ぐちゃぐちゃな二人
宮条 優樹
ぐちゃぐちゃな二人
さながら、決闘者の気迫だった。
居酒屋のテーブルを挟んで、男女が向かい合っている。
男は、顔には何の表情も浮かべず、冷静な様子を装っている。
自然体を必死に取りつくろっていることは、テーブルの下で何度も落ち着きなく足を組み替えていることでわかる。
それを武者震いと見るか、相手に気圧されていると見るかは、判断が難しい。
その男の名は
私の大学時代からの友人である。
対する女の方は、全身からただならぬ気配を発していた。
さしずめ彼女は、腰の刀に手をかけてすでに抜刀の構えをとった剣豪だった。
うかつにその間合いに踏み込めば、たちまち哀れな挑戦者はその刀の露と消えるだろう。
それほどに彼女は張りつめていた。
女の名は
私の職場の同僚である。
恋人同士の二人は、交際三年目の今、決裂の危機を迎えていた。
臨戦態勢の二人に挟まれて、共通の友人であり、二人をくっつけた張本人である私は、世紀の決闘の見届け人としてこの席に座っている。
まあ、簡単に言うと、痴話げんかの仲裁にかり出されている。
「お待たせしましたー」
半個室を仕切るのれんを持ち上げて、店員さんがお盆を掲げて入ってくる。
生ビール、ハイボール、梅サワーと、お通しの小鉢がテーブルに並ぶ。
「ごゆっくりどうぞー」
そう言って店員さんが退室したのが、決戦開始の合図となった。
私はじっと黙って対峙する二人の顔を見比べて、
「とりあえず、乾杯――」
言いきるより先に、孝太朗がジョッキを持ち上げる。
あっという間になみなみ注がれた生ビールを飲み干して、空のジョッキをテーブルに戻した。
たん、と小気味よい音が響く。
先手必勝。
その気概をあらわにする孝太朗に対して、奈々子は静かな姿勢を崩さない。
出だしから緊迫した様相のテーブルに、私はやや身を引いて梅サワーのグラスを口に運んだ。
この二人、基本的には仲のいいカップルなのだが、どうにもけんかが多い。
我の強い者同士、口げんかがつい白熱してしまうようだ。
大人らしく、けんかの後はきちんと話し合って仲直りして一層仲を深める、とばかりはいかないこともあり。
話し合いがこじれてどうにも収まらなくなると、私に仲裁役のおはちが回ってくる。
二人を引き合わせた当事者でもあるので、私はたびたびその他愛ないけんかの仲裁を引き受けてきたのだが。
今回は本当に、二人の間に亀裂が入ってしまったらしい。
孝太朗は、口の端についた泡をぬぐって、キッと奈々子をにらみつける。
「今日は――」
「お待たせしました~」
孝太朗の言葉をさえぎって、店員さんがのれんをくぐってくる。
「こちらご注文の、シーザーサラダ、焼き鳥盛り合わせ、ポテトチーズグラタンです~」
てきぱきと店員さんはテーブルの上に注文のメニューを並べていく。
出鼻をくじかれてしまった孝太朗は、むっつりとした顔つきで、湯気を立てているグラタンを見つめる。
おそらくこの場の進め方をしっかりシミュレートして、戦略を練ってきたであろうに。
「すみません、ビールおかわり」
「は~い」
退室しかける店員さんにそう注文して、孝太朗は小さく溜息をついた。
黙り込んでしまった孝太朗に向かって、奈々子はハイボールを一口、冷ややかに言う。
「食べれば? 話は食べながらできるでしょ」
場の空気が三度は下がった心地がした。
これは奈々子も相当怒っている。
何があったが知らないが、これは長丁場になりそうだ。
私は黙ってお通しの小鉢を取った。
こういうときは、こちらからは口を挟まず、とにかく聞き役に徹するに限る。
二人にまず言いたいことを全部言わせて、それからじっくり、ぐちゃぐちゃにもつれた感情を解きほぐしていけばいい。
奈々子はサラダについてきたトングを取り上げる。
それをよそ目に、孝太朗はねぎまの串をつまみ上げて言う。
「……よくそんな平気な顔してられるよな」
「なによ」
「俺が何で――」
「ビールおかわり、お待たせしましたー」
再び孝太朗の話がさえぎられる。
ジョッキを置いていった店員さんの後ろ姿を恨めしそうに見やって、孝太朗はまた溜息をついた。
私は見なかったふりをしてお通しを口に運ぶ。
うん、このおひたし、ごまも香ばしくておいしー。
ねぎまにかじりつく孝太朗を見もせずに、奈々子はサラダを人数分に取り分けながら言う。
「何?
言いかけたこと、言ってくれないと気持ち悪いんだけど」
「……俺が何に怒ってるか、お前ちゃんとわかってんのかって、そう言ってんだよ」
「さんざん聞いたし、わかってるけど」
「わかってねーだろ!」
孝太朗が怒鳴る。
奈々子の冷たい視線がにらみつける。
私はこっそりつくねの串とグラタンを、黙って自分の皿に取り分けた。
「大声出さないでよ。
何だって言うの。何が気に入らないのよ」
「それだよ!」
それ、とは?
私はつくねをほおばりながら、孝太朗が指さす先に視線を向ける。
孝太朗は、今まさに奈々子が取り分けている、シーザーサラダの大皿を指さしていた。
「サラダが何? いらないんなら、二人で分けちゃうけど」
「いるよ!
