●ヒツジ雲使いミーメ
パラライカの丘は、今日も快晴だった。
緑の草原と真っ青な空でツートーンに塗り分けられた世界は、そのままこの遊牧国家の国旗にも反映されていた。
その2色の国旗には描かれてはいない何かが現実には存在した。
遊牧民のミーメはただ一点ポツンと小さな赤い点となり自由に飛び回っている。
少女は赤いチロリアン柄の放牧衣をまとっていた。
きゃしゃな肩にはふつりあいな巨大な‘つの笛’を担いで宙に向かって吹き鳴らす。
ミーメメメ♪ ミーミー♪ ミーメ♪ メメメ♪
彼女自身‘つの笛’の音色から自然と名付けられた《ミーメ》という呼び名が大好きだった。
甲高く宙をどこまでも上って行く、りりしくて透き通ったその響きに誰もが魅了された。
ひとたび‘つの笛’を鳴らせば、1000匹近いヒツジ雲が彼女の頭上に現れ楽しそうに踊り始める。ヒツジ雲の群れは笛の音に合わせ
渦巻きを作ったり、ハート型になったり、星型になったりした。
ミーメの心象風景がそのまま形になって現れているようだ。
ヒツジ雲に取り囲まれ一緒に宙を飛ぶ事もできた。
その様子は彼女を信頼し護っているようにも見えた。
若干にして街1番の「ヒツジ雲使い」と奉られ、国中の住民から敬愛されていた。中には国旗に赤い点を追記しようと言い出すものまでいるほどだ。世界の南西に位置するパラライカは第一次クラック以前は、養牧
場として栄えた牧歌的な街で、生きたヒツジを育て羊毛産業を主に
発展してきた。
ゆえに優秀な羊飼いの遺志を受け継いだその末裔ではないか……。
と、ミーメのような「ヒツジ雲使い」を崇める者も少なくなかった。
今でこそ、そんな明るい復興の兆しをみせるパラライカ……。
だが、この街の生立ちを知る老人達の目尻には、避けては通れなかった苦難の歴史が深いシワとなって刻まれていた。
あの忌まわしき第一次クラックによって、街の産業は一変に破綻してしまうのだ。
天が裂けその向こうから大量の宇宙線(コズミック・レイ)が降り注ぎ、多くの羊は失明し牧草も満足に食べられなくなった。
辛うじて失明を免れた少数の羊も、何世代か後に体内に放射線を蓄積させ癌に蝕まれ命を落としていった。
しまいには羊達は絶滅してしまった。
追撃ちをかけるように数十年ごとに第二、第三のクラックが襲い、この街を支え続けた羊毛産業は衰退してしまう。
後に「ウールショック」と呼ばれる暗い産業破綻の歴史であった。
全国民は産業の基盤を失い、未来の見えない失望の底に叩き落されたのだった。
ただ独りを除いて………。
それは、天候科学省で当時[宇宙線]の研究をしていたサイエンティスト「バール博士」だった。
博士は、危険な高エネルギー宇宙線を安全な微粒子にまで分解する
自らが団長を務め、クラックの縮小に立ち向かった。
彼は今、その総司令部から陣頭指揮を執っていた。
「おい、南南西のA2部隊からの連絡はまだ取れないのか!
オーバー」
バール隊長の厳しい音声が、通信機関長マックスのインカムに響いた。
「こちらマックス。只今、緯度33・西経58地点をホバリング中。
A2部隊だけが依然通信不能。後数分で目視距離まで接近できます」
「よし! 目視確認出来次第報告せよ」「ラジャー、ボス」
パチッ……! と、
インカム通信を受信モードに切り替えると、その背中に向かってハスキーな声がかかった。
「あら! またトラブルなの? だ・ん・ちょっ」
ビクッ! として振り向くと………。
そこには科学省時代の旧友メゾンド女史が、サドっけのある目をして微笑んでいた。
「なんだ。お前か! ちょと電磁ノイズに邪魔されて状況確認が目視になってるだけさ。 ったく、お前のトラブル好きには呆れるぜ ?」
「あ〜ら。今の無線聞いちゃったけど、南南西の丘でさっきミーメちゃんのヒツジ雲見かけたわよ。空気シャワーでも起きてんじゃないの ?
