第344話

 両脚にまとっていた風魔法はもうさすがに効力が切れている。だけど、魔力が充実している僕の身体能力なら、十分に速く動ける。

 さっき殴ったことでそれなりにダメージを受けたらしいインガンノがふらふらと立ち尽くしているところへと、瞬く間に距離を詰めていく。

 

 「いっちゃんの奥の手を使わせるなんて」

 

 そんなことをインガンノが呟くのが微かに聞こえた。とはいえ、ここで警戒して足を止めるようなことはしない。このまま一気に叩き潰す!

 

 「おおおっ!」

 

 咆哮の尾を引いて突っ込む僕は、妨害されることもなくインガンノに肉薄した。

 

 と、そこで再びインガンノが口を開く。

 

 「そうやって簡単に狂乱するのがお前の弱点なのー」

 

 いつも通りの口調だけど、その声音は底冷えするような響きをしていた。

 ここにきて素を出してきたな……、と思ったけどそのことを深く考えている場合でもない。

 

 「っ!」

 

 インガンノの目前まで来ていたところで急停止して、素早く周囲に視線を走らせた。

 十数個にも及ぶ魔法の気配。それが僕の周囲をぐるりと取り囲んで出現している。もちろん、そこに魔法使いが隠れていたとかいう訳ではない。剣呑な光を宿した目でこちらを見ているインガンノが仕掛けたものだ。

 床でも壁でもなく、周囲の空間に設置されていたそれらは、様々な属性で様々な発動制御をされているように見える。詳細なところまで見ている余裕はないけど、かなり多様なのは確かだ。

 つまりさっきこいつが言っていた奥の手とは、これなんだろう。ライラが使う設置式の魔法と似た原理で、遅延発動式の魔法ということだろう。とはいえ、数も威力もライラの比じゃないのはさすがといったところかな。

 

 素をさらしたということからしても、インガンノはこの“奥の手”で勝ったと確信しているようだった。先に素をさらした僕が、冷静さを失くして突っ込んできたから詰みにできた、と。

 

 「怒りで正気を失ったように見えた? 残念だね、これが素なんだよッ! 消滅スコンパルサ滞留スタレ!」

 

 消滅という特殊なレテラは、一文字で発動するならとっさにできるけど、二文字以上で制御しようとすると途端に難しい。消滅のレテラを習得した時には能天気に可能性が広がるなんて思ったものだけど、実際にやろうとしてみて驚いた。今の僕でもそれなりに準備をしておかないと無理ってほどだ。

 つまり、突っ込む前から準備していたんだよ、これを。

 消滅のレテラの効力を周囲空間に展開して魔法の発動や魔力の行使を封じる特殊魔法。二文字魔法だけどそこらの四文字よりも発動が困難なこれを僕は事象空間トコヨノコトワリと名付けた。この世界の人々から見れば異世界の事象で、僕から見れば馴染みのある理をこの空間内に展開するものだ。

 

 「何言って……、ってええぇ!?」

 

 自分の奥の手が一部は発動してすぐに、残りは発動すらせずに片っ端から消滅したのを見て、インガンノは僕が発動した魔法の内容を理解したらしく驚愕した。

 これができるってこと自体にも驚いたんだろうけど、魔法使いである僕が魔法そのものを封じるようなことをしたことにこそ驚いたんだろう。だけどこれから思い知らせてあげよう、魔法も魔力もない世界の人間が、どうやって暴力を使うのかってことをさ。

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