第31話 ミンツェの報告
「エルマ。エルマ?」
飛竜とベックをぼんやり眺めていたエルマは、ヌーラの声でハッと我に返った。
ミンツェとヌーラが、エルマのすぐ傍に立っていた。
「すみません」と頭を下げてから見上げると、ミンツェの表情がひどく硬いことに気がついた。彼女の飛竜を解き放つ件で、何か気になる事でもあるのだろうか。
「あの、王女様?」
エルマが窺うように首を傾げると、ヌーラがいきなりエルマの手をつかんで引っ張った。まるで人目を避けるように連れて行かれたのは広場の片隅だ。
「あ、あのっ、どうかなさったのですか? シャルクのことですか?」
エルマが二人の顔を交互に見ると、ヌーラは困ったような顔でミンツェに視線を向けた。
「ミンツェ様……」
「わかってるから、ヌーラは黙ってて。エルマ!」
「は、はいっ!」
ミンツェの鋭い声に、エルマはピシッと背筋を伸ばした。
「シャルクは、竜舎係に命じてすぐに解き放つわ。でも、その話じゃないの。エルマ。あなたには、いろいろ無理を言って協力してもらったわね。とても感謝しているし、シャルクと契約したことは少しの後悔もしていないわ。でも、残念ながら、私の計画は失敗だったの。嫌われるはずだったのに、私はあの小島で、アズールのエドゥアルド王子に求婚されたわ。私から断ることは出来ない。私がアズールに行く事は、正式に決定してしまったの。あなたに、それを伝えておきたかったの」
「そんな……」
エルマは返す言葉が見つからなかった。
「ああ、そんな顔しなくてもいいのよ。私は、やれるだけのことはやった。例えそれが逆効果だったとしても、後悔はしてないわ。協力してくれてありがとう」
胸を反らしたまま、ミンツェは感謝の言葉を口にしたが、その顔に笑顔はない。
エルマは何も言えず、唇を噛んだまま深々と頭を下げた。
(なんて気高い人だろう)
自分のような者にまで、きちんとお礼をいってくれる。そんな気高い王女様でも、自分の望まぬ婚姻から逃れることが出来なかったのだ。
エルマは認めてもらえた嬉しさよりも、ミンツェの力になれなかった無力さに打ちひしがれた。
「ミンツェ。その子がきみの竜導師かい? 私にも紹介してくれないか?」
良く通る声に振り向くと、白い毛皮の外套を着た青年がこちらに近寄って来るところだった。
彼の後ろには二人の青年がつき従っている。黒いマントを纏った長い銀髪の青年と、上級衛士の制服を着た青年だ。
エルマは上級衛士の青年を見て目を丸くした。
(あれ、バハルさん?)
エルマが彼を認識した瞬間、スッと視線を逸らされた。
(あっ……あたしと知り合いだって、知られたくないのかな?)
エルマはほんの少し寂しい気持ちになったが、隣にいたヌーラが「ユルドゥス王弟殿下よ」と囁いてきたので、慌ててユルドゥスの方へ視線を移した。
ゆるい巻き毛を首元でまとめたユルドゥスは、気品に溢れた美丈夫だった。王弟というよりは、ミンツェの兄と言ってもいいくらい若く美しい。
「叔父様ったら、エルマを見に来たの? ええそう。この子が私の竜導師、エルマよ。エルマ、この方は私の叔父上のユルドゥス王弟殿下よ」
「エルマと申します」
ミンツェに紹介されて、エルマはユルドゥスにお辞儀をした。
ユルドゥスは興味深げにエルマを見下ろしていたが、すぐに目を細めてフッと笑った。
「きみが飛竜を解き放つよう提案したって本当かい? 年は幾つ?」
「えっと……年が明けたら十四になります」
「へぇ驚いたな。まだ十三か。こんなに若くして
ユルドゥスが振り返ると、後ろに立っていた銀髪の青年が一歩前に出た。
「お会いできて光栄です。私はサリールと申します。ご縁があってユルドゥス殿下の竜導師をしております」
サリールが胸に手を当てて一礼すると、先ほどから感じていた濃厚な甘い匂いが強さを増した。
(この香水、王弟殿下じゃなくてこの人がつけてたんだ)
礼を返しながらエルマは眉をひそめた。
目の端に映るミンツェとヌーラも苦しそうな顔をしていることから、むせ返るような香水の匂いに辟易しているのはエルマだけではないらしい。
(んん?)
不快なほど強い香水の匂いにまじって、何か得体の知れない匂いを感じた。
見た目は女性のように美しいのに、何故だか恐ろしく感じるのは、その匂いのせいだろうか。
「もっときみの話を聞きたいな。ミンツェ、きみの竜導師殿を少し借りてもいいかい?」
ユルドゥスがそう言った時、エルマの体に戦慄が走った。体が竦んで、氷に閉じ込められたように動けない。
「いくら叔父様でも、エルマは貸せなくてよ」
「冷たいなぁ。仕方ない、今日のところは引き下がるとするか」
ユルドゥスはがっかりしたように肩をすくめたが、すぐに華やかな笑みを浮かべ、二人の青年を従えて去って行った。
(ああ……よかったぁ)
金縛りが解け、エルマはホッと胸をなでおろした。
もしもミンツェが断ってくれなかったらと思うとゾッとする。
こんな事は失礼過ぎて誰にも言えないが、あの銀髪の青年と目が合ったとき、エルマは死神に見つめられたような気がしたのだった。
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