ニュートロンとか混ざってたらいくらミーメちゃんでも危ないんじゃないかしら」
「何だって! そりゃホントか! 」
「おい! 南南西の観測モニタをクローズアップしろ!」
団長の指示で目の前の20コマ程のマルチ画面がSSW(南南西)の単独画面に切り替った。
そこには空気シャワー特有の金色の斜線が豪雨のごとく降っていた。
もはや地上と宙の境さえ見えなかった。
「クッ! やっぱりこれじゃ見えねえな」
バールは下唇を噛んだ。
その時。インカムに着信反応があった。
「ポス! こちらマックス。目視による確認事項を報告いたします。
南南西3度より南東14度の範囲に、中規模空気シャワー発生を確認。
初期スピードはマクロ300速。ニュートロンの混入はありませんでした。
なおA2部隊を無事に発見。合流に成功しました。以上」
間髪いれずバールは叫んでいた。
「マックス! 近くにミーメのヒツジ雲 ‥ と ‥‥ 飛んでないか!!
確認しっ‥‥」 電波障害でプツンとマックスとの通信は一旦途切れた。
チッと舌を鳴らし、バールは周波数を軍事レベルの128Hzに上げた。
そのせいで回線は回復した。
「なっ、なんデスって! お嬢さん。こんな荒れた日にお散ポですかぃ」
「とにかく確認しろ。メゾンドのやつがヒツジ雲を見かけたってんだ」
「おっ、お嬢さん…は、いつもの赤い服ですね!」
「ああ、あの赤い放牧着だ。あと角笛持ってるはずだ!」
「このあたり10kmセクションごとに捜索してます」
「うむ。」
黄金の豪雨が降る大画面を凝視したまま、バールは固まった。
画面のノイズは一向に回復しないまま、ザザザザァーーーーーッ
という音だけがバールの鼓膜を不快に揺さぶった。
と、…………ほんの微かにミーメメ♪ メメ♪っという
角笛の音が聴こえた、ような……。
次の瞬間だった。
バールの見つめる画面に猛スピードで接近する赤い点。
ヒツジ雲に囲まれた赤い少女は、満面の笑顔で角笛を吹きながら、どアップになって通過した。
「アッハハハッ! お譲ちゃんたらオテンバねぇ。たくましいわ」
メゾンドは大笑いした。
一呼吸して、固まっていたバールが溶けた氷山のように膝から地面に崩れた。
「ったく。あいつめフザケやがって!」
バールは無線で、
「おい! マックスもういい!
赤いヒツジ雲使いはこっちのモニタで確認した。
どうやら安全圏にエスケープしたようだ。
お前等もとっとと帰って来い!!」←八つ当たりだ。
当然マックスはただ「ラジャー」と返すしかなかった。
小一時間後に無事帰還を果たしたA2部隊。
バール団長の前に整列し、通信機関長マックスの掛け声で点呼が始まった。
「点呼号令始め!」
パイロットゴーグルを装着しダークブルーのフライトジャケットを着込んだA2部隊は、横一列に整列した。
小脇に抱えたラピスティックのを一斉に右肩に持ち替えながら、左端から順に点呼を始めた。
「【ラピスレイヤー】A2部隊。帰還点呼始めます!」
「1」「2」「3」「4」「5」「6」「7」「8」「9」「10」
「11」「12」「13」「14」「15」「16」「17」「18」「19」「20」
「以上20名。生存帰還しました。宇宙線、放射線による被爆者ゼロ!」
「団長、機関長に敬礼!!」
バール団長は、敬礼を返し作業終了の言葉を告げた。
「本日のクラック牽制作業はこれにて終了する」
団員達はそれぞれに挨拶を交わし、三々五々家路に着いた。
ふぅ○○、と短く息を吐くバール。
やっと少し力の抜けたその肩を、メゾンドが後ろからポンと叩いた。
「お疲れ…。どう? 一杯着き合わない。12号倉庫の裏道にステキな酒場を見つけたの…。静かで落ち着いた雰囲気だから、あなたも気に入ると思うわ」そう言いながら肩越しに覗き込んできた。
バールはOKサインを右手で作り、片頬を上げニッと微笑んだ。
街灯も疎らな狭い裏路地に、その店はあった。
ひっそりとした佇まいは、常連しか寄せ付けぬ趣があった。
紫檀の木彫り看板に『酔舞猫』という刻み文字が、スポットに照らされ浮かんで見える。
