第12話 王宮の食堂


 ひとりポツンと残されたエルマは、ホッとしたような、納得のいかないような複雑な思いのまま椅子に座っていた。


「嘘なんて……ついてないのに!」


 あの二人の老人は、エルマが飛竜テュールを呼んだことを信じようとしなかった。自分の力はもちろん、ソー老師から受けたすべての教えを否定されたような気がした。


「この、モヤモヤァっとした気持ちは、何なんだろう?」


 ポツリとつぶやいた時、影が差した。

 顔を上げると、見知らぬ少女が腰に手をあててエルマを見下ろしていた。きれいな黒髪を結い上げた、白い前掛けをした少女だ。ぱっちりとした大きな目をしているが、エルマを見下ろすその目は鋭い。


「ねぇ、今日から食堂の手伝いに入る子って、アンタなの?」

「え、あの……たぶん」


 鋭い目で上から下まで眺められたエルマは、しどろもどろになった。


「何よ、はっきりしない子ね。それに……なんか小汚いわね」


 少女は自分のあごに手をかけて、さらにエルマを検分する。


「このままじゃ食堂の仕事はさせられないわ。ったく! 王女さま探しに人手を持ってかれて、今日はめちゃくちゃ人手不足なのよ。猫の手でも借りたいのよ。とにかく、急いで風呂に入って着替えてもらうわよ。アンタ、名前は?」


「エ、エルマです」

「そう。あたしはカーラよ。早くいらっしゃい!」

「は、はいっ!」


 カーラの剣幕に押されて、エルマは慌てて背嚢はいのうを担ぎ上げた。



 〇     〇



 秋の午後は、井戸の釣瓶つるべを落とすように素早く陽が沈んでゆく。

 山の影に太陽が消えた途端、盆地のアイレには瞬く間に夜がやって来るのだ。


 ランプの火が灯った食堂には、衛士たちが交代で食事に来る。そのほとんどが下級衛士のようで、各自お盆を持って列に並び、給仕係が器によそった煮物や汁物やパンなどをお盆に乗せて席へ持って行く。


 丸芋の皮むきから始まったエルマの仕事は、今や佳境に入っていた。

 使った食器を下げて洗ったかと思えば、すぐにその食器を種類別に分けて鍋係の元へ持って行く。エルマが用意した器はすぐに料理を盛られ、並んでいるたくさんの衛士たちが次々と取ってゆく。


 やって来る衛士の数が少なくなりピークが過ぎ去ったと思った頃、カーラがやって来た。


「エルマ! 交代で休憩に入るから、アンタは鍋係と交代して汁物を担当して。入れる分量を間違えないでよ!」


 仕事中のカーラは口調が荒い。


「はい!」


 鍋係のおばさんと交代したエルマは、大きな鍋の前に立った。白い陶器の器に細心の注意を払って同じ分量の汁を入れてゆく。汁に入っている小さな包子ポーズは一人三個だ。


 エルマが鍋係になった途端、長テーブルに乗せた汁物の器が次々と無くなってゆく。ピークが過ぎたとはいえ、汁物をよそうことに慣れていないエルマではなかなか追いつけない。

 よそった汁物の器を長テーブルに置こうとしたとき、誰かの手が器を受け取った。


「エルマ、大丈夫か?」


 アールだ。いつも無表情なその顔を曇らせて、エルマを見つめている。


「アール! よかった、会えないかと思った!」


 ツンと目頭が熱くなって泣きそうになったとき、別の顔がアールの前にしゃしゃり出た。


「早くしろよ、のろまなエルマ! ずいぶんといい仕事見つけたじゃないか。おまえにはお似合いだぜ!」


 意地悪なイエルの顔を見て、エルマの涙は一瞬で引っ込んだ。さっさと汁をよそって長テーブルに置く。


「待ってるから。ゆっくりでいいからな」


 アールはそう言って列から離れてゆく。エルマは頷くのが精一杯で、またすぐ次の器を手に取った。



 戻って来た鍋係のおばさんとエルマが交代したのは、ずいぶん食堂が閑散とし始めた頃だった。


「ご苦労さん。今日はもういいよ。ゆっくり食べといで」


 カーラに食事の乗ったお盆を手渡されて、エルマは食堂の中を見回した。周りに誰もいない窓際の席にアールの姿を見つけると、エルマはお盆を持って駆け出した。


「アールぅ」


 半泣きになって席に座ったエルマを見て、アールは神妙な顔をした。


「大変だったな。まさかこんな事になると知っていたら、おまえを連れて来なかったんだが……」


「い、嫌だよ。ソーじいちゃんが死んで二人だけになっちゃったのに、アールとも別れるなんて! そりゃあ……品評会の手伝いが出来ないのは寂しいけど、ここに居れば毎日会えるし、お留守番よりずっといいよ!」


 エルマは必死に主張した。この王都から村まで一人で帰れなんてアールが言うはずないのに、そう言われるのが怖かった。


「そうだな。確かに、ここに居ればおまえの無事を確認できる」


 アールもうなずいた。


「うん。偉そうなおじいさんたちにベックさんのこと聞かれた時は焦ったけど、あたしみたいな子供が飛竜テュールを呼べるわけ無いって、勝手に納得してたよ。なんかフクザツだったけどね」


 首を傾げてにっこり笑うエルマを、アールは静かに見つめ返した。


「ああ。とにかく、ベックに会っても知らんぷりしろよ。ここは人が多い。誰かに聞かれて困るような話はしない方がいい」


「うん、わかってる」


 安心したら猛烈にお腹が空いて、エルマはお盆に乗った料理を食べ始めた。見たこともない白いパンに、白い生地の包子ポーズは、驚くほど美味しかった。


「村で食べてるそば粉の包子とは全然違うね!」


 顔を上げてアールの方を見ると、見たことのない表情をしたアールと目が合った。


「どうしたの?」


「いや、ずっと思ってたんだが、それはこの食堂の服なのか? みんな同じ服装をしているが……」


「うん。そうだって。食堂は清潔じゃないとダメだからって、地下にある温泉も使わせてくれたんだよ。髪もカーラさんが結ってくれたんだけど……変かな?」


 きれいに結い上げた髪は白い帽子に覆われ、青い衣に白い前掛けをしたエルマは、不安そうにアールを見上げた。

 小さい頃は、いつもアールがエルマの三つ編みを編んでくれていた。今でもエルマの髪や服装を指摘するのはアールの役目だ。


「いや……なんか。おまえ、ちゃんと女の子に見えるぞ」

「へ?」


 眉をひそめて見返すと、アールは大真面目な顔をして頷いている。


「あはっ、あはは……」


 アールにとっては褒め言葉のつもりなのだろうが、あまり嬉しくない。

 二十歳をとうに超えたアールがいつまで経っても結婚できない理由が、何となくわかったような気がした。

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