第11話 弔い

 そう佐賀は思いつつ、先ほどのヘロとの会話を思い出す。この街に越してきて二週間、部屋にはカーテンがない。冷蔵庫も無ければ洗濯機もなく、ある家具といえば、作業用の大きな座卓、ただ一つである。


「基本的に画家というのは、己の意志に基づいて表現欲を満たすために絵を描いている。だから別にそれを買ってくれる者がいなくとも、それで食っていけなくとも、画家ならそんなことはどうでもいい。絵を描けさえすれば、まあ、本物の画家は」


 佐賀は、座卓に置いてある二つの絵を見る。一つは、大勢が行き交う交差点の中に、麒麟が息を潜めている絵。もう一つは、森の野生動物が開く宴を、少し離れたところから森の主である孤狼が見ている絵。


「これに対して、絵師というのは仕事という意味が強い。依頼主がいて、その要望に応じた絵を描く。イラストレーターみたいなものだ」


 ここ二週間で描き上げたその二枚の絵に想いを馳せる。弔いの気持ちを持って眺める。弔う、とは、次へ行く、ということだ。止まっているのは、悼んでいるだけ。佐賀はその二枚の絵を弔い、ぐしゃぐしゃに小さく丸めてゴミ袋に入れた。


「でも、イラストレーターではなくて絵師」

 そのとき、ヘロはそう聞いてきた。ちゃんと核心をついてくるな、と佐賀は思った。

「ああ、俺は絵師でも、浮世絵師だ。浮世絵がどうやって出来上がるか知ってるか」

 急に出てきた浮世絵という単語に、ヘロは首を傾げる。

「浮世絵には二種類ある。一点モノの肉筆画と、生産可能な木版画。江戸時代の庶民にとって浮世絵が身近になったのは、木版画の登場によって庶民でも安く絵を買えるようになったからなんだ。そば一杯で浮世絵は買えたと言われている」


「へえ」とヘロは好奇心の声を漏らす。佐賀は説明を続ける。


「肉筆画は個人戦だが、木版画は分業でね。まず依頼主である版元から、『このような絵を描いてくれ』と絵師が発注を受ける。すると、絵師が要望に沿うように下絵を描く。ここまでは木版画も肉筆画も一緒だが、木版画の場合、その下絵をもとに、今度は彫師という職人が木版に絵を掘っていく。色ごとに木版を使い分けるから、一つの絵のために何枚も異なる木版を掘るんだ。そして彫師が掘った木版に顔料を付けて、摺師という者が和紙に色を摺り込む。基本的には一色ずつその木版用の色を摺るから、一枚につき十回も二十回も、色の数に応じて色を摺っていく。木版画の場合はだから、特に仕事という意味合いが強くなる。まあ肉筆画にせよ木版画にせよ、どちらも依頼を受けている時点で仕事という意味が強い」


 ヘロは「絵師は絵師でも、浮世絵師だ」と言った。

「これをイラストレーターというと、似つかわしくない」

「確かに伝統的な感じだ、絵師というと」


 佐賀は座卓に、一枚の新しい和紙を用意する。

 そして愛用の筆を一本、その横に置いて、少し目を閉じる。


——静寂が来る。


 これから描く絵を、頭の中に想像する。いや、さっきからずっと想像していたかもしれない。想像上の紙には既に、構想した絵が浮かび上がっている。


 いつでも描き出せる準備が整うと、佐賀は目を開けた。部屋の鍵を持って、部屋を出ていく。

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