第2話 お城からのおふれ
夕方。
辺りに薄い霧が漂い始めた頃、エルマとジャズグルは羊たちを連れて村へ降りてきた。
村の中心にある広場には、山の湧き水を引き込んだ水飲み場がある。石造りの竜の口から流れ出た水を、丸い石の器が受け止め、溢れた水は水路を通って畑の方へ流れる仕組みだ。
水飲み場で羊たちが水を飲みはじめると、石と日干しレンガで出来た家々からは、小さな子供たちが自分の家の羊を迎えにやって来る。
「冷えてきたね」
ジャズグルは外套の襟をかき合わせてエルマを見上げたが、エルマは寒さなどまるで感じていないように、水飲み場の横にある村の掲示板を眺めている。
「エルマ、あたし帰るよ」
「あ、うん、ジャズグルまたね」
うわの空で返事をするエルマに肩をすくめて、ジャズグルは自分の羊を連れて帰ってゆく。すでに薄暗くなりはじめた広場には、取り残されたエルマの羊だけがウロウロしていた。
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告知
王宮の
希望する者は竜導師協会を通じて申込み、
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広場の掲示板に打ちつけられた羊皮紙の文面を見た途端、エルマは胸がドキドキした。
旅人から聞いた湖畔の王都。その白亜の王宮に、この村から誰かが行くかも知れない。そう思うだけで胸のドキドキが止まらない。
エルマが掲示板を食い入るように見つめていると、後ろからそっと忍び寄った手がエルマの金色の三つ編みをつかんでグイッと引っ張った。
「わぁっ」
エルマが倒れそうになりながら振り返ると、意地悪そうな笑みを浮かべたイエルが立っていた。イエルはジャズグルの二つ年上の兄で、村の竜導師の弟子だ。
「エルマのくせに、なんで掲示板なんか見てんだよ? まさかとは思うけど、おまえお城の竜導師に応募しようなんて思ってないよな?」
イエルはエルマの三つ編みを、ぐいぐいと引っぱり上げた。
「そ、そんなこと思ってないよ。痛いから引っ張らないで」
エルマは三つ編みの先をイエルの手から取り戻そうとするが、背の高いイエルが手を高く伸ばしてしまうと届かない。
「女は竜導師になれないもんな。おまえみたいな流民の女じゃ嫁の貰い手もないぞ。おまえはきっと、山で暮らす
やーいエルマの山婆婆、と歌いながらイエルはエルマの三つ編みを振り回す。
「痛いよ、やめてよ!」
両手で頭を抱えてエルマが叫んだ時、白い塊がイエルの尻にドーンとぶつかった。
「うわぁっ」
倒れたイエルの後ろには、丸々とした白い毛に顔だけ黒い羊がいた。羊はメェェェと鳴くと、得意げな顔をエルマに向ける。
「メイメイ! いい子ね、ありがとう!」
ようやくイエルの手から解放されたエルマは、羊のメイメイに抱きついた。
「いってぇ。何だよ、おまえンとこの羊は狂暴だな。捕まえて丸焼きにしてやるぞ!」
「いーだ!」
石畳の地面に転がって尻をなでているイエルに、エルマは思いきり舌を出すと、メイメイと連れ立って帰って行った。
「アール、ただいまー! 今日はお客さん……来てないかぁ」
裏口から顔を出して店の中をうかがってみるが、竜目石が減った様子はない。
ソー老師が始めた竜目石の店〈
「ああ、いつも通りだ」
石の研磨をしていたアールは仕事の手を止めると、長い黒髪をかき上げるように防塵用の眼鏡を外し────ハッとしたようにエルマを睨んだ。
彼はいきなり椅子を蹴って立ち上がると、眉間にしわを寄せたままエルマに歩み寄り、じっくりと検分する。彼の目は、エルマの髪にからまった灰色の細かい破片を目ざとく見つけていた。
「竜目石を見つけたのか? おまえ、石くずだらけだぞ。ちょっと外へ出ろ」
言うが早いか、アールはエルマをひょいと担ぎ上げて裏庭に出て行く。そしてメイメイの小屋の隣にそっと下ろすと、エルマの金色の三つ編みを解いた。
黒髪ばかりのこの国では、この髪の色だけで亡国イリスからの流民だとわかる。ある意味、差別の対象となる色だ。
アールが両手でエルマの髪を櫛梳ると、パラパラと石くずが地面に落ちた。アールは眉間にしわを寄せたまま、一かけらも見逃すまいと念入りに髪を櫛梳る。その間、エルマは棒立ちのままだ。
「もういいよぉ」
毎度のことながら、アールの几帳面さには呆れて物が言えない。
「おまえ、少しは自分に構え。いくつだと思ってるんだ? 少しは娘らしくしたらどうなんだ?」
「はーい」
返事はするが、エルマの顔は不満げだ。そのふて腐れた顔を見て、アールは眉間のしわを深める。
「何だ、その返事は?」
「だって、みんな同じこと言うんだもん。ジャズグルは、十六になったら結婚しないと行き遅れだって言うし、イエルは嫁の貰い手がないとか言うし、アールまで娘らしくしろだなんてさ」
エルマは頬を膨らませて抗議する。
「イエルのやつは、まだおまえに意地悪をしてくるのか?」
「ううん、今日は髪を引っ張られただけ。メイメイが仇を取ってくれたしね」
にんまりと笑うエルマの頬を、アールはつまんで引っ張った。
「では、俺も仇を取っておこう」
真顔でそんなことを言うアールを、エルマはまじまじと見上げた。
アールという男はあまり表情豊かではない。と言うより、いつも怒ったような顔をしている。アール自身は喜んだり悲しんだりしているらしいのだが、まわりの人間にはほとんどわからない。
エルマは赤子の時にソー老師に拾われて、それからずっと十歳年上のアールと共に育って来たが、エルマが物心ついた時には既にアールはこんな感じだった。
鉄壁の無表情だとソー老師は笑っていたが、本当に怒った時のアールは、めちゃくちゃ怖い。
「アールが言うと、洒落にならないよ」
「そうか? 今日の夕飯は干し肉の香草煮だ。すぐに食べられるぞ」
「わーい。手を洗ったらすぐに行く。あ、そうだアール。これ、今日見つけた竜目石。きっとね、青い石だと思うんだ」
背嚢から取り出した石をエルマが差し出すと、アールはほんの少しため息をついて受け取った。
「わかった。早めにやってやるよ」
「わーい。さっすがアール!」
エルマは満面の笑みを浮かべた。
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