第37話 流民いじめ
「アール、今日も来なかったなぁ」
はぁ~とため息をついて、エルマは立ち上がった。
夜が更けた食堂の中は食事をしている人もまばらで、カーラたち食堂の給仕係は最後の片付けを始めている。
これ以上ここに居座ってもたぶんアールは来ない。ほんの少しでもいいから話がしたかったのだけれど、品評会を目前に控えてきっと彼も忙しいのだろう。
遅番の給仕係に迷惑をかけたくないので、エルマは食器を返して食堂の外へ出た。
外はちらちらと粉雪が舞っていた。
「わぁ、雪だ」
エルマは思わず手を伸ばした。手や服に舞い落ちた粉雪の中には、美しい結晶の形をしたものが混ざっている。それが食堂の灯りに照らされてキラキラと光っているのだ。
山に比べて王都はあまり雪が降らないので、本当に久しぶりの雪だった。
雪に見とれていたエルマは、いつの間にか数人の男に囲まれていた。
食堂の灯りがあるとはいえ、他の建物からは少し離れている。薄暗がりの中に立つ見知らぬ男たちに気づいたエルマは、ぞくりと体を震わせた。
「流民の小娘が、どうやって竜導師長さまに取り入ったんだ? 女のくせに竜導師見習いの少年服なんか着やがって」
「そもそもおまえが来てから、おかしな事ばかり起こるんだよ!」
「そうだそうだ! 王女様の竜舎係になった奴だってガッカリしてたぜ! おまえのせいで仕事がなくなったってな!」
「そ……それは」
エルマは反論できなかった。竜舎係のことまで考えていなかったこともあるが、大人の男たちに囲まれ非難されていることが、単純に恐ろしかった。
「流民のくせに大きな顔してんじゃねぇよ!」
背後にいた男が、エルマの足を蹴りつけた。痛みと衝撃でガクンと膝をつく。
(ああ……これが流民に対する扱いなんだ)
今まではソー老師やアールがエルマを守ってくれていたけれど、これからは、一人でこういう仕打ちに耐えなければならないのだ。
誰かがエルマの髪をつかんで引っ張った。
バランスを失って雪の中に倒れ込んだエルマを、男たちが蹴る。
エルマは両手で頭を抱え、出来るだけ体を小さくした。
「何をしている! やめろ!」
誰かの声がして、男たちの攻撃が止んだ。彼らは何事か言い合った後、ドタバタと走り去って行ったが、エルマは縮こまったまま動くことが出来なかった。
「大丈夫か?」
突然、力強い手で引き起こされた。
エルマが恐る恐る顔を上げると、雪の中に片膝をついたバハルが心配そうな顔でエルマを見下ろしていた。
「……バハルさん?」
「怪我はないか? ずいぶん蹴られていたようだが」
バハルは雪まみれになったエルマの髪や顔を、その大きな手で払ってくれている。
彼には以前も助けられた。イエルのせいでくしゃくしゃになった髪を結いなおしてもらったりもした。
こんな時なのに、無造作に触れてくるバハルの手がとても恥ずかしい。
エルマはもぞもぞ動いて彼の手から逃れようとした。
「あの、だ、大丈夫です」
蹴られた場所は服で隠れた場所だ。青痣にはなっているかも知れないが、手当てをするような怪我はしていないはずだ。
「そうか。ならいいが……あまり遅い時間に一人で出歩くな」
「はい。ありがとうございました」
エルマはぺこりとお辞儀をして、雪の中を去ってゆくバハルを見送った。
(はぁ~、よかった。バハルさんに嫌われたわけじゃなかったんだ)
エル召還の時、ユルドゥス殿下と一緒に現れたバハルがエルマを見るなり視線を逸らせたことがずっと気になっていた。嫌われたのかも知れないと思うと、何故だかすごく悲しかった。
ホッとしたのと嬉しさで、バハルの姿が見えなくなっても、エルマはボーっとしたまま食堂の前に立っていた。
「まるでヒーローみたいね。あんた、この前あの上級衛士に髪を結ってもらってたでしょ?」
ふいに後ろから声をかけられて、エルマは飛び上がるように振り返った。
「カーラさん! ええっ、見てたんですか? あの時はイエルにいじめられて!」
「知ってる。あんたと同じ村から来た子でしょ。嫌なヤツよね。あれからあたし、あいつの皿には料理少なめに盛るようにしてるの」
「えっ?」
カーラの意外な告白に驚いた。でも、何だか味方が増えたような気がして胸がほっこりと温かくなった。
「さ、早く宿舎に帰りましょう。寒くて仕方がないわ」
「そうですね」
エルマはカーラと連れ立って宿舎へ向かった。体はあちこち痛かったが、バハルとカーラのおかげで心は温かかった。
「────ちっ」
さらさらと舞い落ちる雪の音に混じって、舌打ちの音がした。
下級衛士の食堂を見渡せる回廊に、セリオスが佇んでいた。
彼は談話室で不穏な会話を耳にしてから、ずっとエルマの姿を探していた。
もともと、彼女には
そう思いながらあちこち探してようやく見つけたのは、バハルという男がエルマを助けに入った時だった。
(よけいな真似を)
バハルが現れなければ、自分がエルマを助けて恩を売れたのに。そうすれば、いろいろと話を聞きだすことも出来ただろう。
「ちっ」
セリオスはもう一度舌打ちをした。
この城に、自分以外にもエルマを気遣う者がいることが、何だか気に喰わなかった。
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