第334話

 「うおおっ!」

 「わわっ」

 

 広い部屋の中には、グスタフの気合いの声と、パウラの困惑の声が交互に響いていた。

 

 シェイザの絶叫から始まる剣技は、強烈な攻撃を連続して叩きつけることに意味がある。竜巻のように回転して自身の勢いを強め続け、終わりのない連撃で相手の体勢を徐々に崩していく。単純であるが故に、その強力な剣技は隙がなかった。

 しかし隙がないということは、対処法がないということと同意ではない。体勢を崩されるのはその強力な連撃を受けるからであって、かわしてしまえば問題はない。

 

 「うっ」

 

 金属のぶつかる甲高い音がして、パウラは呻いた。

 対処法を把握しているパウラは、その身のこなしの良さを活かして、この戦いの初めからできる限りグスタフの攻撃をかわそうと努めていた。

 そうであるにもかかわらず、戦いが進むにつれて徐々に受けてしまうことが増えてきていた。とはいえ、パウラは別に正面からしっかりと受け止めたりしている訳ではない。体格の違うグスタフからの渾身の攻撃をまともに受けたりできるはずはなく、ナイフの刃に沿わすようにしてうまく受け流していたのだった。

 高い技量による受け流しを成功させて体勢を崩されることを避けているはずなのに、徐々にパウラのナイフを持つ手は痺れ、衝撃は脚まで伝わって痛みを生じ始める。

 

 「こんなはずはっ、ないっ、のに!」

 

 しっかりと情報を集め、対策をした上で勝利を確信していたパウラは困惑を通り越して混乱し始めていた。気に食わない同僚に頭を下げてまで、強力な攻撃を受け流す訓練をしたのだ。それで十分なはずだった。勝利は確定していたはずだった。

 しかし実際に、パウラは徐々に追い詰められていく。

 

 「おおお!」

 「ぅう……」

 

 一方のグスタフはその優勢に驚きなど微塵もなかった。先ほどパウラが自分から口にしたのだから。ヴァイスにいた頃のグスタフしか知らない、と。

 この一年は確かに目立った実戦経験はなく、そのほとんどを鍛錬に費やしていた。裏組織に所属するパウラの様な人間は、実力とは実戦に身を置いてこそ伸びると信じているのかもしれない。しかしシェイザ家の人間にとっては、鍛錬こそ強くなるための唯一の手段だった。実戦とはそれで身につけたものを確認して調整するための場でしかない。

 

 そんなシェイザ家に連なるグスタフが、ひたすらに剣を振り続けたこの一年の成果というのが、今の状況へと繋がっていた。

 

 「ま、待って、待ってください! 僕は、実はパラディファミリーに家族を人質に取られて仕方なくっ!」

 

 突然、追い詰められつつあるパウラがそんなことを叫ぶようにして口にする。そしてその言った内容は、実は真実であった。といっても、組織がパウラを従えるためにそうしている訳ではない。パウラが追い詰められた時の切り札とするために、自分の両親を拘束するよう自分で指示を出し、この本拠地内の牢で死なない程度に苦しめ続けているのだった。

 優しい者であれば、この告白に怯んだだろう。あるいは優しくなくとも目敏い者であればその言葉が真実だと気付いて困惑したかもしれない。それか計算高い者なら利用できないかと考えて手が止まった可能性もある。

 だがグスタフはその誰でもなかった。グスタフは純粋な剣士で、どこまでいっても武人だった。

 

 「おおおぉぉっ!」

 「わ、わああっ」

 

 止まるどころかさらに勢いを増した剣が叩きつけられ、紙一重で辛うじてかわしたパウラが悲鳴を上げる。

 

 「僕の隠し財産がっ――君が学園で話したことのある生徒を捕まえてっ――コルレオンには実は隠された遺跡がっ――」

 

 完全に混乱へと陥ったパウラが持ちうる情報や、今思いついた適当な嘘を矢継ぎ早に口にした。情報を武器としてのし上がってきたパウラにとって、最後に頼れるのは情報しかないのだった。しかしとにかく思いつく物を口にするうちに、グスタフに攻撃を思いとどまらせるという目的からは逸れていった。

 

 「き、君のその額の傷っ、そんなのたぶんアルはなんとも思ってな――」

 

 そこでパウラは、自分が今口にしているのはグスタフを懐柔できそうな情報ではなく、かつて学園においてグスタフが他の学生相手に激昂したという時の物だと思い出す。とはいえ、口から出してしまったものは、もうどうしようもない。

 

 「っ!」

 

 だが、ここまでどんな貴重な情報をちらつかせても、どんな巧妙な嘘を言ってみせても、何の反応もなかったグスタフの表情が瞬時に変わっていた。

 それは怒り。戦闘の最中において、熟練の戦士でも判断を誤る原因となるものだった。

 

 「ぅ、ぅううわああああっ!」

 

 ここしかないと判断したパウラは、身に染みついた相手を油断させるための小物の演技で、しかし鋭く素早い動作でナイフを突き込む。この局面に至るまで、グスタフに対してはひたすら防御にしか使わなかったそれを、ついに攻撃に使ったのだった。

 急にそれまでと違うことをするということは、相手の虚をつくための基本のようなものだ。人間であれば、どれほど鍛えていようと虚を突かれれば反応が鈍る。

 

 しかしこの時のグスタフはそれ以前で……、あるいはそれ以上の状態だった。つまり、磨き上げたシェイザの剣技に、己の起源ともいえる出来事を汚された怒りが混ざった、狂戦士とでもいえる状態。

 

 「ぁぐっが!」

 「おおおおおおおおっ!」

 

 パウラの渾身の一突きは、確かに格上の武人であるグスタフへと届いていた。ナイフの刃はその根元までグスタフの腹へと突き立てられている。

 だが先に届いたそれでは怒りに狂った剣士を止めることはできなかった。ここまでで一番の鋭さで振り下ろされた重厚なロングソードによって、情報を武器とする幹部は肩からへその辺りまでを断ち割られていた。

 

 「…………」

 「おおおおおおおおぉぉぉぉぉ」

 

 後にはただ死者の沈黙と、無礼者を斬っただけでは収まらない剣士の咆哮が、その部屋に響いていた。

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