山の困った落とし物

カフェ千世子

登山にはアクシデントがつきものです


 山を歩いていると、存外落し物が多い。そして、その見つけた落とし物をどうしようか悩む。

 拾っても、届ける先がないのだ。街中ならば交番に届けるという選択肢があるが、山の中ともなるとどこに届けるのが正解なのかわからない。落とした本人が気づいて取りに戻るかもしれない。そう思うと、手が出せないのだ。


 水がたっぷり入ったナルゲンボトル。山で水がないのは死活問題だ。どこかで気づいて引き返してくるのでは、と思うとその場に置いておいた方がいい気がする。


 かわいらしい女児向けのハンカチ。落とした本人にはかわいそうだが、親は諦めるように諭すかもしれない。


 まだ新しい帽子。誰かが気遣って目の高さにある枝に引っかけてある。


 ウインドブレーカー。山は風が強い。これもなければ困るアイテムだ。しかも、登山向けのものは安くない。


 こんなのを目にするたび、自分は落とし物を出さないようにしなければと思うわけだ。

 物を落とさないためには、ザックの外側のポケットを信用しないことだ。さも、なんでも入れてください受け止めますよって感じを出しときながら、ペットボトルなんかするりと零れ落ちる。

 ザックを背負って靴を履いて宿の人にペコリと頭を下げただけでペットボトルが転がり落ちた時、もうここには何も入れんぞと思ったものだ。



 私が今まで目にした落し物の中で断トツで驚いたものを紹介したい。


 それは、紅葉登山イベントに参加した時のこと。当日はあいにくの曇り空だった。

 山の上の方は霞みがかっている。頂上に近づくにつれ、雨に濡れることは予想された。

 これが個人的に計画した登山ならば、晴れた日を選択して悪天候を避ける。だが、事前に予約してお金を払ってまで参加している。

 よっぽどの荒天でない限り、イベントは中止されない。


 どんよりした空の下での開会のあいさつの後、ぞろぞろとみんなで山に向かう。


 いくらも登らない内に小雨が降りだし、みんな一斉に合羽を着こむ。雨でぬかるんだ道を行く。

 途中、階段を上り下りする箇所があり、内心震える。一か月前に下見に訪れて、ここの階段で滑って落ちたのだ。


 無事に通過。集団での登山はペースがつかみづらい。普段、自分が歩くよりも速いペースで登っている。疲れて自然と目線が下を向いた。


 ぬかるんだ土の道。みんなで踏んで足跡はぐちゃぐちゃとそこかしこにある。その中に、ぽつんと靴底があった。


 靴底である。


 加水分解! と頭に思い浮かぶ。靴は年月とともに劣化する。空気中の水分と反応して、ある日ソールがベロンと剥がれ落ちるのだ。

 応急処置としては、針金やテープなどで靴ごとぐるぐる巻きにして固定する。


 眼下にある剥がれ落ちた靴底。ぐちゃぐちゃのぬかるみに足を取られてベロンといったのか。拾う? いや、本人が取りに戻って来るでしょ。こんなの気づかないわけがない。靴底も無しに歩き切れるとは思えない。まだ、半分も登っていない。

 との葛藤を経て、私はその靴底を置き去りにした。



 頂上に着き、山を降りだした頃には、あれだけ固まっていた集団はすっかりばらけていた。もうそれぞれが自分のペースで歩いている。

 頂上付近にはブナの自然林があり、雨で霧深くなったおかげで幻想的な風景を見せてくれた。

 木道が敷いてあり、土の道よりずいぶん歩きやすい。


 のだが、木道は滑りやすかった。唐突にこけた。


 前に4、5人のグループがいたので、思わずすいませんすいませんと謝る。


 そのグループに大丈夫ですかと気遣われながら、再び歩き出す。そのグループとは、割と歩く速度が同じくらいだった。気まずく思いながら、その集団の後をついていくことになる。


 ふと気づく。集団の内の一人の足元。片足が手拭いで靴をぐるぐる巻きにされている。


 靴底の持ち主!


 気づいたが、どうすることもできず。途中、休憩をとるまでの間、気まずく思いながら歩いたのだった。

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山の困った落とし物 カフェ千世子 @chocolantan

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