「いただきます」

音崎 琳

「いただきます」

 ぐちゃ、と、苺のショートケーキが潰れた音が耳に届いた――気がした。実際には、外箱が床に叩きつけられる音にまぎれて、くぐもったにぶい音がしただけだったけれど。

 ぼくは箱の中の様子を想像する。めちゃくちゃになった白いクリームの山から露出する、ふわふわのたまご色のスポンジと、つややかな赤い苺を。

 かれはテーブルからすべりおちてしまったボール紙の箱の前にしゃがみこんで、ぼんやりした、かなしそうな顔をした。

「ごめん、落ちちゃったね」

 ぼくがテーブルの上を片づけるのを待ってから、横向きに落下した箱をそっと持ち上げ、正しい向きに直してテーブルに置きなおす。

「まあ、味は変わらないから」

 ぼくは食器棚から皿を二枚取り出しながら、なぐさめを口にする。ぼくにとっては本当に、そのとおりなのだけれど、かれにとっては違うのだということも承知していた。

「ケーキは見た目のうつくしさも含めてケーキなんだよ」

 答えるかれの声はまだ、いつもと違ってぼんやりしている。

 側面の蓋を開けると、想像していたのとたいして変わらない光景が広がっていた。ぼくはナイフの背をつかって、雪かきでもするように、うつくしいホールケーキだったものを、二枚の皿に分けた。

「食べようか」

 フォークをさしだすと、かれは頷いて、おとなしく席についた。

「そういえば」

 こうなってはもう同じだと諦めたのか、あるいは食べ方にはうつくしさを求めないのか、かれは華奢なフォークを容赦なく苺に突き刺して、それを目の前にかざした。

「ちいさい頃、すっぱい苺にね、練乳じゃなくて牛乳と砂糖をかけて、フォークで潰して食べていたの。潰すのも楽しかったんだよね」

 ぱくり。ひとくちで、真っ赤に熟れた苺はかれの口の中へ消える。もぐもぐ、頬をふくらませて咀嚼する、かれの目がやわらかく細められる。

「あまぁい」

 赤い唇の上に、白いクリームのかけらがついていた。

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「いただきます」 音崎 琳 @otosakilin

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