ドーナツどころじゃない!

お目当てのお店でドーナツを買った私たちは、主要都市から東に少し行った所にある森林に足を踏み入れた。

魔力検知を展開すると三十人ほどの魔法使いと、その奥の千体ほどの魔獣を確認できる。

どうやら魔獣は移動しているわけではないらしく、イメージとしては先日のラズさんの様な差し迫った脅威への対応というよりかは後々の不安要素を摘んでおくものと言った方が近いかもしれない。

ざくざくと森にしては整備されている道を歩いていくと、切り開かれた土地に簡易的な野営地が築かれた場所に着いた。恐らくここが臨時的な活動拠点なのだろう。

ラズさんが歩いていく方向には一つだけ色の違うテントが張られているので、あそこに今回の魔獣掃討作戦を指揮する人が居るはずだ。

些か緊張し、ついさっき離した手でラズさんの袖をぎゅっと握ると、ラズさんはほわっと笑って「良い人だから大丈夫」と私の髪を少し梳いて中に入った。

慌ててラズさんの背を追うと、中では真っ白に染まった髪を短く刈り込み、眉間に皺を寄せながら口をへの字に曲げている、まるで巌のような人が新聞を読んでいた。

入ってきた私たちに気づいたのか、新聞からチラリとこちらを覗く赤銅の眼光は今まで狩ってきたどの魔獣よりも鋭く、威圧感のあるもので、見定めるかのような視線が私を貫く。

たまらず握っていたラズさんの袖に飛びつくと、ラズさんはこの状況を想定していたかのように余裕ありげな表情で噛み殺したように笑った後、とんでもない存在感の老兵に向き直った。


「お疲れ様です。グラードさん。また目悪くしたんですか?」


まるで仲のいい友達のおじいちゃんに話しかけるようなフランクさで声をかけるラズさんに、少々、いや多分に肝を冷やしはらはらと件の老兵を伺うと、今までの堅物そうな雰囲気から一転、にんまりと人付きしそうな顔で、「おお!ラズか!」と喜色も顕に顔を綻ばせた。

あまりの転身ぶりに肩透かしを食らったように呆けていると、ラズさんが「言っただろ?良い人だって」と耳打ちする。

にしたってあの顔で新聞読んでる筋骨隆々の老兵がいたら萎縮するでしょうよ…とラズさんの言葉足らずを少し恨みながら、グラードさんの様子を見てみれば、まるで孫が家に来た時のおじいちゃんの様に顔を緩めながら、えちっらほっちらと簡易的な椅子を広げている。


「すまんなぁ、茶菓子のひとつも出せなくて」

「それなんすけど、差し入れ持ってきたんで、よかったら皆で食べてください」

「おぉ…ラズの差し入れはハズレが無いからなぁ…」

「ハードル上げるの辞めてくださいよ。一応色んな種類買ってきたんで、口に合えばいいですけど」


どうやらラズさんの味覚は広く信頼されているようで、ラズさんから差し入れという言葉を聞いた途端にグラードさんはキラキラと満面の笑みを浮かべた。その姿はさながら少年である。


味な人だなぁ、なんてほんわかしていると急にラズさんの手が私の両肩に置かれ、グイッと前に突き出された。


「紹介しますね。こいつが何ヶ月か前に採った弟子です」

「ラズが弟子…!?」


普段の教え慣れしている様子からは想像も出来ないが、そういえば私がこちらに来る以前のラズさんは弟子を採らないと言って聞かなかったそうなので、グラードさんも例に漏れず、驚きに細い目を目一杯見開いている。


「あ、えっと、マリエル…です!少し前から師匠に師事してます!」


最初言葉につっかえたり、名前を全て言うか迷った結果中途半端になったりと、相も変わらず酷い自己紹介をしてしまった。

対するグラードさんはぽかんと口を開けて心ここに在らずといった様子だ。

何か変なことを言ってしまったのかと滂沱の冷や汗を書く私を見かねたラズさんが、「あのー、グラードさん?」とここでは無いどこかを見ていそうな視線の先で手を振ってみせた。

するとグラードさんも漸くこちらの世界に帰ってきたらしく、ぱちぱちと目を瞬かせながら「あぁ、失敬失敬」と頭を振る。


「グラードじゃ。こんな老いぼれだが、一応魔法使い指南役代表をやってるから、何か困ったら頼ってくれると嬉しい。」

「あ…はい!不束者ですがよろしくお願いします!」


正直に聞きたいことは山ほどあったが、出会って早々にあれこれと人の情報を聞くのは失礼に当たりそうなのでグッと飲み込み、ぺこりと頭を下げると、グラードさんもゆっくり丁寧に腰を折った。

ここからは積もる話を消化しつつ作戦の概要を話すことになり、グラードさんの協力で首尾良く差し入れを配り終えた私たちは、元の真っ白なテントの中に戻って机を囲んだ。

グラードさんがお茶を淹れてくれるそうなので、私たちは差し入れで持ってきた箱を広げて、各々が取りやすいように机に並べる。


「グラードさんて凄い方なんですね」

「そうだな。魔法使いとしては文字通り一級だし、指南役代表になるだけあって教えるのも上手い。今回みたいに大規模な作戦の指揮を執ることも少なくないから統率力もあるし、見てわかる通りムッキムキだから騎士としても十二分に動ける。俺の尊敬する恩師だよ」


