第29話 長い一日の終わりに


(なんて長い一日だったんだろう)


 食堂へ向かう渡り廊下で足を止め、エルマは山の向こうに消えてゆく夕日の残光をぼんやりと眺めた。


 まだ明けきらぬ早朝にミンツェ王女の飛竜テュールを呼び出してから、あまりにも様々なことが起こり、エルマの未来は大きく変わってしまった。

 正直、まだ気持ちが追いついて来ない。


 エルマはふわふわした足取りで食堂へ行き、夕食を持って窓際の席に座った。

 アールはまだ来ておらず、エルマは先に夕飯をいただくことにした。

 今日の献立は、野菜の汁物に淡水魚のバター焼きだ。下級衛士の食堂ではめったに出ないご馳走なのに、疲れているせいかあまり味を感じなかった。


(今日のことを、アールにどう話せばいいんだろう?)


 アールがここへ来れば、エルマが竜導師見習いのくすんだ緑の少年服を着ていることに気づく。

 勘の鋭い彼のことだ。何があったのか大方の予想がついてしまうだろう。


(村には帰れないって、ちゃんと話せるかな?)


 不安なままエルマが夕食を食べ終わっても、まだアールは姿を現さない。


「どうしたんだろう?」


 ポツリとつぶやいた時、エルマの顔に影が差した。


「────誰かを待っているのか?」


 聞き覚えのある声に、エルマはパッと顔を上げた。

 テーブルの傍らに立っていたのは上級衛士のバハルだった。彼には、先日イエルにいじめられているところを助けてもらったばかりだが、彼の方から声をかけてくれるとは思ってもみなかった。


「はい。兄弟子のアールを……」


 答えながらエルマは首を傾げた。

 バハルはいつも怖い顔をしているが、今日はさらに暗い顔をしている。


「あの、何かご用でしょうか?」

「いや。また今度でいい」


 バハルは軽く首を振ると、素早く踵を返してカウンターの方へ行ってしまった。


(どうしたんだろう?)


 バハルの後ろ姿を見送っていると、彼と入れ違うようにアールがやって来た。


「エルマ」

「アール、遅かったね……」


 エルマの言葉は尻つぼみになって消えてゆく。

 夕食のお盆を置いてエルマの向かいに座ったアールが、眉間にしわを寄せ、深刻そうな表情を浮かべていたからだ。


「ベックから話は聞いた。大変だったな」


「そっか、今日のこと、ベックさんから聞いたんだ」


 エルマはホッとした半面、本当なら自分の口から話すべき事だったのに、とモヤモヤした気持ちになった。


「ああ。ベックのせいでいろいろ面倒に巻き込まれて、王女様の竜導師になったんだって?」


「うん……あたし、村には帰れないみたい」


 そう言った途端、エルマの瞳からぽろっと涙が溢れた。


「あ、でもね、あたし、やりたいことが出来たの。お城の飛竜を助けてあげたいの。だって、お城の飛竜は鎖で繋がれてるんだよ。ソーじいちゃんが教えてくれたことと全然違うの。だから、あたし……」


 エルマが言葉を詰まらせると、アールの大きな手が頭を優しくなでてくれた。


「エルマ、大丈夫だ。おまえを一人にはしない。俺に考えがある。だから心配するな」


 アールは懐から出した手拭いをエルマの顔に押しつけた。


「考えって?」

「ソー老師の知り合いが、いま王宮に滞在しているんだ。彼に頼んでみようと思う」


 アールは驚くほど優しい口調だ。頭を撫でてくれる大きな手も、いつもより優しく感じる。その手の温かさを噛みしめているうちに、エルマは少しずつ冷静さを取り戻した。


(いつまでもアールに頼ってちゃダメだ。あたしも独り立ちしないと)


 エルマは膝に置いた手をぎゅっと握りしめると、アールの顔を見上げて首を振った。


「あたしは大丈夫だよ、アール。もうそろそろ独り立ちしないとって思ってたし、もしかしたら、ちゃんとした竜導師になれるかも知れない。あたし、ここでやってみるよ」




 拾い子のエルマが王都に来たことで、運命の輪が廻り始めた。

 赤い竜目石とは何なのか?

 王弟ユルドゥスとサリールの怪しい動きは何を示しているのか?

 ミンツェに求婚するアズールの王子の思惑とは?

 貴竜種エウレンの石が割られる事件が解決せぬまま、竜目石の品評会が迫っていた。

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