第一章 竜の谷村

第1話 金の髪のエルマ


「んー、気持ちいい!」


 山の牧場に羊を放つと、二人の少女────エルマとジャズグルは、空に向かって両手をうーんと伸びをした。

 周りに目を向ければ、雪を戴く白い峰々がぐるりと牧を囲んでいる。

 平地よりも三か月は早い冬が、もうそこまで来ているのだ。




 ここは、山岳王国ルース。

 東西に広がる国土の東端には、連なる山々の中でもひときわ高いトンガリ山がある。たくさんの飛竜テュールが集まることから飛竜山と呼ばれている山だ。


 飛竜はこの国の霊獣で、彼らを使役するには、竜の目に似た竜目石を用いて契約を結ばねばならない。

 エルマたちの住む〈竜の谷村〉が、作物の育たない高地でありながら何とか暮らしていけるのは、ここが飛竜との契約に必要な竜目石の産地だからだ。




「エルマ、手伝ってくれてありがとね」


 黒髪を左右二本の三つ編みにしたジャズグルが、隣に立つエルマを見上げた。


「ううん。どうせあたしも山に来るつもりだったんだもん。それに、ジャズグルがくれた毛氈フェルトのおかげで、今年は新しい外套が作れたし。そのお礼だよ」


 ジャズグルより少し背の高いエルマは、くせのある金髪を後ろにまとめて一本の三つ編みにしている。

 村人達とは異なる金の髪と、明るい空色の瞳、そして白い肌は、エルマにとって悩みの種だった。人里離れた山の上に住んでいた時から、エルマは自分だけがみんなと違う人種なのだと気がついていた。


「あれは毛氈フェルト作りのお礼だよ。たくさん手伝ってくれたんだもん、あたり前だよ」

「えへへ。いつもありがとね、ジャズグル」


 山の斜面に広がる乾いた草地を見渡してから、エルマは近くの岩の上に腰を下ろした。


「もうすぐ冬だね」

「うん。嫌になっちゃうね」


 長く氷点下の日が続く高地の冬は、とても厳しい。

 冬の間は、ほぼ保存食だけの生活になるため、村人たちは春から秋にかけて保存用の食料をため込むことに余念がない。

 のんびり草を食んでいるこの羊たちも、全てが越冬できるわけではない。エサにも限度があるから、越冬できる数を超えた羊は、冬を前に屠られて干し肉にされてしまう。


 リリリリリ……


 微かに聞こえる音色に、エルマはハッと身を起こした。


「聞こえる!」


 両手で耳を抑えながら立ち上がったエルマは、少し離れた岩場に駆け寄るなり、腰帯に吊るしていた鋼の槌を手に取った。


「あーあぁ、こりゃ時間がかかるな」


 ジャズグルはつまらなそうにつぶやいた。

 エルマは竜目石の声を聞くことが出来る。そして竜目石を探しはじめたエルマは、いつも夢中になり過ぎて時間を忘れてしまう。完全に掘り出すまでは、誰が声をかけても聞こえない。お腹が空いていることさえ忘れてしまうのだ。


「エルマ、先に食べてるよー」


 ちゃんと言ったからね、と付け加えて、ジャズグルは背嚢はいのうに入れて来た昼食の包みを広げた。いつもと同じ、そば粉で作った包子ポーズだ。中には羊のチーズと葱とほんの少しの肉を混ぜた餡が入っている。


 包子を頬張りながら、ジャズグルは岩をかち割っているエルマの後ろ姿を眺めた。

 エルマと友達になって、そろそろ十年になる。


 昨年までは、竜導師の老人と兄弟子のアールと三人で山の上の小屋で生活していたから、村に住むのは冬の間だけだったが、今年の春に竜導師の老人が亡くなってからは、アールと共に村で暮らすようになった。

