第36話 名を贈る儀式



「────エルマ、おまえは何も喋らずに私の後ろに控えていろ。ベックも良いな? これは私が考えた実験だ。今の段階でソー老師の教えが他の者達に漏れれば、近衛府このえふは必ず混乱する。それを未然に防ぐため、全ての検証が終わるまでソー老師の教えも、それをもたらしたエルマのことも秘匿する。

 王女様の飛竜の件でエルマの存在は既に知られてしまっているが、今日の名を贈る儀式から先、エルマのこともソー老師のことも誰にも話してはならぬ。これはエルマ、おまえを守る為でもあるのだ」


「……はい」


 エルマは神妙にうなずいた。

 ベックはエルマの横で何やらブツブツ言っていたが、マイラムが「流民」を匂わせる発言をすると、仕方なさそうにうなずいた。


「嬢ちゃんのためなら仕方がない。竜導師長様の言う通りにするよ」



飛竜との関係が良い竜衛士』という条件で、ベックと近衛府長官ガルムが共に名を上げたのは、カールという十六歳の新人竜衛士だった。


 ベックと違って、貴族のカールは軍学校を卒業している。なので、見習いをすっ飛ばしてこの春正式に竜衛士となった。地位だけで言えばベックよりも上ということになるが、本人はいたって礼儀正しく年上のベックと接している。



「本当に、僕で大丈夫でしょうか?」


 カールは両手を揉み絞りながら、不安そうな目でベックとマイラムを交互に見ている。

 竜舎係を遠ざけた竜舎の中にはエルマたち四人の他に、灰色の体に緑のたてがみを持つ普通種ウォロティの飛竜が一頭いるだけだ。


 エルマはマイラムの後ろに立ち、筆記係として手に持ったノートに気づいたことを書き記している。


(カールさんって、ちょっと気弱な感じの人だなぁ)


 自信無さげなカールに、エルマは思わず同情してしまう。近頃やっと慣れてきたとは言え、エルマも初めてマイラムに会った頃はあの厳つい顔がとっても怖かった。


「大丈夫だって! 俺の次に飛竜と仲が良いのはおまえだ。おまえがダメなら他の奴らだってみーんなダメだ。てか、この実験はダメ元でやってるんだから、そう緊張すんなって!」


 ベックがカールの背中をバシッと叩きながら励ますと、カールはうつむいたまま両の拳をグッと握った。


「わ、わかりました。やってみます!」


 竜舎の床、飛竜の足元には、東西南北を示す守り石が四角く置かれている。契約の儀式に使う陣の形に、竜導師長が直々に置いた石だ。

 カールは、その陣の中に一歩足を踏み入れると、狭い竜舎の中に窮屈そうに座る灰色と緑の飛竜を見上げた。


 体の大きさに比べ、竜舎はとても狭い。近衛府には何頭もの飛竜がいるから、どうしても狭い場所に押し込めることになってしまう。そのことを、カールはいつも申し訳なく思っていた。


「ヤズ……」


 声をかけ、両手を伸ばすと、いつもは不快そうに唸るだけだった飛竜が、不思議そうな顔でカールを見下ろした。


「僕の名前はカールだ。どうか受け取っておくれ」


 今にも消えてしまいそうな小さな声だったが、カールの言葉を聞いた飛竜の瞳が大きく見開かれた。



 〇     〇



 近衛府このえふには、主に竜衛士りゅうえじが集まる談話室がある。

 特別竜衛士のセリオスが談話室に入ってゆくと、そこはいつになくザワザワとした雰囲気に包まれていた。


(何だろう……まだ飛竜テュールの召還が尾を引いているのか?)


 ベックが飛竜を空に解き放ち、必要な時だけ呼び戻すようになってから、竜衛士たちの間には波紋が広がりはじめた。

 ベックのように自分の飛竜を空に解き放ちたい者。

 今まで通りのやり方が良いと主張する者。

 この談話室には入れないが、失職の危機に青ざめる竜舎係たちの間にも波紋が広がっている。


 男たちの不満や不安が陽炎のように立ち昇り、室内の空気をザワリとするものに変えていた。


 セリオスはゆっくりと周りを観察しながら、部屋の奥にある暖炉に近づいた。

 赤々と燃える火のそばには、竜衛士たちが勝手に飲めるように常時お茶の入ったポットが温められている。


 セリオスは並べて置かれたカップをひとつ手に取り、さりげなくポットのお茶を注ぎ入れながら、近くの長椅子に座って額を突き合わせた竜衛士たちの会話に耳を澄ませた。


「カールの奴、竜導師長さまに呼ばれた時はオドオドしてたくせに、帰ってきたらニッコニコしやがってよぉ!」


「名を贈ったって言ってたけど、どういう事なんだ?」


「竜導師長さまの実験とか言ってたぞ。奴が上手くいったら竜衛士全員でやるんじゃないか?」


「どうしてその実験に奴が選ばれるんだよ?」


「ああそれ、ベックが言ってたぜ。飛竜テュールとの関係が良い奴を選んだって」


「関係って……」


 竜衛士たちはそこで押し黙った。全員が中堅より下の若い竜衛士たちだ。彼らは押しべて飛竜と関係が悪い。


(なるほど。名を贈る……か)


 セリオスの脳裏に浮かんだのはエルマの顔だった。


(〈雲竜堂うんりゅうどう〉で竜目石を買った時、あの娘は竜を呼ぶのは自分でも出来ると言っていた。ベックの飛竜を呼んだのも、王女の飛竜を呼んだのも、あの娘に違いない。とすると……)


 セリオスの黙考は、竜衛士たちの声で中断された。


「……なぁ、この所やけに実験が多くないか?」


「ああ。竜導師長さまが、例の流民の従者を連れ歩くようになってからだよな?」


「俺、竜舎係たちが話してるの聞いたんだ。あの流民の娘が、王女様の飛竜を竜舎に繋ぐことを反対したんだってさ。やつら相当頭に来てたみたいだぜ。あの娘のせいで自分たちが職を失うかも知れないって。まぁ、俺もあんな小娘をのさばらせるのは良くないと思うがな」


 竜衛士たちは意地悪そうな笑みを浮かべて笑い合った。


 セリオスは暖炉の前から移動した。

 カップに注いだお茶を飲み干し、使用済みのカップをトレーの上に乗せると、足早に談話室を後にした。


(冗談ではないぞ。あの娘にはまだまだ聞きたいことがあるんだ。竜衛士や竜舎係の面子メンツなんかの為に、あの娘を潰されてたまるものか!)



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