第38話 アールの行く道



 昨夜降り出した雪は、翌朝になっても、昼を過ぎても降りやまず、外の景色を一面の銀世界に変えた。


 エルマは竜導師長室で時々窓の外を眺めながら、本や書類の整理をしていた。

 一方マイラムは、新人竜衛士カールの〝名を贈る儀式〟の実験が成功してから、すっかりご機嫌だ。次は誰に名を贈らせようかと、執務机の前で竜衛士の名簿を見ながら、ああでもないこうでもないと独り言を呟いている。


「あのぉ、竜導師長様?」

「何だエルマ? 何か名案でも浮かんだか?」

「い、いいえ。ちょっとだけ、あの、気になることがあるんです」


 エルマは昨夜のことが頭から離れない。エルマに乱暴を働いた男たちは、王女の竜舎係が仕事を失ったと言っていた。それが本当のことなのか確かめたくて、思わずマイラムに声をかけてしまったのだ。


 誰だって仕事を失うのは嫌だ。仕事が無ければ、日々の糧を得ることも出来なくなってしまう。

 もしも全ての竜衛士が名を贈り、飛竜を空に解き放てば、すべての竜舎係たちが仕事を失ってしまう。そうなれば、彼らは今まで通りの生活を送ることが出来なくなってしまうのだ。


「何だ、言ってみなさい」


 マイラムが名簿を机に置いて姿勢を正したので、エルマも作業を中断して執務机の前に進んだ。


「名を贈る実験が成功したら、竜舎係の人たちはいらなくなってしまうのでしょうか? 昨日の夜、そう言って怒っていた人たちがいたのです」


「ああ、そんなことを気にしていたのか。大丈夫だ。全ての飛竜を解き放つ訳ではない。私が竜衛士たちに名を贈らせようとしているのは、ひとえに飛竜と竜衛士の関係改善が目的なのだ」


 マイラムの言葉を聞いて、エルマはポカンとした。


「そうなのですか?」


「ああ。もちろん非番の者は自由にすればいいが、勤務中の竜衛士の飛竜は今まで通り竜舎に留め置くつもりだ。まぁ足枷は必要なくなるかも知れんがな。……だが、そうか。この所のたび重なる実験で、不安を覚えた者もいるだろう。そのことは改めて私からよく周知しておくが……もしや、その者らに直接何か言われたのか?」


 マイラムが心配そうに眉をひそめ、エルマを見返してくる。


「い、いえ。大丈夫です」


 エルマは咄嗟に嘘をついた。昨夜のことを話せば、マイラムはエルマの為に怒ってくれるだろう。でもそれは、更なる反感を生んでしまうような気がした。


「そうか。竜舎係の仕事はなくならない。心配しないように」

「はい」


 頷いて仕事に戻ろうとするエルマを、マイラムは引き留めた。


「そうだエルマ。明日の品評会だが、おまえは私と一緒に参加して〝共鳴〟している石があったら教えてくれないか?」

「はい。それは構いませんが」


 エルマは首をひねった。共鳴の光は、竜導師ならば誰でも見えるはずだ。


「万が一、私にその光が見えないと困るからな」


 マイラムはエルマの疑問を察したのか、そう言って自嘲気味な笑みを浮かべた。


「私はなぁエルマ。今まで自分が学んできた色々なことが、信用できなくなっているのだよ。ソー老師の教えはそれほど衝撃的だった。彼が考え、実践してきたことを、もっと知りたくなってもいる。何か、彼が書き残したものがあれば良いのだが」


「書き残したものですか? アールに聞けば、何か知っているかも知れません」


「アールか。〈雲竜堂うんりゅうどう〉の店主だな。なるほど、彼ならば知っているだろう。ソー老師がおまえに教えた知識や、イリス王国の始祖を描いた神話や歴史についての書物も受け継いでいるかも知れん。……彼の国が滅びてもう五十年だ。赤き炎の竜を操る魔王のせいで、イリスは町も大地もすべてが焼き払われ、今は荒涼とした砂漠になってしまった」


 エルマは「そうですね」と頷いた。


「……ソー老師はあまり話したくないみたいでしたけど、五十年前の戦争に参加したと、ちょっとだけ聞いたことがあります」


「そうか。ご存命中にお会いしたかったよ」


 マイラムは机の上で両手を組み合わせ、しみじみと言う。


 今まで考えたことはなかったけれど、ソー老師はどうして山の中でひっそりと暮らしていたのだろう。他の竜導師たちとは異なるやり方をしていたせいで、疎まれたりしたのだろうか。でも、マイラムのようにソー老師の教えを必要としてくれる人はいる。それとも、エルマの知らない理由があったのだろうか。


 エルマが黙考していると、竜導師長室の扉が唐突に開いた。


「お邪魔するよ」


 そう言って入って来たのは白髪に白髭のシシルと、アールだった。


「シシル殿! それにアールも! ちょうど今、きみの話をしていた所だよアール。ソー老師の教えを紙に記したものがあったら教えてくれないか? 出来れば写させてほしいのだが」


「書物……ですか?」


 アールは面食らったのか、目をぱちぱちと瞬かせている。


「山小屋を閉めた時、ソー老師の遺品は全て持って来たのですが……書物と言えるようなものは一つも無かったと思います」


「紙切れのような物でもいいのだが? 私が知りたいのはソー老師の教えなのだからね」


 マイラムは縋るような目で問いかけたが、アールは首を振る。マイラムの言う紙切れは、市井ではとてつもなく高価なものだ。たまにしか売れない竜目石の代金で暮らしていたエルマたちに、おいそれと手に入れられるものではない。


「ソー老師の教えは、わしとて知りたいものじゃが……今日はマイラムにお願いがあって来たのじゃ」


「改まって私にお願いとは、いったい何なのですか、シシル殿?」


 マイラムは執務机から立ち上がり、シシルたちを長椅子の方へいざなった。


「エルマが村に戻れないと聞いたよ。アールに何とか出来ないかと頼まれたが、その話を覆すことが難しいのはわしにもわかる。

 そこでじゃ。わしはこのアールを弟子にすることにした。むろん、竜導師としてではない。わしもこの年だ。飛竜テュールにも乗れんしあちこち旅するのも体が堪える。アールにはわしの使いとしてあちこち行ってもらうことにしたのだ。

 この城にも出入りできるよう、身分を証明する鑑札をアールに与えてはくれないだろうか?」


 シシルの言葉に、エルマとマイラムはポカンとしてしまった。


「アールが……シシル様の弟子に? どこか、遠くへ行ってしまうの?」


 エルマは急に不安になった。

 自分は帰れなくても、竜の谷村へ行けばアールが居る。そんな当たり前のことがエルマの心を支えていたのに。それが崩れ去ってしまうと、まるで故郷そのものがこの地上から消えてなくなってしまうような、心の拠り所を失ってしまうような、そんな気分になってしまった。


「エルマ。おまえが村に帰れないとすれば、俺は誰の石を研磨すればいいんだ?」

「あ……」


 アールの問いかけにエルマは息を呑んだ。彼は腕の良い研磨師だ。でも、竜の谷村の竜導師たちには、それぞれ自前の研磨師がいる。


「アールがいったん城の外へ出てしまえば、いくら家族でもそう簡単に会うことは出来なくなる。じゃが、このマイラムが、アールをわしの代理人と認める鑑札をくれれば、アールはわしの使いとしていつでもこの城に入ることが出来る。おまえさんにも会いに行けるんじゃよ」


 シシルはそう言って、くしゃりと笑った。


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