第9話 野蛮だったな

「まさか、全国を回って来たというのか」


 佐賀はしかし、まだジョークにできる余地を残してそうヘロに言った。佐賀なりの優しさだ。しかしヘロは、


「ああ、といってもこれは趣味みたいなもので、札幌から熊本まで、政令指定都市と言われる都市の最も主要な駅周りは、全て巡って来た。もちろん、綺麗な都市はたくさんあった。でもこの都市のこの街はその中でも群を抜いて、落ちているゴミの数が少ないことが分かった。そして治安がいいんだ」

 そう、先と変わらない語調で言うのである。


「それが本当なら、論文として学界に出してもいいレベルの調査力と結果じゃないのか」

 ヘロの言葉の節々から、アカデミックさを匂わせる単語が出ている。どうやらこれは、嘘ではないのかもしれない、と思い、佐賀はこれまでよりも核を突いた返しをしてみる。


「そうさ。一から百まで、全て自分の目と手と足で経験してきた。それを論文にまとめたら、まあ、凄いことだ。でも、それをする必要はないと思ってる」

 ヘロがサッと手を挙げる。街ゆく中年女性は戸惑いながらも会釈を返した。


「それはどうして」

 それをする必要がない。そう思うのはどうしてか。

 佐賀は単純に、いまヘロが懐に用意している答えが気になる。


「僕がこの街の英雄で、この街に必要とされているって実感できるからさ。それ以上は僕は求めない」


 ヘロは相変わらず「そういう感じ」なのであるが、佐賀はそのとき、「そういう感じだ」とラインを引いてしまうのは野蛮だったな、と反省した。


「ヘロは英雄をやっていると言ってたが、それは仕事なのかい」

 歩きながら、佐賀はヘロに聞く。さっきから、どこへ向かって歩いているのかは分からない。


「よく分かったね。英雄は仕事なんだ」

 佐賀は、意外にすんなりとそのことを認めるのだなと思った。

「いや、さっき『英雄としての仕事の一つ』と言っていたじゃないか。いくつゴミが落ちているか調査することを」

「正確には、ゴミがいくつ落ちているか調査してたわけじゃない。ゴミが落ちていたからゴミを拾った、調査はそれに含まれる副産物だ」


 二人は歩いて行く。確かに佐賀は、行く道のどこを見たって、普通なら何かの紙くずやタバコの吸殻、小さなお菓子の袋ぐらい普通に道端に落ちているものなのに、ここはまるで作られた映画セットのように、そのようなものはほとんど見当たらないと気づく。


「他にはどんな仕事があるんだい」

 佐賀は聞いた。

 ヘロは、「とりあえずこの街を案内しよう。それも、英雄としての仕事の一つだ」と言った。


 喫茶店のあった建物からぐるっと大きく一周して、佐賀とヘロは一時間ほどかけて戻って来た。その間に佐賀は、ヘロの英雄としての仕事をいくつか見ることが出来た。


 今回佐賀が見たヘロの行動の全てにおいて、共通して言えることが一つあった。それは、ヘロはその達観したような目で、行く道の隅から隅まで、まんべんなく観察していたということだ。


 ゴミが落ちていたら拾う。

 重たい荷物を持っている老婆がいれば手伝う。

 遅刻の時間にトボトボと下を俯きながら歩いている男子中学生がいれば、明るく声をかける。まるで、この目で見たものは何も取りこぼさない、とでも言うかのように。


 なるほど。

「要は、この街を観察しているというわけだ。英雄として」

 と図書館の建物の前にあるベンチに座りながら佐賀は言った。ヘロは少し笑って頷いて、「お茶か水どっちが好きだい」と佐賀に聞いた。

「お水」

 佐賀がそう言うと、ヘロはすぐ近くにある自動販売機に行って、同じ水を二本買って来た。差し出されたペットボトルを片手で掴みながら、佐賀は、「これも英雄としての仕事か」とヘロを見上げて言ってみる。

「これは残業みたいなものかな」

 ヘロはベンチに座りながら、そう返した。


「大変そうだ」

「否定はしないよ」

 佐賀は、既に薄々感じていたことではあるが、なんだ話せるやつじゃないか、とここで思い直してみる。


「大変とか、残業とかがない仕事はないと誰かが言っていたよ」

 はは、とヘロは声にして笑って、「確かに、だから英雄は仕事と言えるのかもしれない」とペットボトルを傾ける。


「でも、英雄を仕事と呼ぶには、一つ疑問が残っている」


 うん? というようにヘロは肘をついて前傾になった姿勢から、佐賀を振り向く。その様子は、とても普通の人間、という風に見えた。


「まさかボランティアでやっているわけじゃあるまい」


 仮に働いている奥さんがヘロにはいて、主夫の暇つぶしとしてやっているのだとしても、その語調と熱感で「仕事」とは普通、呼ばないはずだ。


「鋭いね。英雄は確かに仕事だ」

 ヘロはそう言って、しかし佐賀の期待したような答えではなく、「僕の天職だよ」と言っただけだった。


 佐賀はここで踏み込んで、その話の方向をなぞっていくことは、しようと思えばできた。しかし直感が、止めておいた方がいい、と言っていた。なぜか、説明などできないが、触れてはいけないことのような気がしたのだ。じゃあ、

「ところでその衣装は何か、深い意味があるのかい」

 これくらいはいいか、と佐賀は、この人物を最初に見た時から持っていた疑問を、ようやくヘロに言った。


「ああ」

 ヘロは、自分の着ている紅いスーツを俯瞰するように顎を引く。

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