第331話
徐々に部屋を満たしていた水蒸気が薄れ、視界が戻りつつある中で二人は対峙している。
「……」
「……」
とはいえ、ラセツには視界が悪くとも魔力を持つ者の位置くらいは察知できるのだが、どうやってかラボラトーレにとってもそれは同じということにも気付いていた。
だからこそ機を窺うラボラトーレと、警戒するラセツによってこの間が生まれているのだった。
しかし命の奪い合いをしようという場において、いつまでも互いにじっとしているはずもない。
「吹きて切り裂く、颶風かな」
「おお、これはこれは」
仕掛けたのはラセツからだった。その手から放たれたのは最初に迎撃したのと同じ風弾だが、その性質は違って凶悪だった。それは切り裂く刃で構成された風弾。明確に攻撃の意思を込めた魔法だった。
対してその意思を向けられた先のラボラトーレはやはり落ち着いている。
「これとっ、続けてこれをどうぞ!」
投げられたのは赤い石と、青い石。まず赤い石が炸裂してその爆風でラセツの風弾と相殺し、続いて青い石が多量の水を生み出して殺しきれなかった衝撃を受け止めた。
二段構えの防御は、精霊鬼が放つ魔法とすら渡り合える性能を持っていた。
「なかなかやるものだの」
「先ほど申しました通り、戦闘は苦手なのですが……。褒めてもらえて光栄ですよ」
変わらず余裕のある態度。しかしラボラトーレの着ていた服は数カ所が裂け、そこから見える肌には浅くない傷ができていた。
ラセツの牽制ではない攻撃魔法の威力は、強力な魔法道具の二つ分をも超えるものだということだ。
「しかし……そちらにも及んだでしょう?」
ふと自分の傷を見たラボラトーレが、ラセツの方へと手を振り向けてそんなことを言う。
「ふ……そうじゃの」
それが先ほどの水の余波で、髪も服も、そして当然肌も濡れてしまっていることを指すと気付いたラセツは鼻で笑った。
風の刃による傷で血を流している者に、水の魔法道具で濡れていると指摘されれば、笑い飛ばして当然だ。
「そうやって、余裕ぶっていてください……化け物」
「ん?」
次にラボラトーレが口にした言葉は、その声が小さすぎてラセツには聞こえなかった。だがすぐに動いたために聞き返すような暇はない。
「またその石か! いや、なに……っ!?」
今度もまた不透明で、不思議と美しい色合いをした石をラボラトーレは放り投げた。しかしその石の色が赤でも青でもなく黄だと気付いてラセツは警戒心を高める。
バリバリという空気を切り裂くような音が部屋に響く。
果たしてそれは、ラセツの警戒通りにこれまでにない効果を発揮した。地上で発生した雷は、爆音をともなって周囲の水を沸騰させながら伝い、その最終地点にあったものを焼き尽くしてから最後は空気に弾けて消える。
「肉を切らせて骨を断つ、という作戦ですよ。ありふれていますが、有効ではあります」
直接ぶつけられるより前に、互いの中間の空中で炸裂した黄色い石にラセツは対処できなかった。その結果として全身を焦がし、膝をついた姿にラボラトーレはこれまでとは色味の違う愉悦が混じった余裕を見せて語る。
同じような見た目の魔法道具。しかしこの黄色い石は、対人攻撃力という意味においては必殺の性能を持っていた。
それを熟知しているからこそ、勝者の語りに酔いしれてもいたのだった。
「…………弾け吹け」
膝をつき項垂れていたラセツからぽつりと声がする。それは短いために発生も早い魔法の詠唱だった。
「は?」
何もできず、言えず、かろうじて驚くことだけできたラボラトーレの眼前に風魔法の炸裂で急加速したラセツが迫る。その姿はどう見てもぼろぼろで、生きている姿には見えなかった。
だがラボラトーレの目は眼鏡越しに、焦げた肌がぽろぽろと零れ落ち、その下からはきれいな肌が見えているのを見る。
「肉を切らせて骨を断つ……なのだろ? 霜つく手から、生う樹氷」
それでもまだほとんど全身が焦げ、その血のように赤い瞳の目だけを爛々と輝かせながら己に触れてくる姿を見て、ラボラトーレは敵が本当の意味で人外であったと痛感した。
しかし後悔するのはいつだって遅く、ラボラトーレもまた、恐怖に引きつった表情のままで氷の中へと囚われる。
「さて、ととさまを追わねば……んむ?」
そうしている間にも徐々に元の肌へと戻りつつあるラセツだったが、肌の表面はともかく電撃で内臓まで焼かれたのは無視できないダメージだ。
ラセツは思うように動かない体に不思議そうな表情で首を傾げ、そのまま倒れて動かなくなった。
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