え入れるとしよう」
「それが良いですね。ところで、ミンツェの竜導師になったあの娘はどうするのですか? 共にアズールへ行かせるのですか?」
「あの娘は……ミンツェ付きとしたのはただの名目だ。今はマイラムに預けているのだから、城に残ることになるだろう」
「なるほど。そうですよね」
ユルドゥスは速いペースで酒を飲み干すと、自分のグラスに酒を注ぎ、まだ残っているアルトゥンのグラスにも注ぎ入れる。
「エドゥアルド王子も、自分の飛竜が欲しいと言っていましたね。あの様子なら、近いうちに竜目石を買いに行くかもしれませんよ。あっ、そうだ! 兄上の竜目石! 〈王の石〉を見せてくださいよ。お爺様の竜目石を久しぶりに見てみたいのです」
「うーむ……まぁ、いいだろう」
酒が入っているからだろうか。普段から厳重にしまい込んで誰にも見せないようにしていたアルトゥンが、重い腰を上げた。
「少し待て」
隣にある寝室にアルトゥンが姿を消すと、ユルドゥスは笑みを浮かべて彼のグラスに手を伸ばす。
中指に
ややあって戻って来たアルトゥンは、飾り気のない小さな四角い木箱を手にしていた。
「これがお爺様の竜目石だ」
アルトゥンが木箱のふたを開けると、氷のように透き通った石に青い虹彩が煌めく美しい竜目石が、紫の絹に埋もれるように鎮座していた。
「ああっ、素晴らしい! 幼い頃に見せてもらった記憶はあるのですが、改めて見ても本当に氷のようですね!」
興奮したようにユルドゥスは腰を浮かせた。
アルトゥンから木箱を受け取るなり自分の目の前に持って行き、前から横からじっくりと眺め始める。
「かつての大戦の折に、東国の魔王を封印したという〈氷結の飛竜〉の竜目石だという話は本当ですか?」
「ああ。お爺様はそう言っていたが、本当かどうかは神のみぞ知る、だ」
アルトゥンはグラスに残っていた酒をぐいっと飲み干す。
その途端、くらりと眩暈がした。
「どうされましたか、兄上?」
「いや……一瞬眩暈がしたが、大丈夫だ」
頭を軽く振ると、アルトゥンは弟を安心させるように頷いた。
「きっと、エドゥアルド王子の滞在でお疲れなのですよ。今夜はこれで切り上げましょう。明日の夜はまた別の酒を持ってきますから、東国の話でもしましょう」
「そうだな。そうしよう。エドゥアルド王子の来訪で忘れていたが、東国の情勢は気になっていたのだ。そなたが東国で見たもの、感じたことを聞かせてくれ」
「もちろんです、兄上」
ユルドゥスは手にしていた木箱に蓋をすると、にっこり笑ってアルトゥンに返した。
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