第9話 旅立ち


 竜の谷村では、王都へ行く準備のために竜導師たちが奔走していた。


 出発が近づいたある日、エルマは村の外れにある温泉にジャズグルを誘った。

 岩場に噴き出した温泉を利用した浴場は、煉瓦で作った壁に板と草で屋根を葺いただけの簡素なものだが、夕日を浴びた谷の眺めはまさに絶景だった。


「ホントにすごかったよ。貴竜種エウレンにしては小ぶりなんだけどね、金色の瞳のとてもきれいな飛竜テュールだったの」


 エルマはうっとりとつぶやいた。

 ジャズグルは、エルマが内緒で飛竜を呼んだことを知っている唯一の友達なので、ずっと話がしたくてうずうずしていたのだ。


「上手くいって良かったよ。飛竜を呼ぶとき、エルマが怪我をするんじゃないか、村の竜導師にバレるんじゃないかって、心配してたんだよ」


 興奮気味に話すエルマとは対照的に、ジャズグルは怖い顔で答える。


「王都に行ったら、竜導師のマネとか、危ないことしちゃダメだよ!」

「うん。アールの手伝いで竜目石の品評会に行くだけだし、大丈夫だよ」


 エルマはにっこりと笑う。

 そのぽやっとした笑顔に、ジャズグルはお湯をかけた。


「あんたはボンヤリしてるから、お城で失敗とかしないか心配だよ」


 そう言って、ジャズグルがエルマの肩をグッとつかむ。

 エルマはいたずらが見つかった子供のように、えへへと笑って舌を出した。


「偉い人たちがいると思うと、緊張するよね」

「もう、エルマったら」


 ジャズグルはもう一度エルマにお湯をかけた。


「ねぇ、あの飛竜テュールのおじさんも、お城にいるんでしょ?」

「うん。お城の竜衛士見習いだって言ってたから、いると思うよ」

「そっか。知り合いがいれば少しは安心だよね……」


 ジャズグルの顔がだんだんと歪んでくる。


「そんな顔しないでよジャズグル。すぐに戻って来るからさ」

「わかってるけど、なんかもう会えないような気がしちゃって!」


 泣き笑いのような顔で、ジャズグルはエルマを見つめる。


「怪我、しないでよね」

「うん。約束する」


 二人は涙ぐみながら頷き合った。




 一時的でも〈雲竜堂うんりゅうどう〉を閉めるとなると、準備は大変だった。

 店には何も残していく訳にはいかないので、アールは村に残る竜導師たちと話をつけ、〈雲竜堂〉の竜目石の半分を格安で売るかわりに店の管理を頼んだ


 お城の品評会に出す貴竜種の竜目石は、丁寧に梱包して王都に持って行く。


(本当に、王都に行くんだな)


 竜目石を柔らかい毛氈フェルトに包んで箱に入れながら、エルマは複雑な思いに駆られていた。

 アールについて行くと決めたのは自分だけれど、竜の谷村から出たことがないエルマにとって、明日からの王都行きは大冒険だ。


 自分の荷造りは終わったし、羊のメイメイはジャズグルの家に貰われていった。

 イエルのお尻に突撃してしまったメイメイが、彼にいじめられるのではないかと心配したけれど、ジャズグルからイエルも王都へ行くのだと聞いてエルマはげっそりした。

 いじめられるのは自分の方だったらしい。


(髪の毛を引っ張られないようにしないとな……)


 エルマは自分の三つ編みを撫でながら、ぼんやりと考えた。



 翌朝。王都へ行く竜導師の一行は、まだ暗いうちに広場に集合した。

 陸竜ムースの引く荷車にそれぞれ店の荷物を積み、出発の準備をしているうちに夜が明けて来た。


 空気はキンと冷えていて、雲の少ない青空の向こうには、連なる白い峰がきれいに見えている。


「エルマ、行くぞ」

「うん」


 見送りに来ていたジャズグルから離れ、エルマはアールの隣に並んだ。

 大きな背嚢はいのうを背負い、ゆっくりと動き出した荷車の後について石畳の街道を歩き出す。


 この街道を歩いて山を下り、湖畔の王都に着くまでは五日ほどかかるという。宿場町に泊まるのも初めてのエルマは、興奮に頬を上気させている。


(都ってどんな所だろう?)


 胸が躍るような、それでいて怖いような不思議な気持ちだった。


 王都へと続く石畳の道。

 この道の先にどんな冒険が待っているのか、エルマはまだ知る由もない。

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