第二章 王都アイレ
第10話 じゃじゃ馬姫
ルース王国は大陸の北西に位置する、高山に囲まれた山岳王国だ。
横に長い国土の八割は山地だが、王都アイレは青い湖の畔に開けた緑豊かな盆地にある。
青い湖に浮かぶ中島には、白大理石をふんだんに使った白亜の王宮があり、その美しさから白鳥城と呼ばれている。
最果ての地にあることから、他国からは田舎の山国と軽んじられているルース王国だが、この王宮だけは一服の絵画に例えられるほど美しい。
王都アイレの白亜の王宮に、隣国アズールのエドゥアルド王子一行がやって来た。新年を迎える祭りよりもかなり早い到着だった。
立派な
〇〇
「ようこそルース王国へ。山越えの旅でお疲れではありませんか、エドゥアルド殿下?」
アルトゥン王をはじめ、ルース王国の重臣たちが並ぶ王の間に入ると、エドゥアルド王子は優雅に一礼をした。
しっとりと艶のある真っすぐな黒髪が、サラサラと肩から滑り落ちる。
「いいえ陛下。初めてのルース訪問は、見るものすべてが美しく、とても良い旅でした。国境の峠が雪に閉ざされる前にと思い、早めに来てしまいました。どうかお許しください」
「歓迎いたします。どうぞゆっくりと滞在なさって下さい」
「ありがとうございます」
エドゥアルドはホッとしたようにもう一度頭を下げた。
南国人らしい彫りの深い顔立ちに浅黒い肌をしたエドゥアルドは、アズール国の色でもある青灰色の瞳で王の間に集まった人々を見回した。
女性のようにも見える美しい顔立ちをした彼の視線が通りすぎた場所からは、ホゥと、女たちのため息が聞こえて来る。それほど彼は、見る者を魅了する美しさを持った青年だった。
エドゥアルドは、壁際に跪く男たちに目を止めた。すると、その中のひとりが顔を上げた。エドゥアルドと同じアズール人らしい艶のある黒髪と青灰色の瞳を持つ青年が、軽く会釈をする。
エドゥアルドは目を細めて満足そうに青年に頷き返すと、再び王に向き直った。
「陛下。この度は、我が国からの留学生を受け入れてくださって、誠にありがとうございました」
アルトゥン王は表情を和らげた。
「ああ、彼には特別竜衛士として近衛府の仕事をしてもらっています。思う存分、
「良かったなセリオス。そなたの幼いころからの夢が叶ったな」
エドゥアルドは跪く青年に視線を戻した。
「はい、ありがとうございます」
セリオスは跪いたまま礼を言う。
「ところで、私の婚約者殿はどこでしょうか? 早く会いたいのですが」
エドゥアルドの言葉に王の間はざわめいた。
アルトゥン王が困ったように視線をさ迷わせていると、王の横から雪豹の上着を身に纏った男が一歩前に進み出た。王弟ユルドゥスだ。
「わが姪っ子は、恥ずかしがって隠れてしまったのですよ。いま探させていますから、それまでお茶でもいかがですか?」
ユルドゥスは美青年のエドゥアルドに対抗するように、魅惑的な笑みを浮かべながら中央に歩み寄る。
「こんな無粋な王の間ではなく、湖の見える優雅な広間へ行きましょう」
ユルドゥスは、侍従や女官たちに指示を出しながらエドゥアルドを別室に誘っている。
年の離れた弟の背中を眺めながら、アルトゥン王はホッとしたように息を吐いた。
ユルドゥスはルース王国の〈西の太守〉なのだが、好奇心が強く、ひと所にじっとしていることが苦手だ。見聞を広めるためと言っては諸外国を旅して回り、帰ってくればその報告だと言って何日も王宮に滞在する。
今回も東方諸国漫遊の旅から帰ったばかりだが、今は彼がいてくれて良かったと思うアルトゥンだった。
〇 〇
「姫さまー、姫さまどこですかー?」
王宮のあちこちから聞こえてくる侍女たちの声がうるさくなってくると、ミンツェ王女はそおっと隠れ場所から身を乗り出した。
