第345話
「くそっ、この、あれ!?」
普段の腹立たしいくらいにとぼけた態度を維持することもできずに、インガンノはいつも持っているホウキをきつく握って喚いている。あのホウキは風魔法で飛んで来た時にバランスをとるために使ったりはしていたけど、あれ自体は別に何の魔法的効果もない物のはずだ。魔力というのは己の内にあるものだから、それが作用しなくなったとしたら問うべきは自分に対してなんだけど、手近にある物をぎゅっと持って頼ったりしたくなるのはあいつにしては珍しい人間性なのかもしれない。
「じゃあ、いくよ?」
いつも通りの口調で、しかし内に渦巻く衝動はもはや隠そうともせずに、僕は拳を握ってインガンノに歩み寄る。
さっきまで右拳に灯っていた魔法の火は当然もう消えている。この空間では魔法や魔力を使うことはできないのだから。
「おらァ!」
「うわ、わわわっ」
最後の一歩を踏み込み、その勢いに腰の回転も乗せて、振り上げていた右腕を戸惑い続けるインガンノに向けて打ちこんだ。
もちろん、そこはインガンノも裏社会に生きる人間だ。僕の発動した事象空間には戸惑いつつも、暴力に怯えて動けなくなるなんてことはない。
だからとっさにかわそうと動き出してはいたんだけど、その動きは鈍く、適切にかわせるようなものじゃない。
「うべぁ!」
勢いをつけつつも上から下に打ち下ろすように殴ったから、吹っ飛んでいくこともなくインガンノはその場に膝をつく。
まあそもそも、魔力のないこの空間で、全力で殴ったくらいで小柄とはいえ人間が派手に吹っ飛んでいったりなんてするはずがない。
「なん……で……え?」
膝をついた状態で起き上がろうとして足をもつれさせたインガンノはその場に倒れて混乱している。
この「なんで」はただの拳で一発殴られたくらいで立ち上がれないほどダメージを受けたことに対してだろうし、さっきかわすことができなかったことに対してもだろう。
僕にとっては答えは簡単なんだけど、インガンノにとって……いや、この世界の人間にとっては難しいだろうね。でも、これが魔力が作用しない世界なんだよ。
魔法が使えないのはもちろん、身体能力だって魔力によって強化される。グスタフみたいな戦士系はそれが顕著だけど、魔法使いだってそれなり以上に身体能力の強化はされている。
「弱化の呪い……?」
「残念、普通になっただけだよ」
「は?」
インガンノが呟いたことを否定してやると、ますます意味がわからないという表情をする。この世界には魔法はあるけど、呪いに関しては前世の認識とそうかわらない。つまり一部に信じている人もいるけど、大抵の人にとってはおとぎ話みたいなもの。そんなものを可能性として口にするくらいに、インガンノは状況が理解できずに動揺しているってことだろう。
自分の体が思うように動いてくれず、魔法でも武器でもないただの拳に殴られただけで口の中は血に塗れて頬も腫れている。魔力の作用しないただの人間の普通は、特に優秀な魔法使いなんかには理解できないだろうね。
「まあ、講釈してやるつもりもないよ」
「っ!」
そういって、僕は再び拳を握りしめた。
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