第6話 東からの旅人シシル


 〈竜の谷村〉は、山の斜面に張りつく五十軒ほどの家が集まった小さな村だ。

 王都からつづく街道の両脇に軒を連ねる家々のほとんどが、竜目石を売る竜導師の店や、旅籠はたごや飲食店だ。村人のすべてが、飛竜テュールを求めてやって来る客を飯の種にしている。


 秋も深まったこの日、灰色の外套に枯れ木のように痩せた身体を包んだ老人が、険しい山道を登って来た。

 老人は〈雲竜堂うんりゅうどう〉という古びた木の看板を見つけると、ホッとしたように息を吐きながら店の扉を開けた。


 間口は狭いが、店の中は思ったよりも奥行きがある。

 入口を入った右側の壁には、旅人を労うように長椅子が置かれ、向かい側には長机がある。その長机向こうで、青年が黙々と石の研磨をしていた。


 老人は青年に声をかけようとしたが、奥のテーブルに置かれた仕切りのある木箱を目にするなり、吸い寄せられるように近寄って行った。


「見事だ……質の良い竜目石がこんなにたくさん。いや、さすがはソーだ!」


 老人のひとり言に、石を研磨していたアールは顔を上げた。

 中途半端に長いぱさぱさの黒髪を首の後ろで束ねたアールは、今は防塵用の眼鏡をかけている。


「竜目石を、お探しですか?」

 アールは伺うように声をかける。


「いや、そうだと答えたいところだが、わしは石の賢者ソーを訪ねて来たのだ。冬は山を下りて村で生活していると聞いていたが、いらっしゃるかね? ベルデ共和国から、竜導師ギルドのシシルが来た、と言えばわかるのだが」


 白髪と長い白髭に縁どられたシシルは長旅で疲れた顔をしていたが、小さな瞳を輝かせてそう言った。


「ベルデ共和国……ずいぶん遠くからいらしたのですね」


 アールはかけていた眼鏡を外し、気まずそうな表情を浮かべて立ち上がると、シシルに長椅子をすすめた。


「実は、ソー老師は今年の春に亡くなりました。連絡できずに申し訳ありませんでした」


 アールが言葉を続けるごとに、シシルの瞳からは輝きが消えてゆく。


「そうか……亡くなっておられたか」


「はい。私は石の研磨しか任せてもらえない不肖の弟子だったので、まさか遥か東国にまで知り合いがいるとは知らされておりませんでした」


「研磨だけ? では、ここにある石は、すべて賢者ソーが遺したものか?」


「はぁ……いえ、半分は、ソー老師が引き取って育てていた、エルマという娘が見つけたものです」


「娘……か」


 シシルはさらに落胆したようだった。

 アールは熱い発酵茶にバターを浮かべたバター茶を淹れると、疲れ果てた様子のシシルに差し出した。

 シシルは枯れ木のような手で器を受け取ると、目を閉じてゆっくりとバター茶を飲み干した。


「ありがとう。美味しかったよ。お陰で少し生き返った」


 シシルは笑みを浮かべ、アールを見上げた。


「わしとソーは古い友人でな。若い頃……五十年前の北方戦役では、竜導師ギルドの一員として共に戦ったこともある。ソーがこのルース王国に去ってしまってからは一度も会うことはなかったが、手紙は交わしていたんじゃよ。」


「……そうでしたか」


「この西国までは伝わっておらぬようじゃが、東国はいま混乱に陥っていてな。ベルデでは飛竜テュールが狂い、町を襲っているのだ」


 飲み干したバター茶の温もりを慈しむように、シシルは器を両手で包んだまま話し続ける。


「どうやら黒魔道が関係しているらしく、わしら竜導師ギルドでも対処に困っているのじゃ。賢者ソーなら、きっといい知恵を貸してくれると思っていたのじゃが……残念じゃ。このルースはまだ大丈夫だろうが、そなたらも気をつけなされ」


「はい……」


 アールは返事をしたものの、シシルの言葉の意味はよくわからなかった。

 その僅かな表情を読み取ったのか、シシルは苦笑しながら言葉を続けた。


「飛竜が狂うなんて、見なければわからぬだろうな。じゃが、世界各地で名のある貴竜種エウレンの竜目石も破壊されている。きっと魔道では操れぬ飛竜の石を、何者かが割っているのだろう。ここにある竜目石は素晴らしい物ばかりじゃ。大切にしてやっておくれ」


 シシルはそう言うと、重い腰を上げて店を出て行った。



(竜目石が割られている?)


 シシルの残した言葉に、アールはひとつ、思い当たることがあった。

 ウザいくらいお喋りな竜衛士見習いのベック。詳細は語らなかったが、彼は不幸な事故で石が割れたと言っていた。


「もしかして、何か関係があるのかも知れないな」


 嫌な予感がした。

 考えてみれば、村の掲示板に張り出された近衛府このえふからのおふれも、竜目石と竜導師を集めるものだった。


(あの老人のことは、エルマには話さない方がいいな)


 たぶん、何かが起きている。

 もしもソー老師が生きていたら、さっきの老人と共に旅立ったかも知れない。


 でも、不肖の弟子だった自分には何も知らされてはいない。

 任されたのはエルマの事だけだ。

 大人になるまで守り育てる。それがソー老師から託された自分の仕事。

 危険なことに関わるつもりはない。


(────ただ)


 アールは目を細めて、自分の寝室にある鍵つきの机を思い浮かべた。

 ソー老師から預かった赤い竜目石。エルマを守るためにも、あの石の正体だけはどうしても知りたかった。


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