じゃなくて、なんでそんなにかき混ぜるんだよって話」
私はきょとんとしてその大皿をのぞき込む。
奈々子はむっとした表情で、
「混ぜないと、ドレッシングがかからないじゃない」
「混ぜすぎだろ! 中ぐちゃぐちゃで汚いじゃんか」
「別に汚くないでしょ」
「汚いって! お前は家でも――」
孝太朗はすっかりヒートアップしている。
なるほど、察するに今回のけんかの原因は、食事の食べ方に関することらしい。
私はグラタンを口に運びながら、黙ってなりゆきを見守る。
食事とは、ささいなことに見えて重大な問題だ。
生活に密着した問題ほど、小さな違いが根深く二人の間に食い込んでしまう。
それはそうとして、ジャガイモとチーズの組み合わせは最高にうまい。
「家でメシ食うときも、何でもかんでもかき混ぜるだろ。
パスタも牛丼もカレーも、ぐっちゃぐちゃぐちゃ……」
「何でいけないの。しっかり混ぜた方がおいしいのに」
「汚いって言ってんの!
一緒に食事しててやな気分になるんだよ」
「おいしいものをおいしく食べたらいけないの?」
「料理は見た目も大事だってわかってる?
そんな食べ方されたら作った方だって嫌だろうが。
奈々子は料理する人の気持ち考えたことあんの?」
「そんなこと言ったら、孝太朗だって脱いだ服とか洗濯物とか、ぐちゃぐちゃのまま放り出してるじゃない」
「それとこれとは話が別だろ!」
「何が別なのよ!」
奈々子は怒鳴って、その勢いでハイボールをあおる。
二人とも、だんだん感情的になっているみたいだ。
孝太朗は、奈々子につられたように二杯目のビールをあおる。
「俺は嫌だっつってんの。
自分の作った料理をぐちゃぐちゃにされるの」
「そんなの私の勝手じゃない。
指図されるの、すごいうっとうしい」
「俺は、ちゃんと見た目まで考えて、毎回料理作ってるんだ。
この前のカレーだって、カレーとライスとつけ合わせの配分考えて、一番きれいに見えるように盛りつけしたのに!
それをお前はろくに見もしないで、全部ぐちゃぐちゃに混ぜて食べて」
「そういう押しつけがうっとうしいの!」
「何でそんな言い方するんだよ!
俺は奈々子のために作ったんだ。
奈々子に喜んでもらえるように、材料も選んで味つけも考えて、見た目から楽しんでもらえるように盛りつけもすっごい考えて作ったんだ!
奈々子に喜んでほしかったから……なのになんでわかってくれないんだよ!」
言葉の勢いのまま、孝太朗の手がテーブルをたたく。
ちょっと酔いも回ってきているらしい。
奈々子は真っ赤になっている孝太朗の顔を、静かな様子で見つめていたが、
「……わかってくれないのはそっちでしょ……」
小さく震える声で、そうつぶやいた。
「奈々子?」
「わかってくれてないのは孝太朗でしょう!
私は孝太朗が一生懸命ごはん作ってくれてるの、よくわかってるよ。
私のためにって、たくさん準備して時間かけてくれて、いつもおいしいごはん作ってくれてるのわかってるし、うれしいと思ってるよ」
「だったら――」
「だから私は!
料理が一番おいしくなるようにして食べるの。
孝太朗の作ってくれたおいしい料理を、一番おいしい状態にして食べたいの!
それが作ってくれた人に対する、私の感謝と愛情の示し方なの!
なのに、孝太朗は何でわかってくれないのよ……」
「……お前が俺のこと考えて食べてくれてるのは、わかってるよ」
「孝太朗……」
「俺が作ったもの、奈々子は絶対全部食べてくれるもんな。
苦手なものが出てきても、残さずおいしいって言って食べてくれるよな。
前に俺が、お前が苦手だって知らずに、ニンニク使った料理出したとき、何も言わずに全部食べてくれた。
後から知って、申しわけないってすごく思ったけど、同じくらいうれしかった。
奈々子の思いやりをすごく感じたから」
「孝太朗……私も、孝太朗が私のことたくさん考えてくれてるの、すごく伝わってる。
私の好きなもの、嫌いなもの、味つけも、いっぱい考えていつもおいしいもの作ってくれるよね。
本当にうれしいし、細かいことに気を配ってくれる孝太朗の優しさ、愛されてるなって、感じてる……」
「奈々子……」
「だから!
私はそのおいしい料理を更においしくしたいだけなの!
それが私の料理と作ってくれた人に対する礼儀なの!」
「それはやめてくれって言ってるだけだろ!
何でわかんないかなぁ!」
「じゃあ孝太朗は洗濯物ぐちゃぐちゃにするのやめてよ!」
「それは違う話だろ!」
「違くないでしょ!」
いい雰囲気で話が落ち着きそうだったのに。
そんな気配は一瞬で霧散して、二人は火花を散らしてにらみ合う。
と、その二人の視線が、不意に鶏皮の串を食べ終えた私の方に向けられる。
「どう思う!?」
二人そろって、急に矛先をこちらに向けてきた。
どう思うと言われても。
途中から何を聞かされてたんだ、私は。
途中からけんかじゃなくて、
「もういいわ」
私はぐっとグラスを傾けて、梅サワーの残りを飲み干してから二人に向かって言った。
「もういいから、お前らさっさと結婚してしまえ」
了
ぐちゃぐちゃな二人 宮条 優樹 @ym-2015
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