第27話 名を与えて縛る術


 遅い朝食を終えた後、エルマは近衛府このえふのマイラム竜導師長のもとを訪れた。

 そこでエルマに与えられた仕事は、ミンツェ王女の飛竜テュール、シャルクの世話だった。


 王族用の竜舎は、一般の竜衛士りゅうえじが使う竜舎とは別の敷地にある。もちろん竜舎の造りも立派だ。

 マイラムに連れられてエルマが王族用の竜舎へ行くと、薄緑色の飛竜が羽をばたつかせていた。どうも様子がおかしい。


「こら、大人しくしろ!」

「おいっ、鎖が千切れそうだぞっ!」


 竜舎係の男が二人、必死にシャルクをなだめようとしている。

 エルマの横でマイラムが盛大なため息をついた。


「ここに連れて来てからあの調子なんだ。おまえが呼び出した飛竜だ、大人しくさせろ」

「大人しくって……」


 エルマは呆然とシャルクの足元を見つめた。

 飛竜の片方の足には、太い鎖のついた木の枷がついている。


「どうして飛竜を鎖でつないでいるんですか? シャルク、怒ってます。放してあげてください」


 薄緑色の飛竜のまわりにはピリピリとした空気が漂っていて、シャルクがすごく怒っているのが伝わって来る。


「どうしてだと? 何を言っているんだ。竜舎にいる飛竜テュールをつなぐのは常識だろう。事故を防ぐ意味でも放し飼いなどとんでもないことだ。そんなことも知らんのか?」


 マイラムは太い眉をよせて、ジロリとエルマを睨んだ。


「でも……ソー老師はいつも、用のある時だけ飛竜を呼んでました。お客さんにもそう言ってました。飛竜は神の道を通れるから、どんなに遠くに居ても、名前を呼べばすぐに来てくれるって」


「何だそれは。聞いたこともないぞ」


「でも、そのための契約じゃないんですか? だって……それじゃ……王女様が飛竜に乗れない時は、ずっとここに繋がれたままってことですよね? もし王女様がずっと飛竜に乗らなかったら、シャルクはずっと飛べないじゃないですか!」


 飛竜が自由を奪われ、飛ぶことも出来ない可能性に気づいて、エルマは愕然とした。そして、飛竜は家畜ではなく空の兄弟なのだと教えてくれたソー老師の言葉が、ここでは全く通用しないことも思い知った。


「とにかく、この飛竜テュールを何とかしろ。話はそれからだ」


 マイラムは眉をよせたままそう言った。


(あたしが何を言ってもだめなんだ。竜導師でもないただの子供が、何を言っても……)


 仕方なく、エルマはシャルクに近寄って行った。腰の引けていた竜舎係と入れ替わるようにシャルクの前に立つと、ゆっくりと両手を伸ばした。


「ごめんね、シャルク。みんなにわかってもらえるようにちゃんと話すから、もう少しだけ待っていてくれないかな?」


 エルマの伸ばした手にシャルクがゆっくりと首を下げ、顔を寄せて来る。碧玉のようなシャルクの瞳を見つめると、がっかりしたようなシャルクの気持ちが伝わって来た。


「うん。ごめんね。ありがと」


 エルマが離れてゆくと、薄緑色の飛竜シャルクはその場にドシンと座り込み、長い首を背中の方へ曲げて、そのまま目をつむってしまった。


「な、なんだこりゃ」

「あの娘はいったい……」


 二人の竜舎係は目を丸くしてエルマを見送った。



 〇     〇



 コンコン、と遠慮がちに竜導師長室の扉が叩かれた。

 小さく開いた扉からは、これまた遠慮がちに男の顔が現れた。ボサボサ頭に無精ひげを生やしたベックだ。


「あの、こちらに行くように言われたんスけど」


 ポリポリと頭を掻きながら部屋に入って来たベックは、大きな机の向こうに座る竜導師長にひょいと頭を下げてから、その斜め前に立つエルマの姿を見つけて目を丸くした。


「おう! 嬢ちゃんじゃねぇか。新しいお小姓かと思ったぜ」


 いつも通りの軽口を叩いたベックに、マイラムもエルマも難しい顔をしたままニコリともしない。


「ベック、おまえを呼んだのはひとつ頼みがあるからだ」


 組んだ両手を机の上に置いて、重々しい口調でマイラムが口を開いた。


「頼み、と言いますと?」


「おまえの飛竜テュールはエルマが呼び出したのだったな。エルマの言葉が真実ならば、おまえの飛竜は空に解き放っても呼び戻すことが出来るはずだ。ひとつ、実験をさせてくれないか?」