王宮の中庭を右往左往する侍女たちの姿が、豆粒よりも小さく見える。
「だーれが出て行ってあげるものですか」
手入れの行き届いた艶のある黒髪を首の後ろで束ね、細身のチュニックに男物のズボンを履いた王女。ミンツェは王宮の屋根の上に潜んでいた。
物見の塔よりも高い位置にあるこの場所は、すぐ横にある塔の影になっている。しかもこの塔は久しく使われていないので、隠れるには絶好の場所だった。
自分を探す大勢の侍女たちや、王である父に迷惑をかけている事はわかってはいたが、自分の意志とは関係なく決められた婚約者に会う事など、ミンツェにはどうしても出来なかった。
「いつまでそこにいるつもりだい? その恰好じゃ寒いだろ」
「え、テミル兄さま?」
ミンツェは思わず叫びそうになって、両手で口を押えた。
誰も来ないだろうと思っていた塔のてっぺん。ミンツェの居場所を易々と見つけ出したのは、二歳年上の兄テミルだった。
「いくら嫌でも、エドゥアルド王子の滞在中、ずっと逃げ回っている訳にはいかないだろ。一緒に行ってやるから、早く下りておいで」
「い……嫌よっ!」
ミンツェは激しく首を振った。
「ミンツェ、わがまま言うんじゃない。アズールのエドゥアルド王子はなかなか凛々しい王子だよ。会えばミンツェもきっと気に入る」
テミルの言葉を聞いたミンツェは、ぎりっと下唇を噛んだ。
「お兄さま、私は相手が凛々しいとか凛々しくないとかなんて気にしてないの。アズールに嫁ぐのが嫌なのよ。だって、あの国はルースと違って一夫多妻なのよ。何人もの妃がいる人に嫁ぐなんて、絶対に嫌よ!」
自分の気持ちを吐き出したミンツェに、テミルは気弱な笑みを返した。
「ミンツェ、気持ちはわかるよ。わかるけど、どうすることも出来ないよ。それともおまえは、わが国とアズールの関係が悪くなってもいいのかい?」
「それは……」
ミンツェの頭に、王家の義務として教えられた数々の教訓が浮かんでくる。王家の女子は、他国との絆を強めるために嫁ぐことも仕事のひとつと聞かされて育った。
アズールは南の国境を接する隣国だ。温暖で海に面したアズールからは、海産物をはじめ多種多様な果物や農産物が届く。標高の高い山岳王国のルースでは、どんなに頑張っても作れないものばかりだ。
ルースの国民にとってアズールとの交易はそれだけ大切で、関係を悪化させる訳には行かない事は小さな子供でも知っている。
もちろん東方諸国とも交易はあるが、そのほとんどがアズールの港を経由する海路での交易だった。
かつてはルースの東隣にあったイリス王国とも、険しい山脈を超えて交易をしていたが、彼の国は五十年前の戦で滅んでしまった。
荒廃した土地はどんどん砂漠に飲み込まれ、今では険しい山と砂漠を超えてくる商人はほとんどいない。
ルースの西と北には、雑穀の畑すら作れない険しい凍土の高地があるばかりで、ルースにとってアズールとの国交は無くてはならないものだった。
うつむいて唇を尖らせている妹を見て、テミルはため息まじりの笑みを浮かべた。
「逃げるのは無理だけど、おまえのお転婆な姿を見せれば、嫌われるかも知れないね」
「お兄さま!」
パッと喜色を浮かべて顔を上げたミンツェに、テミルはうなずいた。
「派手に暴れてみれば、何かが変わるかも知れないよ」
「ありがとう。私、いろいろ考えてみるわ。だからそれまで、私は病気だと言っておいて。お願い、お兄さま!」
「わかったよ」
肩をすくめるテミルに、ミンツェは満足げな笑みを浮かべた。
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