聞くタイミングは今しかないと思い、こっそり話しかけると、ラズさんは自分が褒められた時よりも誇らしげな顔をしながら、あれやこれやとグラードさんの凄いところを教えてくれる。

その音は信頼に満ち満ちており、本人の言う通り、ラズさんはグラードさんを深く尊敬しているようだ。

奥の方、と言っても簡易テントの中なのでさほど距離が離れている訳でもない所でお茶を淹れていたグラードさんは「あっち」と手を引っ込めたあと、恨めしげにこちらを見てくる。


「褒めたってなんも出んからな」

「お茶が出るっすね」

「…せめて聞こえん所でやってくれ…小っ恥ずかしい」

「いやぁ、まさか聞こえてるとは。ははは」


イタズラっぽく笑ってみせるラズさんに、新たな一面を見たような気がして悶えかけているとグラードさんが席に戻って来た。


「じゃあ食べながら説明しようか」

「おいっす」

「はい」


正直なところお昼を食べていないので程よくお腹が空いていた私は、眼下に広がるドーナツ達を暫し睥睨した後、先ずはオーソドックスなものからとトッピングが何も無い、如何にも普通のドーナツ然としたものを手に取った。


「今回は長期戦を予定しておる。一級の魔法使いが儂しかいない以上、力押しでどうこうは厳しいからな」

「まぁ、人手不足ですもんねぇ…」


一口食べて見ると、さっくりとした食感で歯切れよく食べ進められる上に、ほのかに砂糖の甘みが香って飽きが来ない。

これぞまさにドーナツと言わんばかりのベーシックさだが、故に店自体のレベルをまざまざと感じる。


「それもあるが、最近は一級を目指す若者が減っているらしい。確かに給与は上がるが忙しいからなぁ」

「わからんでもないんすけど、流石に厳しいですよね」


あっという間に一つ目を食べ終えた私は、もうどれを食べても美味しいだろうという確信に基づき、自分の位置から一番近い所にあったドーナツを取った。


「まぁ、嘆いても仕方があるまいよ。でだ、魔獣が発生した場所はここから少し西の洞窟周辺なんじゃが、如何せん数が多い」

「そうっぽいですね。千はいるかな?」

「いるじゃろうな…。それを生真面目に一匹ずつ狩っていては日が暮れてしまう。そこで作戦を用意した」


丸いフォルムのそれは、ふわふわのパン生地の中にクリームがぎっしりと詰まっているもののようで、ぱんぱんに膨れ上がった姿はいつぞやの団子と似たような感情を想起させる。

何故か『ごめんなさい』と一謝りしてから、思い切ってがぶりと頬張ると、どっしりとしたクリームが口いっぱいに広がり、思わず表情をだらしなく緩めてしまった。

個人的にはふわふわとしている軽めのクリームの方が好みなのだが、ドーナツの中に入れるのであればずっしりとした重めのクリームが正解だと思わせるには十分な満足度である。


「端的に言えば、魔獣を洞窟まで誘導し、水魔法で一掃する」

「まぁ一番手っ取り早いですよね」

「そうじゃな。順序としては三十人で魔力を集め、そこらに跋扈する魔獣を周辺に集めた後、それらを一斉に魔石に変換して洞窟に放り込み、奥まで誘導したところで水責めで叩く、という流れじゃ」

「いいですね。グラードさんらしい作戦で。だそうだけど…聞いてた?」


もぐもぐと口いっぱいに幸せを堪能していると、不意に唇の横あたりにふにっと指が触れる感触する。

不思議に思いながらそちらを見ると、ラズさんがとても残念な子を見るような目でこちらを見ていた。

伸ばされた指にはクリームが付いているので、どうやら私の口の端に付いてしまったクリームをとってくれたらしい。


「はぁ…このあほが…」


心の底から呆れた様な声で呻くラズさんに、グラードさんはガッハッハッと景気よく笑って、「まだまだ可愛い盛りの女の子じゃないか」と窘めるように言った。

ついついドーナツに夢中になってしまって、穴があったら入りたい思いで身を縮めていると、ラズさんが、「じゃあ俺からもう一回言うからちゃんと聞いとけよ?」と言う。

その仕草が今まで見てきたどんな仕草よりも男性的な蠱惑さを孕んでいて、私は堪らず顔を赤くし、口をぱくぱくとさせるぐらいしか出来なくなってしまった。


「―っていう流れなんだけど…って聞いてる?」

「……きゅうぅぅ………」

「あ!?おい、大丈夫か!?」


目を回し、顔を首元まで真っ赤にして倒れ込んだ私をラズさんはギリギリの所で受け止めた。


――不意打ちは反則だと思います……


「おい!どうした!?熱か!?」


しゅーっと湯気すら出していそうなほど真っ赤になった少女の肩を抱きながら、控えめにゆさゆさと揺らすラズを見てグラードはため息を一つ吐いた。


「…今のはラズのせいじゃろて…」

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