第43話 不穏な会話


「サリールか。どうしたのだ?」


 近付いて来る足音に気づいて、ユルドゥスは竜舎広場へと続く洞窟のような通路の中で振り返った。

 黒マントを翻して近づいてきたサリールは、ユルドゥスの前で立ち止まった。


「あの娘は興味深いですね。ユルドゥス殿下、彼女を私にくれませんか?」

「あの娘とは誰のことだ?」

「王女殿下の竜導師となった娘です」

「ああ、あの子か。あの子には私も話を聞きたいと思っていたが、おまえが興味を持つとは思わなかったな。何があった?」


 ユルドゥスは少しだけ眉をひそめた。

 サリールのことは気に入っているが、自分が目をつけたものを横取りされたような不快感を覚えたのだ。

 そんなユルドゥスの苛立ちに気づいているのか居ないのか、サリールはいつものように、感情のこもらぬ氷のような眼差しで微笑んでいる。


「何か、と言うほどのことはありませんが、あの娘から不思議な力を感じるのです」


「不思議な力? それは魔道のようなものか?」


「ええ。そのようなものです。あの娘の力を詳しく調べるためには、話を聞くくらいでは無理です。殿下のお力で、あの娘を私の手元に置けるようにしてください」


「う……む、今すぐには無理だ。少し待て。私の計画が上手くゆけば、おまえの願いなど容易く叶えてやれるだろう」


「そうですか……では、しばし待つことにしましょう」


 銀髪の竜導師はゆるりと頭を下げると、黒衣を翻して品評会の会場へと戻って行った。



 〇〇



 一つの足音は遠ざかって行き、もう一つの足音だけが竜舎広場に近づいてきた。


「やぁ! 私にも、きみの飛竜を見せてくれないか?」


 いつも通りの笑顔を振りまきながら、ユルドゥスが姿を現した。

 青銀色の飛竜に近づいて行くユルドゥスの後ろ姿を見つめながら、ミンツェは眉をひそめた。


「叔父様だったのね」

「王弟殿下と話をしていたのは、きっと例の竜導師ですわ。間違いありません」


 隣に立つヌーラが小声でピシャリと言い放つ。

 竜舎の壁際で耳を澄ませていたミンツェとヌーラだが、通路の中で彼らが何を話していたのかまでは聞き取ることが出来なかった。

 トンネルのようなあの通路で話をすれば声が反響するのに、彼らの会話は低い音の連なりにしか聞こえなかったのだ。

 ミンツェとヌーラは顔を見合わせると、さり気なく壁際から離れた。


「そう言えば、話の途中だったわね。話してちょうだい。あなたは何を見たの?」


「品評会の会場で、あの男が竜目石に手をかざしているのを見ました。後でその場所を確認したところ、石がすべて煤けたように黒ずんでいました。布で拭いてもその汚れは落ちませんでした。

 普通種ウォロティの竜目石だったようですが、それでも店は大損害です。並べた時は汚れていなかったと、店員の少年も驚いていました」


「彼が……手をかざして、石を黒くしたってこと? まるで黒魔道のようね」

「はい。そうとしか思えない状況でした」


 ヌーラの報告を聞いたミンツェは、無意識に親指の爪を噛んだ。


「叔父様は、そのことを知っていたのかしら? まさか……叔父様がやらせたなんてことは、ないわよね?」

「それは……私には何とも……」

「そうよね。ごめんなさい」


 ミンツェはまた、無意識に爪を噛んだ。

 ユルドゥスは、ミンツェにとっては優しい叔父だ。若く美しく、そして何よりも自由な叔父を、彼女は幼い時から兄のように慕っていた。

 王族という身分に囚われず、自由に飛竜を駆って世界を見聞して回るユルドゥスは、可愛らしい土産物を持ってこの王宮に来る度に、ミンツェに世界の面白い話を語ってくれた────けれど。


⦅叔父上の笑顔を見ると、どういう訳か不安になるな⦆


 兄のテミルがつぶやいた言葉が、ミンツェの心に浮かび上がってくる。

 兄と叔父の関係がギクシャクしていることには気づいていたけれど、それはきっと、男同士の意地の張り合いのようなものなのだと軽く考えていた。


(もしかしてお兄様は、いつもこんな不安を感じていたのかしら?)


 優しい叔父が、愛する家族だと思っていた人が、もしかしたら自分の知らない顔を持っているかも知れない。そう思うだけで情けなくも足元が崩れ、ぽっかりと口を開けた穴から暗闇の中へ落ちてしまいそうな不安に陥る。


 市井しせいの民ならばともかく、ミンツェたち家族はこの国の王族だ。

王弟と王子のギクシャクした関係を軽く見ていたら、足元をすくわれる事にもなりかねない。

 ミンツェがブルッと肩を震わせると、ヌーラが心配そうに声をかけた。


「大丈夫ですか、ミンツェ様?」

「ええ、ヌーラ……このことは、あとでお兄様に相談しましょう」


 ミンツェがそう言うと、ヌーラは何もかも心得たように小さく頷いた。

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