第17話 王女の依頼


 ヌーラに連れられて、エルマは三つ目の城壁をくぐり、王宮の中央に建つ白亜の城の中へ入って行った。


 ピカピカに光る白大理石の廊下を歩き、同じく白大理石の階段を上がる。

 見たことのない美しい調度品に囲まれた三階の部屋にたどり着く頃には、エルマの頭は混乱しすぎて目が回りそうだった。


「その子が、飛竜テュールを呼べるっていう娘なの?」


 白い大理石の床に座り込んだエルマを見下ろしたのは、艶のある黒髪に色白の肌をした美しい少女だった。裾の長い淡い朱色の衣の上から、白い毛皮の肩布をかけている。大きな黒い瞳は黒曜石のように光っていて、意志の強そうな人だった。


「はい、ミンツェ王女様。エルマという給仕係です」


 後ろからヌーラの声が降って来る。エルマは慌てて後ろを向くと、ヌーラの顔を仰いだ。


「こちらはルース王国の王女ミンツェ様よ。あなたの話を聞きたいのは王女様だから、正直にお答えしなさい」


 エルマの頭からサッと血の気が引いた。座り込んだ姿勢のまま、大慌てで両手をついて頭を下げる。


「そーゆーの、いらないから。顔を上げてちょうだいエルマ」


 ミンツェは不敵な笑みを浮かべて、顔を上げたエルマを見つめた。


「あなた、飛竜を呼べるというのは本当なの? ヌーラは、あなたと衛士が話しているのを聞いたと言うのだけれど」


 ミンツェの言葉を聞いて、エルマの頭の中は真っ白になった。

 ベックとの会話を聞いていた侍女はヌーラだったのだ。あの話を聞かれてしまったなら、エルマがここで誤魔化してもきっと無駄だろう。


(だからベックさん、声が大きいんだよ……)


 エルマはうなだれて、小さく息を吐いた。


「……はい、王女さま」


 観念して正直に答えた。

 どんな罰を受けるのだろうかとビクビクしていると、降って来たのは嬉しそうな声だった。


「すごいわ! なら、私の飛竜も呼べるって事よね?」

「へ?」


 思いがけない反応にエルマが目を丸くすると、ミンツェはエルマの手を取って豪華な錦織の長椅子に座らせた。そして跳ねるように自分もエルマの隣に座る。


「あなたは、私の竜目石を使って飛竜を呼べる。間違いないわね?」

「は、はい。でもあたし、竜導師の資格は無いんです」

「そんなの関係ないわ。出来るか出来ないかが重要なのよ」

「はぁ……」


 何だかおかしなことになってきたぞ、とエルマは自分の手を握りしめているミンツェを上目づかいに見つめた。


「ねぇ、エルマ。私の頼みを聞いてくれない? みんなに内緒で、私の飛竜を呼んで欲しいの」


「内緒で、ですか? ちゃんとした竜導師には頼めないんですか?」


「そうなの。あなたには特別に全部話してあげるわ」


 ミンツェ王女は急に笑顔を引っ込めると、目を細めて深刻そうに眉をよせた。


「私には、勝手に決められた婚約者がいるの。アズールの第一王子で次期国王のエドゥアルド王子よ。会ったことはないけれど、その人にたくさんの妻がいるのは知ってる。アズールは一夫多妻制の国なのよ。もちろん、国の為なら知らない人の所へ嫁ぐことも王女の義務だと思っているわ。でも、どうしても、一夫多妻制の国は嫌なの!」


 ミンツェは眉を寄せたまま言葉を続ける。


「私の気持ちがどうあれ、こちらからは断れないわ。だからどうしても、私はエドゥアルド王子に嫌われなくちゃならないのよ。飛竜に乗って飛べば、私が大人しい姫君でないことがわかるでしょ? 王子はきっと、この結婚話をなかったことにしたくなるわ」


 そう言ったミンツェの表情が、わずかに陰った。


「でもね、この国の王族で飛竜に乗っているのは、ユルドゥス叔父上しかいないのよ。王族は危険なことをしてはいけないの。飛竜の国の王族なのに可笑しいでしょ? だから私が飛竜に乗りたいと言ってもダメなの。そういう訳で、あなたの協力がどうしても必要なのよ」


 はじめは冷静だったミンツェ王女の言葉は次第に熱を帯びていた。


「お茶をどうぞ、ミンツェ様。エルマもどうぞ」


 白磁の茶器がテーブルに置かれた。ヌーラが淹れてくれたらしい。


「ありがとう」


 ミンツェは気分を変えるようにフゥと一息ついてから、テーブルの上の器を手に取った。

 王女が湯気の立つ熱いお茶をひと口飲んでいる間、エルマは呆気にとられたように口を開いたままだった。


「ね、どう思う? エルマだったら我慢できる?」


 真っすぐなミンツェの問いかけに、エルマは遠慮がちに「いいえ」と答えた。

 王族という雲の上の人たちは、きっと平民よりも幸せなんだと思っていたけれど、王女様には王女様なりの苦労があるらしい。


 ミンツェ王女の悩みに比べれば大したことではないが、エルマもジャズグルから十六で結婚しないといけないと言われた時は、何だか嫌な気持ちになった。


「そうでしょ! どう、協力してくれる?」

「はい……でも」


 エルマは言葉を濁した。アールの顔が心に浮かんでいた。


「あたしが飛竜を呼んだりしたら、罰せられないでしょうか? 竜導師の資格がない者が飛竜を呼ぶことは禁じられていると聞きました。それに、女の人は竜導師になれないとも……」


 ミンツェの手伝いをすれば、きっとエルマのした事は知れ渡ってしまうだろう。もしもアールや村の人たちにまで迷惑をかけることになってしまったら──。

 エルマがそんな心の内をすべて話すと、ミンツェとヌールは顔を見合わせた。


「ええと、あなたは、食堂の給仕係じゃないの?」


「はい。品評会が終わるまで食堂で働くように言われましたが、竜の谷村の者です」


「そうだったの……でも、女は竜導師になれないっていうのはおかしいわ。私はそういう差別は嫌いよ。大丈夫。あなたが罰せられたりしないように、私が必ず守るから」


 そう言ったミンツェ王女はとても凛々しくて、エルマは思わず見惚れてしまった。


(この方は、あたしが流民の子だということも、きっと気にしておられないんだ)


 エルマは家族や友達以外の人に、生まれて初めて公平に扱われた気がした。しかもこの国の王女様にだ。

 エルマの心は、パッと花が咲いたように明るくなった。


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