注意すると小さくローマ字で[YOMAINEKO]とあった。
「ほ〜〜。‘よまいねこ’って読むのか」
2、3の石段を上り、骨董めいた木製のドアをギギィと軋ませ押し開けた。
店内は薄暗く数席のボックス席。マホガニーのカウンターが一直線に奥まで伸びていた。
俺達はカウンターの奥の席に陣取った。
ピアニッシモでスタンダードジャズが流れている。
暗い店内にブルーとグリーンの2色のオッドアイが輝いた。
そこには初老の黒猫バーテンダーがカウンター越しに佇んでいた。
「ご注文は?」と囁きながらグラスに浮かべたキャンドルを2人の間にスッと差し入れた。
「何か、お勧めはあるの?」
メゾンドの問いに、黒猫はニヤリと微笑み、背後にズラリと並ぶボトルのうち1本を指し示した。
オレは目を凝らしてラベルを読んだ。 「S・E・E・P・A」
黒猫バーテンは自分の白いヒゲを指で遊びながら
「はい。シーパという古酒でございます。第一次クラック以前の養牧時
代から続く老烹の銘酒蔵が、世代を紡ぎ伝承してきた傑作でございます。それはそれは大変珍しい逸品で」
「ほぉ、凄いな。だが、てことは値も張りそうだ……」
「ええ、そんなに貴重なお酒だったら高いんじゃないの?」
バーテンは少々悩む素振りを見せてから
「お客様は学者様か何かでございましょう? 手前の勝手な推測で申し訳ありません……。そのぅ、なんとも知的な香りが致しますもので。
この味、きっとお気に召されるかと存じます。いかがでしょう、テイストしてごらんになりませんか? はい、勿論サービスで…… 」
メゾンドは浮かれて紅の瞳を輝かせた。
「まぁ…うれしい。 でも学者って言っても厳密には(元)だけどねっ」
「まったくだな」バールは頷き返した。
バーテンは気にしないで……といった様子で右手を軽く振り、
うっすらと碧いクリスタルのロックグラスを手元に2つ並べた。
手際良く球体に削った氷の塊りをカランと投げ入れた。
後ろ手に、すっと先程のボトルを掴み、親指でピシュンとキャップを撥ね開けた。
コッ、コッ、コッ、と心地好い音をさせて、琥珀色の液体がグラスを満たしてゆく。
グラスの碧と溶け合い、その景色はヘリオトロープに変わった。
メゾンドが思わず口を付いて「きれい……」と漏らす。
グラスを掴みチンッと軽くチェイスすると、2人はクイッと一舐め味わった。
果てしない大草原の透き通った風が、スッと鼻腔を抜けていった。
顔を見合わせ頷く2人とシンクロするように、バーテンも満足気に頷いていた。
「いいね! 気に入ったよ」バールはバーテンにそう礼を言うと、隣のメゾンドに向き直り「シビル種の毛並みのようだぜ。コイツは放射線耐性を上げてくれるかもしれないぞ」と、冗談を返す。
「バカ言わないでよ。そもそもあなたはシビル種だから、それ以上耐性上げる必要なんてないわよ」
「…でもないさ。これでもオレはクラックと隣り合せで戦ってんだぜ。
言ってみりゃこの世で一番危険な戦場だ。少しは労わりの気持をだな」
「あら何甘えてんの? あ〜あ、パパは情けないな。それに比べると今日のミーメちゃん、勇敢だったじゃなぁい」
バールの表情が急に険しくなった。
「あっ! そうだ。あんにゃろ! 約束破りやがって。帰ったらとっちめてやらなきゃ。侵入禁止エリアに突込みやがって!ったく」
「あらら、恐いわね。だけど【ヒツジ雲使いのミーメちゃん】は、いまや国民的アイドルなのよ。いつまでも過保護じゃ可哀そうよ。もっと自立させなきゃ。それにあれだけヒツジ雲引き連れてれば、シビル種よりよっぽど安全じゃないの」
バールは気を落ち着かせようとシーパをもう一口呷り、1拍おいて口を開いた。
カラン◇と氷が鳴る。
「まぁ、我が娘ながらあいつの能力には感心するよ。感謝もしてる。
オレ達【ラピスレイヤー】にとっても雲使いは強力なパートナーだしな。
ラピスティックでいくら有害な光線を分解したところで、結局は有害物質を薄める程度だ。根本的な解決にはならない」
メゾンドも口を潤してから、答えた。「ほんと。これ美味しいわね」と
