●1級ヒツジ雲使いマーサ
マーサは今、
SCGの敷地内にある赤い屋根のサイロ。
その最上階で、製雲魔導師モアモアに謁見していた。
バラライカ名産のカモミールティーを銀トレイに乗せ、淡いピンク色の魔導着を纏ったモアモアが表れた。
「いらっしゃい、マーサ。あの事件、まだごたついているみたいじゃね。
さ、この紅茶は精神安定効果もあるんじゃ」
そう言って白い円卓にティーカップを2つ置くと、ベニ砂糖と羊のミルクを添えた。
「婆ちゃん、ありがと……頂くわ。」
甘党のマーサは、ベニ砂糖のキューブを3つ
ポチャン*、ポチャン*、ポチャン*とカップに沈めた。
銀スプーンで混ぜると紅茶は芳醇な香りを放ち、真っ赤に変色した。
「まったくぅ。やんなっちゃうワ……今度で12回目よ。もう話す事なんてないのに」
赤い液体で喉を潤すと、ホッペを膨らませてモアモアの婆さんにグチをこぼした。
ミッション389の事情聴取は未だに続いていたのだった。
マーサは唯一の客観的な目撃者として、今日も連邦宇宙局へ出向かなければならなかった。
「しょうがあんめぇ。連邦宇宙局の呼び出しじゃ、断れやせんよ。いくら【ラピス・レイヤー】の下部組織だからって、あそこの連中は他民族とも繋がっとる。この事案は惑星パーミル全体の問題に発展しかねないからの。それより、おまえさんの放射線残量……もう安全域にはいっとるのかい」心配そうにマーサのクリーム色の髪をなでた。
「平気よ、もう1ヶ月も経つのよ。除去シャワーだって散々浴びてるし。1msv(1ミリシーベルト)も残ってないわ」
「なら、いいんじゃが…。おまえさんの愛雲バベルの具合が芳しく無くてな。まぁ、今は保養牧場のほうで休ませとるんじゃが。事情聴取で忙しいのは分かるが、おまえさんも一度見舞いに来とくれ」
マーサは少ししょんぼりして答えた。
「バベル………。わたしがムリさせちゃったから? よね。近いうちにきっとお見舞い行くわ。モアモア婆さんバベルの事よろしくね」
そう言いながら、マーサはあの日の事を思い出していた。
この嫌な回想も既に何十回も反芻していた。
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〈先方30°08′クラック異常発生。その奥に異物を目視! 追撃する〉
ハッキリ覚えてる。ミッション389でハウラー・ナックスが送ってきた最後の通信……。
〈待って! あなたのトップスピードには付いていけない〉
情けないこのセリフが、自分の返答だ。
そして、この返事が受信されていたかは、定かではなかった。
ハウラーは、通常でもマッハを越す高速移動を行っていたから、この時もただ見失っただけだと思っていた。
でも、いつもの感じと少し違った…………。
ある空間で忽然と消えたようだった。
マーサはその違和感に関しては、確証が持てなかったので未だに誰にも話していなかった。
ハウラー本人に確認する以外に方法はなかった。
ただ、恐ろしい事件はその直後に起こった。
黒い裂け目クラックの奥から、深紅の長い尾がビュンと飛び出し目前に迫ってきた。
咄嗟に乗っていたバベルに【吸収】の技を酷使させてしまった。
バベルが弱ったのは、【吸収】使ったせいだ……。
いつものわたしの悪い癖。【吸収】は強力な技だけど、そのぶんヒツジ雲の負担も大きい。【反射】か【回避】で対処するべきだった。
【吸収】という技は、使用後にバベルの体内に多量の被爆物質を取り込む事になる技だった。バベルはその結果かなりの静養が必要になった。ヒツジ雲にとっては、リスクの大きい技だ。
マーサは愛するバベルに多大な負担を掛けたことを悔いていた。
後で本部のソナー解析で、あの赤い尾の放射線指数が異常な数値だったことが明らかになった。
そこへ来て、追跡した本人のFD発言が重なり【ラピス・レイヤー】本部は騒然となる。
「事態はこの上なく深刻だ」とバール総司令官(談)
追加項目として
・事例58-Sz M389は異物の正体が明らかになるまでトップシークレット〔極秘事項〕とする。レイヤー及びヒツジ雲使いは本件について守秘義務を負うものとする。
【ラピス・レイヤー】各部隊とヒツジ雲使いに、書面で通達がなされた。
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マーサが感じていたハウラー・ナックス消滅の違和感。
それを本人に聞こうとも、現状では不可能だった。
