第四章 ソー老師の教え

第30話 エル召還



「ああエルマ。おまえにこれを」


 翌朝、エルマが竜導師長室に入ると、マイラムが厳めしい顔をしたままオイデオイデと手招きをした。


「なんでしょうか?」


 ととと、と執務机の前まで駆け寄ると、マイラムは机の上にあった深緑色の布を持ち上げて、エルマの方へ差し出した。


「おまえに竜導師のマントを与える」

「えっ?」


 差し出された布を何となく受け取ったエルマは、マイラムの言葉にびっくりして、手にしたマントを落としそうになった。


「あわわわっ」


 何とか床に落ちずに済んだものの、深緑色の布はエルマの手からこぼれてフワリと広がった。たっぷりとした厚手の布はフードがついているだけで袖はない。確かにマントのようだった。


 必死に抱えなおしてエルマが顔を上げると、マイラムが困ったような顔で見下ろしていた。


「今日の正午、ベックの飛竜テュールを呼び戻す。困ったことに……その話がどこかから漏れたようなのだ。高貴な方々が見学にいらっしゃる。そのマントはおまえが竜導師だと示すためのものだ。今後も、今日のような特別な日にはマントを纏うことになる。大切に保管しておきなさい」


「は、はい」


「それからこれは、普段も使って良い」


 ぽふっと頭に乗せられたのは、深緑色の毛氈フェルトで出来たベレー帽だ。


「あ、ありがとうございます!」


 エルマは片手で帽子を押さえ、もう片方の手で深緑色のマントをぎゅっと抱きしめた。



 〇     〇



 正午前。

 近衛府このえふの広場には、非番の竜衛士に加え、高貴な方々が早くも集まって来ていた。


 王弟ユルドゥス。テミル王子とアズールのエドゥアルド王子。もちろんミンツェ王女も来ている。ベックの飛竜召還が成功すれば、ミンツェは自分の飛竜を空に放つことになっているので、彼女が一番の当事者と言える。


 広場の一画には王族用に風よけの天幕が張られていたが、そこで待つ者は一人もいなかった。彼らは暖かな毛皮の外套を纏い、広場に立ったまま側近の者たちと談笑している。


 エルマは深緑色のマントと帽子を身に着けて、同じマント姿のマイラムと並んでベックの前に立っていた。


「正午には少し早いが、殿下方をあまりお待たせするのは良くない。ベック、そろそろ呼び戻せ」

「わかりました。そんじゃ呼びますよ。名前を呼べばいいんスよね?」


 ベックは、マイラムとその隣に立つエルマを見比べる。


「はい。ソー老師はそうしていました」

「よっしゃー! じゃあ、いきますよ!」


 ベックは飛竜の発着場になっている広場の中央に進み出た。


「エル! 仕事の時間だ! 戻って来てくれ!」


 ベックが空に向かって両手を広げ、大声で叫ぶ。談笑していた人々は口を噤んで空を見上げた。


 シンと静まった近衛府の広場。青く晴れた空に、何かが見えた。

 初めは豆粒のようだった何かは、やがて大きくなり、灰色の体に金のたてがみを持つ飛竜の姿になった。

 不思議なことに、その飛竜は山の影から現れたのでも、雲の間から現れたのでもない。青空の中から突然現れたので、その場に集まった者達はみな息を呑んで固まっている。


(飛竜が神の道を通れることも、ここではあまり知られていないんだなぁ)


 王宮の常識と、ソー老師の教えとの間には大きな隔たりがある。そのことを、エルマは改めて感じていた。


 ケェー ケェー


 飛竜のエルが嬉しそうな鳴き声を上げながら、ゆっくりとベックの元へ舞い下りてくる。

 わぁーっと歓声が上がる中、ベックは着陸した金色の飛竜に駆け寄り、飛びつくように抱きついた。


 ホッとするエルマの肩を、マイラムがポンと叩いた。


「おまえの勝ちだ。王女様の飛竜は空に解き放つことになるだろう。午後からは勉強会だ。おまえの師の教えと我らの常識の違いを、しっかりと確認する必要がある。遅れるなよ」

「はい!」


 王女様の飛竜 シャルク を足枷のある竜舎から自由に出来ることが嬉しくて、エルマは破顔した。


 王宮に来てから感じていた心許ない気持ち────自分のような子供が何を言っても認めてもらえないという不安はいつの間にか消え失せ、ソー老師の教えは正しかったのだという誇らしさで胸がいっぱいになった。

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