第5話 金色の飛竜(テュール)


 山の間から、太陽が静かに顔を出した。

 まだ暗いうちにから山を登り始め、藍色だった空の一部が朱色の光を放ちはじめる頃、エルマとアールとベックは山の牧場のさらに上に来ていた。

 朝の空気は冷え切っていて、三人とも分厚い外套を着込んでいるが、それでも寒い。


「東に地の緑。西に月の黄。南に日の赤。北に天の青」


 徐々に明るくなってゆく藍色の空の下、エルマは飛竜テュールの呼び出しに使う守り石を丁寧に大地に置いてゆく。いつも羊を放牧している草地よりもさらに上にある、草の生えない平らな土地だ。


 アールとベックは、少し離れた岩陰からエルマを見守っている。

 赤茶けた大地に四つの方角を示す四色の守り石を置くと、エルマはその中心に立った。


 首から下げた革袋の中からベックの竜目石を取り出して両手に乗せると、空に捧げるように手を伸ばす。

 光沢のある灰色の丸石が、雲の間から差し込んできた朝日に照らされて黄色い光を放つ。


「天竜よ、天翔ける兄弟よ。人の子との契約に応じるならば、天より大地に来たれ!」


 エルマが手に持つ竜目石から、ふわりと黄色い光が天に向かって伸びてゆく。


(ああ……きれいだ)


 うっとりと空を見上げていると、ゴォーと風が唸った。

 いきなり襲ってきた突風に砂礫が巻き上がり、エルマの痩せた体も吹き飛ばされそうになる。


(わぁっ!)


 エルマはとっさに片膝をついて姿勢を低くしたが、強すぎる風で息が苦しくなる。エルマは竜目石を片手に持ちかえると、空いた片方の腕で顔を覆った。


(早く、降りてきて!)


 目を瞑って風に耐えていると、ふいに風が凪いだ。


 ケェー ケェー


 怪鳥の鳴き声に似た声がすぐ近くから聞こえてくる。

 エルマが慌てて目を開けると、翼をたたんだ飛竜テュールが四肢を揃えて行儀よく座っていた。

 灰色のごつごつした体。頭の上には大きな突起が一つあり、そこから顔を縁取るようにギザギザした小さな突起が首まで続いている。触れれば傷つきそうに見えるが、首の後ろにある柔らかそうなたてがみと瞳の色は、優しげな金色だ。


「来てくれてありがとう。空の兄弟! とても素敵な金色の目だね」


 エルマは飛竜に言葉をかけると、労うように体にそっと手を触れた。

 それに応えるように、飛竜テュールが長い首をエルマの方に寄せてくる。

 金色のたてがみが、ふわりとエルマの頬に触れた。


「うふふ。くすぐったい。もうすぐ、あなたの相棒が来るからね」


 岩陰に隠れていたベックとアールが転がるように出てくる。

 アールはいつもの無表情だが、ベックは熱に浮かされた人のようにフラフラと歩いて来る。目は金色の飛竜を見つめたままだ。


「飛竜の名前は考えてありますか?」


 アールの問いかけに、ベックは我に返ったように頷く。


「それならエルマの所へ行って、その名前で飛竜を呼んでください。それから自分の名を名乗る。飛竜が自分の名前と相棒の名前を覚えることで、竜との契約が結ばれます」


「わ……わかった」


 ベックは恐る恐る飛竜に近づいた。


 王都にいる時に割れてしまったベックの竜目石は、退官した竜衛士から譲ってもらったもので、新たな契約をしないうちに割れてしまった。だからベックは、野生の飛竜と間近に接するのはこれが初めてだった。

 

 城の飛竜は大きな個体もいたが、それに比べると目の前の飛竜はやや小さく感じる。でも、人の移動や荷運びに使う陸竜ムースにくらべると、二倍ほどの大きさがある。


 ゴクリ、とベックは唾を飲み込んだ。

 四方の守り石を蹴飛ばさないように気をつけながらエルマの隣に立つと、飛竜の金色の瞳を見上げてその名を呼んだ。


「……エル」


 ケェーと飛竜が応える。ベックはホッとしたように緊張を解いた。


「エル、俺はベックだ。よろしくな、相棒!」


 ポンポンと首を叩くと、飛竜はもう一度ケェーと鳴いた。




「本当に、このまま王都へ?」


 簡易的な騎乗用の鞍を飛竜の胴体に装着しながら、アールは頭一つ分大きなベックを見上げた。

 飛竜と契約したその日に、長距離飛行をするなんて話は今まで聞いたことがない。しかも、まだろくに飛行訓練を受けてない人間がそんなことをするなんて、命知らずもいいとこだ。


 アールは目を細めてまじまじとベックの顔を見つめた。


「ああ。早いとこ帰らないと、本当に竜衛士見習いの件を白紙に戻されちまうからな。なぁに、俺はこれでも慣れるのは早い方だ。心配はいらねぇ」


「いや、別に心配はしていないが……ただ、その恰好では寒いですよ」


 無愛想に答えるアールに、ベックは肩をすくめた。

 鞍が装着し終わると、飛竜のエルは長い首をベックの方にまわして「まだ乗らないの」というように金色の瞳を向けている。

 エルマはそっとたてがみに触れてみた。


「エルが待ちくたびれてるよ。ベックさん、早く乗ってみてよ」

「あ、ああ」


 ベックはエルに向き直ると、ゴクリと唾を飲み込んだ。とうとう憧れの飛竜に乗れると思うとさすがに緊張する。


「ベックさんは初めてだから、あんまり高く飛ばないであげてね」


 エルマは飛竜の灰色の首をポンポンとたたきながら頼み、ベックに顔を向ける。


飛竜テュールは人間の言葉がわかるから、言えばちゃんとわかってくれるよ。人間と飛竜は対等な関係だけど、乗せてもらってるのは人間だからね。とにかく感謝の言葉は忘れちゃダメだよ。いっぱい褒めてあげてね。怖くてもしがみつかないこと。首につかまったら絶対にダメだよ。つかまるのは鞍だけね」


「わ……わかったよ」


 ベックは覚悟を決め、素早く鞍にまたがるとエルに何事か囁いた。エルはベックに応えるように翼を広げて羽ばたきはじめる。

 エルマとアールが砂塵から逃げるように岩の影に隠れた途端、金色の飛竜は空へと舞い上がった。


「ありがとな、嬢ちゃん!」


 ベックの声が降って来る。

 エルマは眩しそうに空を見上げた。

 あいさつするように飛竜山のまわりをクルリと旋回してから、ベックをのせた飛竜は西の空に消えていった。


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