ハウラー・ナックス自身は事件以来、連邦宇宙局に拘束され外部接触を断たれていたからだ。
いっさいの素性を隠し入隊したハウラー・ナックス。
その謎めいた存在がFD目撃発言と重なり、連邦宇宙局は正体を突き止めようと躍起になっていた。
白羽の矢はその採用を決定した【ラピス・レイヤー】総司令官バールにも向けられている。
ただ、バールは実力至上主義であり、「素性など関係ない!」と強気につっぱねている。
マーサは執拗な事情聴取で、ほとほと疲れていた。
『きっと、ハウラーが消えた……という話をしたところで、宇宙局の堅物達ははなから取り合わないだろう』
“おまえの思い過ごしだ”と一蹴されるのは目に見えていた。
『ハウラーは、自分が絶滅した筈のハイ・シビル種だって言うし。それでお婆ちゃんがイカロス・ファストのメンバーで、その昔話しに出てくるフレアドラグーンに似ていたって……。お婆ちゃんのテンカンプスっていう名前も、どの在籍名簿にも記録は残っていないらしいし。あのこに不利な情報しか出てこない……』
恒星メガの修復任務事態、もう100年も前の話。
もちろんイカロス・ファストの輝かしい功績は記録されているが、その編成の詳細や構成メンバーの個人情報などは現存していなかった。
この100年の間に5度のクラックが発生し、混乱した世界では記録を保持する事は連邦宇宙局の力を持ってしても難しかった。
もし記憶を持つとしたら、この惑星パーミル上では1000年の寿命を持つとされる【メイシ族】以外に存在しないだろう。
ただ、バールも含め【ラピス・レイヤー】の上層部は、そこまで追求しようと考えてはいなかった。
現時点でまだハウラー・ナックスの重要性に、気付いていなかったのだ。
マーサの使ったバベルの【吸収】という技は、搭乗ヒツジ雲バベルにだけ可能な荒技で、放射線を体内に取り込み代償として術者(この場合はマーサ)の放射線被爆率を回避するものだ。
ヒツジ雲にとっては、リスクの大きいものだ。
マーサは愛するバベルに多大な負担を掛けたことを悔いていた。
そもそも製雲魔導師モアモア(SCG最高責任者)の役割はヒツジ雲達の体調管理である。
その際、戦闘でのケガの治療から放射線汚染の除去まで、いつヒツジ雲使いに召集を掛けられても対応できるよう、万全の体制を整える事。
さらには各個体の特殊適正や、【新技】を発揮できる新種のヒツジ雲の
育成などを行っている。
シープクラウドガーデンSCG(ヒツジ雲の里)には、ヒツジ雲使いの養成機関としての顔と、もう一つヒツジ雲達の管理・養成・飼育という大切な側面を持ち合わせていた。
特に今回のバベルの例では、使用限界を越えた【技】の使用である。
……という世論が上がった事も事実だった。
むろん【技】の使用は、ヒツジ雲使いの判断に委ねられているし、その使用頻度や限界について、SCGは厳しく教育を行っているのである。
ましてマーサはミーメに次いで2番手の使い手で、実力・功績共に輝かしい経歴を持つエリートだった。
総合的な意見の相違はあるものの、宇宙局の上層部とバール総司令官は、この案件に関わったのがナンバー2の実力者マーサである事。
その彼女の証言である事が、事態に信憑性を持たせていた。
結果として、深刻度は増すばかりたった。
マーサの力量を知った上で、この案件への見解が一致していた。
ハウラー・ナックス謎めいた存在もさることながら、その相棒のマーサへの事情聴取が執拗に行われているのは、こういった背景があったのだ。
マーサの見解がFD実在の可能性を、大きく左右する。
というのが上層部にとって、マーサ自身の証言を拠り所としている理由だった。
FDフレアドラグーンの再来という、この惑星の存亡に関わる大問題。
それは、こうして度重なるマーサへのストレスとして蓄積されていった。
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「3569,5,17.am1:00 ハウラー・ナックス率いるチーム58-Szは、ミッション389遂行中、高度80,000ftにてフレアドラグーンと思われる紅竜現象(現在確認捜査中)に遭遇。同行したヒツジ雲使いマーサは“私のお婆ちゃんテンカンプスが恒星メガで戦ってたっていう、フレアドラグーンの形状に間違いない”との証言をしている。…………高度8万フィートって言ったら大気圏外ある」
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