第18話 隠し事
その日の夜。
食堂の仕事を終えて、夕食のお盆を手にアールの待つテーブルに向かいながら、エルマはどんよりと重たい心を持て余していた。
耳に残るのはミンツェ王女の声。
『エルマ、この計画が無事に終わるまで、あなたは誰にもこの話をしてはいけないわ』
そう、強い口調で言われた。
エルマだって誰にも話すつもりはない。いや、話したくても話せる訳がないのだ。
ミンツェ王女の手助けをするのは嫌じゃない。けれど、そうすると、きっとアールに迷惑をかけてしまう。
「ベックに会っても知らんぷりしろよ」とアールが言ったのは、エルマが面倒なことに巻き込まれないようにと心配してくれたからだ。
そんなアールに、王女さまの無謀な計画などとても話せない。自分のせいでアールが悩んだり悲しんだりする姿は見たくない。
(アールは、ソーじいちゃんからあたしの事を頼まれてるから……)
いつだったか、まだソー老師が元気で、冬の間だけ村に下りて暮らしていた時のことだ。村の悪ガキたちがエルマを追いかけ回していじめたことがあった。
髪を引っ張られているエルマを見たアールが、悪ガキたちをコテンパンに伸してしまったのだ。
大人たちに止められた後も、アールは怖い目をしたままだった。ふだん静かなアールしか知らなかったエルマは、とても驚いたし怖かった。
ソー老師に連れられて家に戻ったあとも、アールは夕飯を食べに来なかった。
呼びに行っても部屋は空っぽで、心配になったエルマはアールの姿をあちこち探し回ったあと、店の研磨台のそばにうずくまっているアールを見つけた。
『アール、ご飯だよ』
声をかけてもアールは顔を上げなかった。
エルマは困ってあれこれ考えたけれど、アールにかける言葉は見つからなかった。結局、口から出たのはお礼の言葉だった。
『アール。今日は……助けてくれてありがとね』
『……べつに、あたり前の事をしただけだ』
アールは顔を上げたけれど、まだ暗い目をしていた。
『あのね、あたしは大丈夫だから、もうケンカしないでね』
自分のせいで、アールが村の人たちに嫌われるんじゃないかと心配だった。
アールはわずかに表情を緩めると、エルマの髪をそっとなでた。
『そんな心配するな。いじめる方が悪いんだからな。それに、俺はソー老師からおまえの事を頼まれてるんだ』
アールはもうケンカはしないとは言わなかったけれど、それからアールのいる所でエルマをいじめる子供はいなくなった。
「どうした、食べないのか?」
匙を持ったまま物思いにふけっていると、アールの指先がそっとエルマの頬に触れた。
はっと我に返って上を向くと、アールの黒い瞳がじっとエルマを見つめていた。
「え、ああ、食べるよ。なんかぼーっとしちゃった。疲れたのかな?」
あはは、と笑って汁物の椀を手に取っても、アールはじっと目を離さない。
エルマは汁を一口飲んだ。汁に浮かんだ野菜を匙ですくって口に入れても、全然味がしなかった。
「ベックに会ったのか?」
アールの勘の良さに、エルマはビクッとした。
「ああ……うん、そうなの。ベックさんたらね、喋っちゃったこと全然気にしてないんだよ。もう嫌になっちゃう」
無理やり笑顔を作ってみるが、頬がピクピク引きつってしまう。
「そうか。今度あいつに会ったら、俺からも文句を言っておく。おまえはもう気にするな」
「う、うん」
アールに隠し事をするのはとても嫌な気分だ。大好きな人を裏切っているような、申し訳ない気持ちで一杯になる。
そのせいか、その夜はよく眠れなかった。
二段組みの寝台がたくさん置かれた部屋の中に、給仕係の少女たちの寝息が聞こえ始めても、エルマはなかなか眠くならなかった。
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