第8話 動き出した歯車


 ────ルース王国の王都アイレ。


 白亜の王宮の外縁部に、堅牢な近衛府このえふの官舎がある。

 近衛府の中でも高位の者だけが住むことを許される最上階の一室では、パチパチと火のはぜる暖炉の近くで、白髪の老人と、厳めしい壮年の男が酒を酌み交わしていた。


「何じゃ、久しぶりだというのに浮かない顔だな、マイラム竜導師長。わしは歓迎されておらなんだか?」


 白髪の老人シシルは、旅の埃を温泉で洗い流したばかりで、ほんのりと血色のよくなった顔を壮年の男に向けた。


「いや、すまんシシル殿。よく来てくれた。東の混乱は聞き及んでおるが……実はこのルースでも竜目石が割られる事件が続いていてな。頭が痛くてかなわんのだ。このままでは、近衛府の竜衛士りゅうえじの半分が飛竜テュールを失ってしまうだろう」


 マイラム竜導師長は、白髪の目立ち始めた艶のない黒髪をがしがしとかき回した。


「なんじゃと? まさか……この西国まで魔の手が伸びているとは。いや……ルースは世界一の飛竜テュールの国じゃ。狙われるのは当然じゃったな」


 シシルは腕を組んだり解いたりしながら、やがて難しそうな顔をして落ち着いた。


「陛下も心配されてな。新年を前に、国中から竜導師を集めるつもりだ。飛竜の補充のために竜目石の品評会も開くことになったんだが……その件で、貴殿の意見を聞きたいのだ。

 実は竜衛士見習いとして入ったばかりのベックという男が、竜の谷村の〈雲竜堂うんりゅうどう〉という店で見事な竜を手に入れたのだが、竜導師ではない者に竜との契約をしてもらったと言っておるのだ」


「〈雲竜堂〉じゃと?」


「ああ。そなたなら知っておるだろう? 〈雲竜堂〉は賢者ソーの店だ。彼の弟子なのかはわからぬが、ベックが言っているのはエルマという名前の娘だ。聞いたことはあるか?」


 マイラムは困ったようにシシルを見る。


「〈雲竜堂〉なら、ここへ来る前に行って来たばかりじゃ。ソー老師が亡くなったことを知らずに訪ねてしまったんだ。このような混乱の時に頼れるのは彼だけだったのに、誠に惜しい人を亡くしたものだ」


「シシル殿……」


 マイラムに名を呼ばれて、シシルは我に返った。


「ああ、すまない。年寄りになると、どうも繰り言が多くてな。ええと、店主のアールという青年には会ったが、その娘には会っていないよ」


「そうか……竜導師でない者が竜を呼ぶなど聞いたこともないが、東国の混乱や仕事中の怪我が原因で、わが国でもだんだんと竜導師が減っている。困ったことだ。今は一人でも多く有能な竜導師を抱えたいが、娘ではしょうがない……のだが、何しろ見事な竜なのだよ。シシル殿も、明日見に行くといい」


「その見習いの竜が、そんなに良い竜なのか?」


「ああ、見事な竜だ。見てから、是非ともシシル殿の意見を聞かせて欲しい」


 本当に困り果てていると言うように、マイラムはシシルにそう言った。



 翌朝。

 シシルは近衛府の広場に足を踏み入れた途端、息を飲んだ。

 昨夜のマイラムの言葉を疑っていた訳ではないが、ほんの少しばかり彼を見くびっていたようだ。目の前にいるのは、本当に見事な竜だった。正直これほどとは思っていなかった。


 灰色の飛竜が竜舎の前で日の光を浴びている。角は一つで少々小ぶりだが、金のたてがみが見事な貴竜種エウレンだ。

 竜の世話をしている男は、砦によく居るような背の高いがっしりとした体格の衛士だったが、寝起きなのかボサボサ頭のままだ。


「これはそなたの飛竜テュールか? この竜を呼び出したのは〈雲竜堂〉の娘だと聞いたが、本当なのか?」


 突然シシルに話しかけられたベックは、振り返って白髪の老人を見つけると、不思議そうな顔で頷いた。


「ああ、本当ですよ。こいつを呼び出してくれたのは、エルマっていう娘っ子です。ありゃあイリスからの移民の子ですかねぇ?」


 ポリポリと頭を掻きながら人懐っこい笑顔を見せる。


「どうして竜導師でもないその娘が、飛竜テュールを呼び出すことになったのかね?」


 話が脱線していきそうなベックに、シシルはさらに質問をした。


「いやぁ、〈雲竜堂〉って店ですごい竜目石を見つけたんですがね、どうにも竜導師を雇う金がなくて困ってたら、その娘っ子が翌朝コイツを呼び出してくれたんです。竜導師の資格は無いから内緒でねって言ってましたが、いや大した腕ですよ!」、


 内緒でね、と言われた割にはペラペラと話してしまうベックという男に、シシルは胡乱な目を向けたが、当の本人は少しも気にしていないらしい。


 ベックが南方の樹毛で作られたブラシで灰色の背中をこすってやると、飛竜は気持ちよさそうにクェーと鳴いて目をつむっている。


「なるほど……確かに良い竜じゃな」

「でしょう? 強くて賢くて、本当に俺が願ったとおりの飛竜テュールですよ!」

「ふぅむ……」


 シシルは白いあご髭を撫でながら眉をひそめた。


「どうかね、シシル殿?」


 遅れてマイラム竜導師長がやって来た。

 難しい顔をしながら竜から離れたシシルに合わせて、マイラムもゆっくりと歩き出す。

 四角い広場の縁をしばらく歩いた二人は、ベックと竜から随分離れた所で足を止めた。


「あの竜を呼び出したのは、本当にエルマという娘なのか?」

「ベックが言うには……」


「ならば、品評会に呼んでみるのも良いだろう。だからと言って特別扱いは無用だ。竜導師の資格も無いようだし、冷静に力を確認すればいい。例え力が無かったとしても、あの店にあった竜目石は見事な物ばかりだ。石を買いとるだけでも良いだろう」


 おどけたように肩をすくめるシシルに、マイラムはため息まじりにうなずいた。


「シシル殿がそう言うなら、そうしよう。竜の谷村から来る者の名簿には、〈雲竜堂〉のアールの名前があった。同行者としてエルマの名前もな。この娘も特別に受け入れよう」


 二人の男はゆっくりと頷き合った。


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