第346話

 起き上がろうとして失敗するインガンノが中腰の状態になったところで、再び殴る。

 それでもなお立ち上がろうとするところを、さらに殴る。

 

 そんなに延々と殴り続けた訳でもなく、まだ数発程度だけど、それでもインガンノの顔は大きく腫れあがり、その目もうつろになりつつある。

 皮膚も骨も肉も、そして神経や血管も、身体の全てが魔力で強化されるこの世界の人間は前世の世界の側からすると信じれないくらいに強靭だ。逆にこうして魔力の作用できなくなった空間での人間の脆さというのは、この世界の側からするとそれこそ信じられないくらいだろう。

 

 普段は子供のように振る舞って本心を見せないインガンノだけど、今はうつろな目ながら相当に焦っていることがわかる。

 とはいえ、恐怖がほとんど見受けられないのはさすがに裏組織の幹部といったところか。理解できない状況に叩き込んで痛めつけた程度では、心が折れないどころかへこみもしないらしい。

 

 「ぅ……ヴル……か……すたゃれ……っ! な、んで!?」

 

 腫れあがって血に塗れた口で、インガンノがたどたどしく詠唱しようとした。そして何も起こらないことに怒り動揺している。

 

 「だから、できないって」

 

 それだけ告げてやる。さっきも言ったようにわざわざ説明してやるつもりもない。

 というか、詠唱する以前に、体内の魔力を制御できない……というか、制御するための魔力が感じられないことには、インガンノほどの魔法使いならすぐに気付くはずだ。それでも口に出してみることをやめられなかったのは、動揺がそれだけ大きくなっているということかな。

 

 僕にも思いつかないような魔法的な反撃を警戒して、深く踏み込まずに殴って弱らせていたけど、そろそろ決着をつける時かな……。

 

 「おぉらッ!」

 

 そう決めて、思い切り踏み込んだ。牽制のために左を振ることもない。全力の右を振り抜いてこれでこいつを倒す。

 

 「わ、わ、わああああああああっ!」

 

 と、ここまで手から落としていなかったホウキを、インガンノは突き出すようにしてきた。それは攻撃未満のとっさの行動で、僕を近づけないようにしたいというそれこそ子供みたいな衝動からだったのだろう。

 

 普段なら、こんなもの軽くかわして動くスピードは緩めずにいけた。さっきまでなら、踏み込むのをとっさにやめて距離をとれた。

 だけど今のここには僕自身が展開した事象空間が発生していて、これで決めようと全力を込めた踏み込みの最中だった。

 

 「がっ……く!」

 

 僕の腹にインガンノが突き出したホウキの柄が突き刺さり、思わず苦鳴を漏らす。

 突き刺さったといっても、実際はただめり込んだだけ。素材もただの木の棒で、しかも細いからこの衝撃でホウキのほうが折れて砕けているほどだ。

 だけど魔力によって強化されない僕の今の体は、その衝撃で激しく痛み、内臓のどれかが損傷したことを直感する。

 

 「く、そ……がァ!」

 「っ………………」

 

 呆然とこちらを見上げていたインガンノの顔へと、そのまま拳を叩きつける。

 当初の予定よりも相当に勢いを減らされた拳打だったけど、インガンノの方にしてももう限界だったのか、倒れて動かなくなる。

 

 「はぁ、はぁ……」

 

 痛みを逃がすように息を荒くしつつ、周囲にさっと目配せをした。

 ちょうどこのタイミングで事象空間は解けたけど、倒れたインガンノは動く気配もない。

 

 近づいて確認してみると呼吸していないようだから既に事切れているように見える。……正直、“欺瞞”を冠するこいつが、もしものために何かを用意している可能性は十分にある。だけど確認している余裕も時間もないし、そもそもこの場を突破できればそれでいい。

 

 最後にちらりと積もったままの岩塊に目を向けて、そこから見えているキサラギの手足を確認する。微かに動いている……。なら、生きているし、当分は自力で脱出できそうな気配もないから、あっちは大丈夫だ。

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