北の町並みとうっかり
「ふふーん。ふふーん。へへ」
「......」
まだ影がずうっと前に伸びるような時間に家を出た私たちはぺったりとくっつきながら乗合馬車を目指していた。
今日の私はご機嫌である。
ラズさんとお出かけ出来るだけで嬉しいというのに、今朝頑張って頑張って考えて選んだ服を褒めてもらえたのだから女の子としてこれほど幸せなことは無いだろう。
ラズさんをがっちりと捕まえているこの腕は、勿論くっつきたいというのもあるが、その実放っておくと踊りだしてしまいそうな衝動を何とか抑えているという側面もあったりする。
実にご満悦といった様子で鼻唄さえ口ずさむ私に、ラズさんは呆れるのやら恥ずかしがるのやら暑がるのやら、色々な感情を行ったり来たりしているようだ。
まぁ確かにべったりくっつくのは良くないのかもしれない。暑いし。
そう思ったが、ただで腕を開放する程私も馬鹿じゃないのでここは『代わりに手をつなぐ』という事で手を打とうと思う。
提案しようと口を開こうとした瞬間、後ろから「あっ」っと聞き覚えのある声がした。
私はばっと、ラズさんはぎぎぎと音がしそうな程ぎこちなく振り返った先にいたのは、いつもの白衣姿から一転、シャツにスラックスというラフな姿をしたガブエラさんだ。
私たちの密着度合いを見て、次第に「あらあら、まあまあ」といった具合の表情をしていく様はラズさんから見れば悪魔そのものだろう。
というのを何処か他人事として受け止めつつも、このままではラズさんが茹で上がってしまう可能性すらあるので、一旦ラズさんの腕は開放してしまうことにする。
「おはようございます。ガブエラさん。今日はお仕事お休みですか?」
「うん。って言っても休み取れたのは午前だけで午後から仕事なんだけどね。はは...」
「あぁ...」
音でこそ笑っているものの、目が全く笑っていない。というか感情の一切を感じさせない深淵そのものとさえ言えてしまいそうな色を湛えた瞳は、これ以上この事について言及する事を許さないものだ。
ほんの少しの間は虚ろに地面の何処かを見ていたが、流石はガブエラさんといった所か、すぐにいつもの調子に戻り「二人はお出かけ?」と聞いてくる。
私はラズさんの袖をぐいぐいと引っ張って『この人のおかげで今ご機嫌です!』とアピールしながら「そうなんです」と答えた。
「珍しいね。引きこもりのラズがわざわざ外に出ようとするなんて。ねぇ?ラズ?」
「...まぁ」
すいーっとラズさんに視点を移したガブエラさんとは対照的に、すいーっとガブエラさんから視点をずらしたラズさんは低く呻くように言い、頭をガシガシと掻いた。
あ、これはそろそろ限界だな、と思った矢先、ラズさんが「もういいだろ、行くぞ」と私の手を取って歩き始めてしまった。
「わっ。じゃあガブエラさん、また何処かでー」
「はいよー。楽しんできなーー」
ラズさんは私の手を取りながらずんずんと歩いていく。
私から提案するつもりだった上に、余程の人混みに行かない限り自ら手を繋いでくれることなんてなかったのでちょっとどきどきしながらも、恥ずかしさに気を取られて歩くペースが大分早くなってしまってる所なんかは可愛いなぁと思いつつちらりとラズさんを伺うと、そこで漸く私が若干小走りになっていることに気づいたのか「あ...スマン」と歩幅をいつもの私に合わせてくれた。
私が「いーえ?」と見せつける様に繋いだ手を振り、悪戯っぽく笑って見せると、ラズさんは今度こそ茹蛸の様に真っ赤になって顔を手で覆ってしまった。
これはやりすぎたかなぁ、と一瞬考えたが、割とラズさんは放っておくと回復するタイプなので、乗合馬車で回復してもらえれば旅先でもこのまま、という事は無いはずだと結論付けた。
この際、バクバクと駆けるラズさんの心音は聞かなかった事にしてあげよう。
乗合馬車をいくつか乗り継ぐこと二時間と少し。
太陽もすっかり天高く昇ってギラギラと存在を主張し始めた頃に、私たちは件の北の街に着いた。
てっきり先に見学をしてから観光するものだと思っていたのでラズさんに予定を確認すると、まずは差し入れを買ってから見学に向かい、その後改めて観光をする予定だそうだ。
なんでも『俺が行くとどうしても気を遣わせるからせめても』との事。
こういう所は案外マメだよなぁ、なんて思いながら馬車を降りると、今まで見てきたどの街とも明らかに異なる配色に視界が弾けた。
「わぁ...」
「綺麗だよな。ここ特有って感じ」
眼前の町並みは色が綺麗に統一されていた。
つるりとした気品に満ちた銀白色と、涼し気で、景観を纏めつつもどこか茶目っ気のある天色が、見渡す限りに広がっている様は圧巻というほかない。
元々の地形を上手く活用しているらしく、ラズさんの町とも西の町とも異なり、かなり高低差があるがそれすらも景色としての完成度を上げるのに一役買っている。
雲一つない晴天が差す日光を浴びてきらきらとその相好を変えていくのが美しく、そしてどこか愛らしい。
