第7話 可憐な女子

 趣味として絵を描いていたころ、まだ高校生の佐賀は、家の近くの道場で空手を習っていた。絵を描くことは好きだったが、それよりも空手の修行をすることの方がこのころの佐賀にとっては重要なことだった、というのも、このころの佐賀は本気で空手の道に生きようとしていたからだ。


 そんななか、高校二年生、十七歳の秋、佐賀は高校時代に仲の良かった五十嵐という友達に誘われて、地域では有名な祭りに来ていた。


 祭りに行くという何のこともない、ただただ高校生が青春のアルバムの一枚に思い出を張り付けるような行為ではあるが、佐賀はそのとき武道を志す修行人、「遊ぶ」ということを知らず、キラキラした屋台で何かを買うことも、友達が楽しそうにはしゃいでいる様子に加わることも、夜空に打ち上げられた花火を見て特に感動することも無く、ただただそのときの佐賀は、


 早く帰りたい。


 と、顔と口には出さないまでも、心の中ではずっとそんなことを考えていた。


 それでも五十嵐が佐賀のことを祭りに誘ったのは、佐賀の生まれ持った、不思議と周囲の人間から誘いを受けやすい体質に他ならない。佐賀は、高校生としては他に類を見ないほど質素に誠実にストイックに日常生活を送っていたため「真面目でクールだけど熱いやつ」と周りからは映り、それが高校生というコミュニティの中からすれば、好印象を持たれやすかったのだ。


 それでも、佐賀の心の内としては、「早く帰りたい」という、ただそれだけである。周りの人間がいかに自分のことを好意的に思ってくれているとしても、そんなものは佐賀の心の中で何を考えていようかまでは関係なかった。


 退屈な打ち上げ花火も全て終わり、ぞろぞろと駅へ向かって歩いて行く。そんな中で五十嵐が誘って一緒に来ていた友達の中の一人、聡明で、肌が白く、可憐な印象の女子が佐賀の隣を歩いていた。


「珍しいね、佐賀君来るって」

 名前はよく覚えていない。振り返ってみれば修行に明け暮れていた高校時代、クラスメイトは五十嵐くらいしか本当に覚えていない。つまりそれほど、佐賀は青春を空手に賭けたのだ。その日も、こんな場所に来るくらいならば体を鍛えにジムへ行っていた方が良かったと、五十嵐の誘いに乗った放課後の自分を本気で後悔するほどだった。


「ああ、たまには」

 短く佐賀は返す。


 群れるのを嫌う佐賀は、グループで移動しているときに自然と一人になっていることが多い。その日も、佐賀は、五十嵐が中心となって男女十人くらいで来ていたグループの中で、二人、四人、三人、という感じでできている他の小さなグループに対し、空気みたいに一人でその間を静かに歩いていた。その可憐な女子は、たまたまどこかから抜けて漂流していると、佐賀にピト、とくっついたようだった。佐賀と可憐な女子、自然に二人で歩いている。


「いつもクラス会とか来ないから、今日はあれ? お稽古休み?」

 こてん、と首を傾げて可憐な女子は佐賀に聞いてきた。意外と、仕草は可愛げな女の子だった。


「いや、稽古は休みじゃない。いまも稽古してる」

 佐賀にとって、その会話さえ稽古の一部であり、呼吸一つ、歩いて前に動かす足一つ、全てが稽古のうちの一つであり、つまり高校生という十代のころから佐賀は、いまの佐賀が芸術家をやっているに至る所以ともいえるが、面倒な思考をしていた。


「イズイッノートレイニングデイトゥデイ?」

「アイムトレイニンナウ」

「模試英語は佐賀君、校内一番だと聞いたけど」

「英語は得意だ」

「嘘だあ。話が通じないよ」

 可憐な女子が笑ってそう言うのに対しても、そのころの佐賀は武骨に「ああ、武道家は話が通じない」と言う。


「それは納得」

 それから皆で帰りの電車に乗るまで適当なことを喋って、電車に乗ると佐賀はまた一人になった。後日、その可憐な女子と学校で話したりということは、特にない。

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