「エルを……空に? いや、まあ、やれと言われればやりますが」


 ベックはぽかんとしたまま首を傾ける。


「実は我々の間で、飛竜テュールとの契約の在り方について、意見が対立しているんだ」


 マイラムはため息をつくと、四角い顔を天井に向けた。


「私は、初めて竜導師のもとに弟子入りした十四の時から、近衛府の竜導師長となった今まで、飛竜との契約は  なのだと認識していた。

 契約とは竜導師と飛竜の目に見えぬ戦いなのだと。それゆえ、力のない竜導師が強大な力を持つ飛竜を呼び出せば、竜導師が命を失うこともあるのだと、そう思っていた。

 私だけではない。竜導師ギルドに登録している竜導師はすべて、私と同じ考えのはずだ」


 マイラムはそこまで言うと、天井を仰いでいた目をエルマに向けた。


「だがこの娘は、そのやり方は間違っていると言うのだ。契約とは人と飛竜の仲介に過ぎず、太古からの盟約に従って飛竜が人を助けることなのだと。人と飛竜は対等の相棒ということになってはいるが、ほとんどは飛竜の好意によるものだそうだ」


「はぁ……」


 ベックは頭を掻きながらマイラムの説明を聞いていたが、ようやく合点がいったとでも言うように深くうなずいた。


「なぁるほど、そういう事だったんスか。俺も何だか変だとは思ってたんスよ。なんつーか、ほかの飛竜はしじゅう緊張してるみたいで、俺とエルみたいに仲良しじゃない。とにかく雰囲気悪いなって思ってたんスよ。なるほどなぁ」


 ベックは腕を組んでうんうんとうなずいている。


「で、嬢ちゃんは、飛竜を繋いだりせずに空に放せって言ってるんですね?」

「そうだ」

「俺がエルを空に放てば、嬢ちゃんの言い分が確かめられるってことですね?」

「今日中に空に放ち、明日のおまえの警備時間までに呼び戻すことが出来ればな」


「なるほど。そんじゃ、すぐに放して明日の正午に呼び戻しましょう。竜導師長さまもご覧になりますよね?」

「もちろんだ。空に放つ時も、呼び戻す時も、私の目で確認する!」

「なら、すぐに行きましょう!」


 マイラムを誘ったベックは、エルマに向かってニヤリと笑いかけた。

 すぐに近衛府の竜舎に向かった三人は、その場に居合わせた竜舎係や竜衛士の見守る中、灰色の体に金のたてがみが美しいベックの飛竜を空へ解き放った。


 足枷を外され自由に飛び立ったエルは、嬉しそうにクエーと鳴きながら城の上空を旋回してから、白い雪に覆われた高山の方へ飛び去って行った。




 竜導師長が部屋に戻り、まわりにいた野次馬たちも仕事に戻ってしまってから、エルマはベックの袖を引っ張った。


「ベックさん。あの、ありがとう」


「なぁに、お安い御用だ。嬢ちゃんにはいろいろと迷惑をかけたからな。アールにも散々文句を言われたし、この辺で恩返ししとかないとな」


 ベックはそう言って、エルマの頭をクシャッと撫でた。


「このままだと、王女様の飛竜がずっと飛べないと思って……」


「ああ、そうだよな。俺たちは毎日飛べるが、王女様じゃあそういう訳にもいかないだろうからな」


「うん」


「偉いな、嬢ちゃん。明日エルが戻って来て、王女様がうんと言えば、シャルクも自由に飛べるようになるさ」


 ベックはもう一度エルマの頭をクシャクシャっと撫でると、「じゃあ明日な」と言って仕事に戻って行った。



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