第337話

 私はキサラギ。かつてはキサラギ・ボーライだった者。今となってはただのチンピラに過ぎないが……。

 いや、世話になっている組織やその構成員のことを悪くいうものではないな。ここは彼らの流儀に従って裏社会の人間、というべきか。

 

 そう、かつてはボーライ家の後継者候補でもある貴族子弟だったのだ、私は。

 しかし身にそぐわぬ想いを抱き、それに振り回された結果として今に至る。

 

 私は……、私は恐怖を乗り越えたかった。そして強くなりたかった。ただそれだけのことだった。

 恐怖は記憶として私の魂にこびりついている、今もまだ。それはこちらへと向かってくる少年の姿をしている。私の鳩尾目掛けて肩を突き出して突進してくる、まだ入学前の幼いともいえる年代の少年。

 実際のその時は私は目を闇に覆われていたから、何も見えていなかった。だからそれは妄想の産物に過ぎない。しかしこの体にはあの時の痛みがはっきりと残っていて、それが姿すら妄想させるほどの印象となっている。

 

 ふふ……、まあ何が残っていたところで、私のこんな行動は許されるものではないのだけどね。貴族の責務も、学園の生徒会長としての人望も、全てかなぐり捨てて裏社会へ堕ちるなど人の道に反することだ。

 

 そんなことはわかっていても、この部屋の扉を開けて彼が、アル君が入ってきた時にはこみあげてくるものがあった。

 指示されていた通りそこにすかさず全力の火魔法を叩き込んだにもかかわらず、この期に及んで私は感傷的なことを考えていたらしい。

 しかし「もう一度手合わせして欲しい」とも、「久しぶりだね」とも、……そして「私を助けに来てくれたのかい?」とも口にはできなかった。インガンノ様の説得があったとはいえ、結局は自分の意思でここへきた私に、言葉を交わすような権利はないのだから。

 

 「ヴルカ――」

 

 だから私は練り上げた魔力を熱に変えて再び放つべく、詠唱を始める。

 

 後ろに控えていたインガンノ様が、ご自身で出現させた闇の塊へと近づき、飛び出してきたアル君を迎撃する準備を整えた。

 私はアル君が出てこなかった場合に、あの闇ごと焼き払うべく、インガンノ様が背中越しに合図を出すのを待つ。

 

 

 

 そしてこの部屋の全てをくまなく満たすように、風の刃が突如として吹き荒れた。

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