第8話 そういう感じ
喫茶店を出ると陽にぬくもりを感じた。それでカシャン、と古びた体内時計がリセットされたような気がする。季節は春の入り口、駅に向かう学生や会社員たちの視線がヘロに向けられるのが分かる。英雄というだけあって、注目の的のようだ。
「じゃあまた」
千尋はもう少しで図書館での業務があるため、信号を渡って図書館へ歩いていく。
「ああ、また」
佐賀は歩いていく千尋の背中に声をかける。
「彼女はいい人だ。千尋さんは」
千尋が建物に入って背中が見えなくなったところで、後ろにいたヘロは佐賀にそう言った。
「ああ、なぜここで図書館司書をやっているのか知れない」
ヘロが千尋を褒めたのを少し悔しく感じた佐賀は、それを上回る感じの彼女への分析を口にしてみる。
「仕事とは価値観さ。人の役に立てている、価値観としてそう自分が心から思えるのならそれがどんな仕事でも、その人にとっての天職なんだ」
真っ直ぐ歩き出しながら、誰が聞いたわけでもないのにヘロはそう言った。
「なるほど」
佐賀はそれに付いて行く。
だから人はいまやれている仕事からすぐ転職したいわけだ。
そんな皮肉を返そうと思うものの、佐賀の口はジッパーを閉めたように開かず、なるほど、その四文字だけで終わる。ああ、「そういう感じ」の人間なのだな、と佐賀はヘロに対してここで第一印象を決めた。
「そういう感じ」の人間。
つまり、人と社会の世の中で上手くやっていけている人種が、それまでの人生で何をしてきたか、習慣、思想などにおける共通項を集めて紡ぎ出されたこの世で最も価値の低い書物、自己啓発書を好んで読むタイプの人間。それが「そういう感じ」の人間だ。
「ほら」
言って、ヘロは足を止めた。佐賀も足を止める。
「ここは駅に続く道だ」
相変わらず、街ゆく人たちの視線はヘロに集められる。時々、ヘロはサッと手を挙げてみせるが、それを受けた人たちは苦笑いを返すだけだったり、元気よく手を挙げ返したり、反応はそれぞれといったところだ。
「いかにも。ここは駅に続く道だ」
「そう。それなのに」
ヘロはしゃがんで、地面に落ちているものを拾った。拾ってヘロが佐賀に見せてきたのは、開封済みの小さなお菓子の袋だった。
「いまのところゴミは、この小さなお菓子の袋しか落ちていない」
喫茶店の建物からここまで、ヘロと佐賀は四百メートルほど歩いてきた。
「ほう。その調査結果は良いのか、それとも悪いのか」
ヘロが摘まんで見せてくるその小さなゴミを見ながら、佐賀は調査員の一人みたいに聞く。
「調査か。確かに調査だけど、これは英雄としての仕事の一つさ。駅に続く道で、落ちているゴミがこんな小さなお菓子の袋一つなんて、そんな街は日本の都市のどこを探したって、ここ以外にない」
「ほう、なかなかのフィールドワーク力だ。日本全国の都市をどれだけゴミが落ちているかって、一つ一つその足で調べてきたのか」
からかう、そういうつもりは佐賀にはない。ただ、佐賀のいつもの言動は、「そういう感じ」の人間にとってナチュラルな詰問になるのだろう。堅いというか、深刻というか。
少し間ができ、ああ、余計なことを聞いてしまったか、と佐賀はその沈黙の中で思う。実際に日本全国の都市を調査してきたなんて返答が帰って来るとは思いもしていない。ただ「そんなわけないだろう」とサラリと返ってくるだろう会話のテンポを佐賀は楽しみたかっただけだ。ヘロは「そんな街は日本の都市のどこを探したってここ以外にない」と言い切ってしまったことについて「そういう感じ」につき真面目になろうとしている。
「まあ、そんなことは名誉ある大学教授でも困難を極めるだろうけど」
佐賀がその真面目さをほぐすようなセリフを言ってみると、ヘロは、「じゃあ僕はその名誉ある大学教授よりも、名誉があるのかもしれない」と言って、ニッと笑うのだった。
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