―気分屋の女の子みたいだなぁ
「おい、いつまでも立ち止まってたら邪魔になるぞ」
「あ、は、はい!」
余りの景観に圧倒されると、人は思考の速度が落ちるのかもしれない。
平時の半分かそれ以下のスピードでゆったりと感想を抱いていたらしい私は、気づけばそれなりの時間立ち止まっていたらしく、同じ乗合馬車から降りて行ったはずの人たちは忽然と姿を消していた。
慌てて着いていくとラズさんは手を差し出しながら「ん」と一言。
まさかラズさん相手に真摯さやスマートさなんぞ求めたりはしないが、余りにぶっきらぼうなその姿勢にくすくすと笑いながら、『紳士にされたらされたで照れちゃいそうだからこれでいいか』と己を納得させて手を取った。
「差し入れ、何買うんです?」
「ドーナツかなぁ。ここら辺で美味い物それぐらいしか知らないんだよな」
「ドーナツ!いいですね、私も買います!」
「いや、まとめて大量に買っちゃうからそっから取って食えばいいよ」
「む。それならお言葉に甘えます」
どうやらラズさんは既にこの街に来たことがあるようで、恐らくドーナツ屋に向かう足取りには迷いが無い。
するすると小道を抜け、階段を上り、大通りに出ると、ピタリとラズさんの足が止まった。
「迷った」
「......っく...あははは!ははは!」
どうやら迷いのない足取りは生来の歩き方らしく、その実頭の中ではあっちかこっちかと試行錯誤していたらしい。
私がけたけたと笑っていると、ラズさんは顔をわずかに赤くしながら頭をぼりぼりと掻いて「仕方ないだろ、そんな来た事無いんだし」と愚痴る様に溢した。
その姿が言い訳をする子供の姿そのままだったのが余計に私のお腹を擽り、尚も笑い続けていると、ラズさんは流石にカチンときたのか「このクソガキぃ」と私の頬をかるぅく引っ張った。
「ひひ...ははは...はは...ふぅ。いや、丁度土地勘あるんだなぁと思ってた矢先に言うもんですから、面白くてつい」
「...この街は風景がほぼ変わらんから分かりづらかっただけで方向感覚は正常だぞ」
「あぁ、言われてみれば確かにそうですね。建物がこうも一色だと覚えにくそうです」
確かに景観として見るのであればこの町並みは一級品だが、実際にこの中を歩くとなると風景が変わらなさ過ぎて不便だろう。
「どうしよっかなぁ」
「......あ、聞こえましたよ?”ドーナツ”」
私とてただ笑い呆けていたわけではない。
私はラズさんが迷ったと言ったその時から耳をフル稼働させて周囲の音を拾っていた。
丁度叔母様が『ドーナツでも買って行こうかしら』と言っているのが聞こえたのでそれを伝えると、ラズさんは暫く訝し気な顔をした後、この前のやり取りを思い出したらしくはっとしたと思えば、みるみるうちに畏怖と同情を混ぜたように「いや...有難いんだけどさぁ...お前も大変だな」と言った。
「いえ、そうでもないですよ?今回はいつも遮断してる所まで広げたってだけですので」
「えぇ...切り替えまで出来んのかよ」
「まぁ出来ないと情報が飽和しちゃうので...」
昔はこれが出来ないばかりに夜寝付けなかったり熱を出したりとそれはそれは不便だったものだ。
懐かしむようにしみじみと言うと、ラズさんは純度百パーセントの同情を向けてくる。
まぁ過去の事を考えても仕方あるまい。それに今はこうして便利だと思う事の方が多くなった訳だしこの聴力を疎ましいとは微塵も思わないので結果オーライなのだ。
少ししんみりしてしまった空気を切り替える様に私は手をぱちんと打ってにかっと笑って見せる。
「それはまぁ置いといて。早くドーナツ買わないと、魔獣の駆除終わっちゃうかもしれないですよ?」
「...ま、そうだな。とっとと行くか...ってことで案内タノム」
ラズさんは少しの間、真意を確かめる様に私の目の真ん中をじっと見ていたが、私の調子を見て意思を汲んでくれたらしく切り替える様にぐいーっと伸びをした。
最後はどこか情けない様に頼み込むラズさんだが、これは恐らく雰囲気を戻すためにおちゃらけてくれたのだろう。
手の取り方こそ紳士的とは言い難いが、このようにこちらの意思を汲んで、求められている行動をすっと行える所はラズさんのいい所だ。寧ろスマートに振る舞う事を表面的な紳士さとするのなら、ラズさんのこれは本質的な紳士さと言えるだろう。
「やっぱり好きだなぁ...」
「―ん?なんて?」
「あ...い、いえ!何でもないです!!ほら行きましょう!」
つい本音が口から漏れ出てしまって焦る私に、ラズさんは本当に聞こえなかったのか怪訝そうな顔を向けてくる。
この頃は何かにつけて繰り返し繰り返し思っていたのでついつい口をついて出てしまったようだ。
この話を言及されても困るので、私は強引にラズさんの手を取って声のした方へ歩き始めた。
どくどくと高鳴る鼓動はラズさんに聞かれてしまってはいないだろうか。
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