第41話 煤けた竜目石


 近衛府の広場で品評会が始まると、エルマはマイラム竜導師長と一緒に広場の正面、近衛府の建物を背にして広場全体を見回していた。


『私と一緒に品評会に参加して〝共鳴〟している石があったら教えてくれないか? 万が一、私にその光が見えないと困るからな』


 先日、マイラムにそう頼まれたエルマだが、表向きは筆記係のふりをしている。

 最近行った飛竜テュールを空へ解き放つ実験や、飛竜に名を贈る儀式などの試みはエルマが伝えたソー老師の知識だが、表向きはすべてマイラムの発案で行ったことになっている。それがエルマを守るためのマイラムの配慮だということは、一昨日おとといの夜に襲われたことで痛いほどわかった。


 今まで竜導師が行って来た儀式や知識は、ソー老師の教えとはかなり異なる。マイラムは優れたものは貪欲に取り入れる人だが、全ての人がそうとは限らない。

 ソー老師の教えが広まれば、その変化によって様々な不満や不安が巻き起こる。そして、その変化のきっかけを作ったのがエルマだと知られれば、数え切れない不満の捌け口として、エルマが標的にされてしまうだろう。マイラムはそれを防ぐために、エルマに書記係のふりをさせているのだ。


(今までのやり方を変えるって、とっても難しいことなんだなぁ……)


 竜導師長マイラムが良い人だったことは本当に幸運だった。

 彼の為にも〝共鳴の光〟を見逃してはいけないと、エルマは広場の三方に配置された店を順繰りに見渡した。


「あっ」


 凹の字型に配置されたテーブルの右角から、水色の光がキラキラと輝いた。


「おおっ!」


 マイラムからも感嘆の声が漏れた。

 エルマが見上げると、マイラムもエルマを見下ろして笑みを浮かべた。


「水色の光だったな?」

「はい!」

「傍に立っているのは……あれはバヤンだな。メモしておいてくれ」

「はい」


 メモ帳に光の位置と色、竜衛士の名前を書きつけると、エルマはもう一度マイラムを見上げた。広場をまっすぐに見つめるマイラムの視線は相変わらず鋭いが、頬のあたりが少しだけ緩んでいる。


(竜導師長様、もしかして嬉しいのかな?)


 もともと共鳴の光は歓喜に満ちているが、マイラムが喜んでいるのは、きっと自分の目で光を見ることが出来たからだろう。

 エルマも何だか嬉しくなってエヘッと笑った。


「あ、そうだ。竜導師長様にお聞きしたいことがあったんです」

「何だ? 言ってみなさい」


 次の光がなかなか見えないこともあり、視線は広場に向けたままマイラムが耳を傾けてくれた。


「あのっ、実は昨日、アズールから留学されているセリオス様という……あの青い竜目石の方から飛竜テュールのことで質問をされたんです……」


「そういえば、彼はおまえから石を買ったのだったな。で、飛竜の何を聞かれたのだ?」


「あの方の飛竜も竜舎から解き放てるのか、と聞かれました。たぶん、エルの召還を見たのだと思います。解き放つには名を贈る儀式が必要なのか、とも聞かれました。あの方には、石を売る時に共鳴の光の話をしちゃったので、いろいろ気がついてるみたいでした。竜導師長様に聞いてからでないと答えられないって言ったら、それなら訊いてみてくれって」


「なるほど。そこまで気づいているなら下手に隠し立てするのも不自然だが、彼はアズール人だからな……」


「そのことなんですが……」


 エルマは言いかけてから、周りを見回して誰かに聞かれていないか確かめた。


「あの方が、変なことを言ったんです。飛竜テュールのことはアズールの王子には何も喋るなって。喋ったらアズールに連れて行かれるから気をつけろって。変ですよね? 竜導師長様はどう思います?」


「ふーむ。どうやらあの国も一枚岩ではないようだな。彼の言葉を信じるなら、エドゥアルド王子に情報が洩れることは無さそうだが……わかった。私の前で受け答えをするなら許そう。セリオスにはそう言っておいてくれ」


「はい」


 セリオスに会えるは無かったけれど、エルマは取り敢えず頷いておいた。

 アズールの王子の件は、マイラムに話すかどうか寸前まで迷っていたけれど、彼に相談して正解だった。


 心配事が一つ消えてエルマがホッと胸をなで下ろした時、広場が何となくザワザワしはじめた。


「どうしたんだろう?」


 広場に集った人々の様子を注意深く見回していると、イエルが親方に大目玉を喰らっているのが見えた。あの意地悪イエルが何をやらかしたのか、エルマは気になってしまった。


「竜導師長様。ちょっと見てきても良いですか?」

「何かあったようだな。私も行こう」

「はい!」


 エルマとマイラムが竜の谷村の竜導師ハリムのテーブルに近づいて行くと、半泣きのイエルがテーブルの上から竜目石を移動させていた。

 どうしたのか聞きたかったが、イエルにも親方のハリムにも気安く声をかけられるエルマではない。迷っているとマイラムが一歩前へ出た。


「その石を見せてくれないかね」

「と、とんでもねぇです! お城の竜導師長様に見せられるもんじゃありません!」


 ハリムが慌ててマイラムの向かいに立つ。


「いや、竜目石に何か異変が起きているのなら、私にはそれを調べる義務がある。何なら言い値で買い取るが?」


「め、滅相もございません! 黒ずんだ普通種ウォロティの竜目石です。こんなもので良ければいくらでも献上いたします!」


 ハリムは黒い竜目石を一つ手に取ると、羊毛布フエルトで包んでマイラムに手渡した。

 マイラムは受け取った竜目石を包まれた羊毛布でこすってみるが、黒い汚れは落ちる気配もない。


「何かわかったら知らせよう」


 マイラムはそう言って踵を返した。

 ぺこぺこと頭を下げてマイラムを見送るハリムとイエルを、エルマはチラリと横目で見ながらマイラムの後を速足でついて行く。


「おまえも見てみるか?」


 羊毛布フエルトに包まれた竜目石をひょいと手渡され、エルマは歩きながらじっくりと眺めてみた。

 普通種ウォロティの竜目石は、もともとは灰色がベースの石だが、渡されたものは石の表面が斑に黒くなっている。指で触ってみても表面に汚れがこびり付いている感じはしなかったのだが────。


「あれ?」


 こすっているうちに少しだけ黒い汚れが取れてきた。


「エルマ!」


 マイラムの鋭い声と共に、エルマの手の中から竜目石が消えた。マイラムに取り上げられてしまったのだ。


「不用意な真似をするな!」


 小さな声で叱責され、エルマは首を縮めた。


「すみません!」

「いや、大丈夫だ。誰にも見られてはいないだろう」


 マイラムはサッと辺りを見回してそう判断したのだが、行きかう人波の間からこちらを見ている者がいたことに気づくことは出来なかった。

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