第28話 竜導師サリール


「ユルドゥス様! サリール殿が到着されました!」


 今まさに、近衛府このえふの広場に足を踏み入れようとしているユルドゥスの姿を見つけたバハルは、普段よりも大きな声で彼に呼びかけた。


 ユルドゥスが向かおうとしていた四角い広場には、竜衛士りゅうえじに手を振りながら、小走りに近衛府の建物へ戻ってゆく金髪の娘がいる。

 ユルドゥスが彼女に興味を持っていることは知っていたが、バハルは咄嗟に彼の邪魔をした。


「タイミング悪いぞバハル! せっかくあの娘に声をかけようとしていたのに。マイラム竜導師長の預かりになってしまったから、なかなか声をかける好機がないんだぞ」


 いつのも優雅さを捨てて、ユルドゥスは不快感を露わにする。

 バハルは無表情のままそれを受け流した。


「あの娘を尋問したところで、ユルドゥス様に有益なことなど聞き出せはしませんよ。それよりも、サリール殿をあまりお待たせしない方がよろしいのでは?」


「わかったよ」


 ユルドゥスはフンと鼻を鳴らして踵を返した。



 サリールは、ユルドゥスが個人的に召し抱えた竜導師だ。

 東方諸国を漫遊していた時に知り合った東方人で、長い銀髪に緑の瞳をもつなかなかの美青年だ。


 竜導師としての腕はもちろん、彼の麗しい容姿もユルドゥスは気に入っているらしい。文句があるとすれば、香水の匂いがきついことくらいだろう。

 案の定、王宮内のユルドゥスの部屋の前は、扉を開ける前から彼の香水の匂いが充満していた。


「相変わらずだなサリール。部屋の外まで匂いがするぞ。香水は仄かに香るくらいが良いのに」


 鼻筋にしわを寄せ、苦笑を浮かべながらユルドゥスが入室すると、サリールは長椅子から立ち上がり優雅に腰を折った。部屋の中だというのに、魔導士のような黒マントを身に着けたままだ。


「有名な白鳥城にお招きいただき光栄です。ユルドゥス殿下」


 香水の件は見事にスルーして、サリールは緑の瞳を細める。


「さすが飛竜テュールの国ですね。こんなにたくさんの貴竜種エウレンがいる場所など、世界中探してもこのルース王国くらいでしょう。それに、何やら懐かしい気配が致します」


 フッと目を細めたサリールの微笑を見て、バハルはうなじの辺りがゾクリとした。

 ユルドゥスはサリールを気に入っているが、バハルは初めて会った時から彼のことが苦手だった。今は嫌いを通り越しておぞましくさえ感じている。


(この男の禍々しさに、なぜユルドゥス様は気づかないのだろう?)


 旅の途中で出会ったサリールを、ユルドゥスはそのまま旅に同行させた。

 その日から、ユルドゥスは頻繁に人払いをして、サリールと話し込むことが多くなった。

 従者のバハルでさえ控えの間へ追い出す徹底ぶりで、壁ひとつ隔てた部屋でバハルがどんなに耳をそばだてても、彼らの会話を聞くことは出来なかった。


(サリールのせいでユルドゥス様は変わられた。元々あったあの方の不満に、サリールがつけ込んだに違いない)


 大切な主が間違った道を進もうとしていることに気づきながら、バハルはそれを止めることが出来ない。それどころか、彼に命じられるまま手助けをするしかない立場だ。


「バハル。火酒を入れたお茶を。サリールもそれで良いか?」

「お気遣いなく」

「かしこまりました」


 バハルは一礼すると、暖炉脇のテーブルに侍女が用意しておいてくれたティーセットで茶を淹れた。二つのカップに入れた赤い茶に、琥珀色の火酒を一匙ほど入れる。湯気とともに火酒の強い酒気がふわりと立ち昇る。


「どうぞ」


 ローテーブルにカップを置きながら、バハルは二人の会話に耳を澄ました。


「この王宮で、貴竜種エウレンの竜目石が次々と割れているらしいよ」


「ほぉ、まるで東方諸国のようですね」


「王は、竜を失った竜衛士のために竜目石の品評会を開くつもりだ。まぁ、本当は内々の会のはずだったんだけどね。アズールの王子のせいで王家の行事になってしまったよ」


「なるほど。それはまた好都合な……」


 相槌を打っていたサリールが、急に悪戯を思いついた子供のような顔をした。

 お盆を抱えたまま主の後ろに立っていたバハルは、ゾクリと体を震わせた。


「バハル。おまえはもう下がって良いよ。そろそろ夕食の時間だろう? 私とサリールは侍女に何か持ってこさせるから、行っておいで」


 ユルドゥスは優しげにそう言うが、バハルを追い出したいのが本音なのだろう。胸の奥がキリッと痛むが、何でもない顔で伺いを立てる。


「では、侍女を呼びましょうか?」


「いや。まだいい。それより、おまえはいつも下級衛士の食堂へ行くのだったな? もしもあの娘と知り合いになれたら、私の所へ連れて来てくれ。頼んだよ」


 ユルドゥスはにこやかに笑いながら、とんでもない命を下す。

 バハルが既にエルマと言葉を交わしたことを知っている訳ではない。たぶん、同じ流民の子ならば知り合うきっかけがあるだろうと思っているだけだ。


(嫌だな)


 バハルは眉をひそめた。

 妹よりも幼いあの娘を巻き込みたくはない。

 そう思うのに、否と言うことは出来ない。


「……かしこまりました」


 バハルは深々と頭を下げた。



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