オッドアイのマスターに目配せしてから続けた。
「そもそもヒツジ雲って…その有害な光線が大好物なんでしょ。
有害物質を食べてオゾンを排出するエコ生命だったわよね。
だったら餌場に雲使いがヒツジ雲連れて来るのは道理じゃない。
そんなに目くじら立てなくったっていいんじゃない。
ミーメは一流の雲使いなのよ」
「そうさ一流の雲使いだよ。確かに腕はピカイチだ」
バールは最後の一言に親バカっぷり丸出しで反応してから、
ふっと我に返り恥ずかしそうにうつむいて続けた。
「だから、オレの心配はそんなことじゃないんだ。
お前も知っての通りミーメはアルビノだ。
身体も軽いし抵抗力だって皆無だ。いくらヒツジ雲が抜群の有害耐質でも、肝心のヒツジ使いがムチャクチャ弱いんだぜ。
500gにも満たない身体で生れて来たんだ。母親の命と引換えにな」
バールの話は消え入りそうに力を失い、そして今度は悲しそうにうつむきグラスを傾けた。
思わぬ話の展開に、メゾンドもつられて目を伏せ囁いた。
「ごめんなさい……。そんなつもりじゃ……」
「ああ、解ってるさ。オレが勝手に連鎖しちまっただけだ」
顔を起こし、バールはニッと歯を見せると、ムリして笑顔を作った。
しんみりしそうな空気を換えようと、メゾンドは話題をミーメに移した。
「ねえ、ねえ、そもそもミーメちゃんは、
なんで【ヒツジ雲使い】になろうなんて思ったの。
きっかけとかあったわけ?」
バールは即答した。
「婆ちゃんの影響だ……。つまりオレのお袋が角笛の名奏者だったもんで、小さい頃から自分の何倍もあるようなでっかい角笛を吹き鳴らして育ったんだ。お袋にしてみりゃそりゃ孫は可愛いし、娘の方も婆ちゃんっ子だったから、いつでもべったりだった。
角笛をおもちゃに毎日音を出して遊んでいるうちに、いつの間にかあんなに上達しちまったんだよ。10才の誕生日にあの子専用の角笛をプレゼントしてからは、寝る時も枕代わりにするくらいでな」
「でも角笛の腕前だけじゃ、ヒツジ雲使いのスキルとしては、どうなのかしら」
「ああ、もっともだ。角笛だけじゃ、ただの音楽家だもんな。
だがオレん家は代々続く牧羊民族の系統でな。ヒツジの世話は出来て当たり前なのさ。
だから娘が【ヒツジ雲使い】になったてのは育った環境を考えれば、当然のことなのかもな」
「いわゆる血統、てやつね。
そう考えるとミーメちゃんがヒツジ雲使いになる事は、生まれた時から決まってたみたいね。今やあなたの部隊のエースと組んでるんだ
モノね。スゴイわ」
「まぁ…な。特殊部隊[A1]の遊撃手サーベントの奴と組ませてる。大勢いるヒツジ雲使いの中で、サーベントの無茶苦茶なハイスピードに着いて行けんのは、あいつぐらいだ」
「そっか。確かにあのサーベントって子速いよね。シューティングの腕もピカイチだし……」
メゾンドは、ラピスティックを構え射撃するふりをした。
目を閉じ、少し考えるとバールは悩ましげに頬杖をついた。
「近頃、ニュートロンの発生確率が跳ね上がってなぁ。
知っての通り、あの危険な光線を破壊するのが遊撃手サーベントの仕事だ。娘はそいつとペア組んで最前線にいるんだぞ。……心配だろうが」
「ええ、そうね。その気持はわかるけど……。実際ミーメちゃんと彼のペアが、部隊じゃトップの戦績を上げてるんでしょ?」
バールは空のグラスを持上げ、バーテンに追加を催促して話を続けた。
「なまじ成績が良いもんだから、最前線から外せねえし。うちのエースは少々気が荒いんで、それも心労の種だしな。
本心じゃ安全な後方部隊に配属したいんだが……。来月の入隊試験で良い新人でも現れねえかな」
額に手を当て顔をしかめた。隣でメゾンドも同じポーズをとり、
「頭痛いよねーそれは。…確かに少しは同情するわ。
父親と団長。2つの立場の板挟みですか」
その晩はしこたま飲んで、店を出たのは深夜3時を回っていた。
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