 長い山暮らしのせいか、エルマは年頃になってもあまり女の子らしくない。


「あの子、これからどうするんだろう……」


 身の回りのことをちっとも気にしないエルマを、ジャズグルは我がことのように心配しているのだった。



「ねぇねぇ、ジャズグル、見て!」


 ずいぶんと時間が経ってから、手のひらに乗るほどの丸い岩の塊を持って、エルマが戻って来た。

 彼女がジャズグルの目の前にずいっと差し出したのは、槌の痕が残るただの灰色の石だったが、きれいに母石を剥離すればきっと美しい竜目石が現れるのだろう。

 竜導師はこの竜目石で飛竜を呼び出し、竜目石を買い求めた人間と飛竜との間に契約を結ぶ。エルマは竜目石さがしの名人で、今までにハズレは一度もない。


「これ、きっと、すっごい石だよ。たぶん青。きれいな青だよ!」


 エルマは粗削りな丸い石を目の高さに掲げて、興奮に頬を上気させている。とても嬉しそうだが、エルマの顔や髪には細かな岩の欠片が飛び散っている。


「へぇ、中を見ないうちからわかるんだ。すごいね。うちのバカ兄貴なんか、まだ一度も竜目石を見つけたことないのに」

「そうなの? 歌声……ううん、鈴の音みたいのが聞こえるから、すぐわかるんだけどなぁ」


 エルマは岩に腰かけて、採った石を大切に背嚢にしまい込むと、かわりに昼食の包みを取り出して、包子を頬張りはじめる。


「エルマのは才能だよ。でもさ、あたしたちもうすぐ十四だよ。あと二年で結婚しなくちゃならないんだもん。好きなことしてられるのも、あと二年だけだよ」

「あと二年? 十六で結婚しなくちゃいけないの?」


 エルマはきょとんとした目でジャズグルを見返した。


「いけない訳じゃないけど、ほとんどの娘は十六で結婚するよ。そうでないと、みんなから行き遅れって言われるもん」

「えっ、でもさ、床屋のムーラ姉さんは二十歳過ぎてるのに独身じゃない?」

「ムーラ姉さんは出戻りだよ。旦那さんが亡くなって、子供もいなかったからさ」

「そうだったんだ、知らなかった!」


 大きな目を見開いてエルマは驚いている。


「エルマは山の上の生活が長かったからね。不便な山小屋でよく頑張ったよ」

「うん……でも、あたしは好きだったよ。ソー老師とアールと三人の山暮らし。ソー老師が生きてたら、村で生活することなんて考えなかったろうな」


 思い出してしまったのか、エルマの瞳が寂しげに揺れる。


「仕方ないよ。ソー老師はけっこうなお年だったもん。でもさ、そのうちアールさんが結婚することになったらどうするの? いつまでも面倒見てもらえないよ。あんただって結婚して独り立ちしなくちゃ」

「独り立ちなら出来るよ。あたしは竜導師の仕事をするつもりだもん」

「エルマ……それは無理だよ」


 ジャズグルは困ったようにエルマの顔を見た。


「そもそも女はさ、一人前の竜導師になるどころか資格を取らせてもらえないじゃない。 それにさ、兄貴も言ってるよ。近頃は男でも竜導師をやめて陸竜ムースの調教師になる人が多いんだって。何でだか知らないけど、飛竜との契約が上手くいかなくて、竜導師がケガをする事故が多いんだって」


「竜導師がケガ? イエルが、そんなこと言ってたの?」

「うん。兄貴のとこの親方が話してたみたい。だから、都でも竜導師が不足してるんだって」


 ジャズグルは深刻そうに眉をひそめるが、エルマは感心したように頷くだけだ。


「へぇ、そうなんだ」

「まったく。エルマはボンヤリなんだからぁ」


 ジャズグルが肩をすくめるその横で、エルマがハッと顔色を変えて立ち上がった。きれいに見えていた山の峰々が白く霞んでいる。


「霧が流れて来てるよ。早いけど、視界が効くうちに帰ろう」

「うん、そうだね」


 羊を集める鐘をカランカランと鳴らし、二人は集まって来た羊の数を数えて、霧と競争するように山を下りていった。



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