第290話

 今度こそ酒場を出た僕は、迷いなく歩き出す。行き先は決まっているからだ。

 それは情報屋の場所。といっても約束がある訳じゃない。この辺りでもとびきりの情報屋に長期的な依頼をしている僕は、定期的に顔を出すようにしている。

 

 「ロレッタ」

 「ああ、アルの旦那じゃないか。今日はどうしたんだい?」

 

 ロレッタというこの女は、特別若くも年寄りでもなく、中肉中背で、特徴のない顔をしている。そして適度に薄汚れた服装をしていて、典型的な裏町の女って感じだ。

 適度になんておかしい言い回しかもしれないけど、これはこいつがわざとこうしているんだから、これで合っている。つまりこの目立たない風貌はわざと、ということだ。

 

 「水を頼む」

 「飲めるやつかい?」

 「ああ」

 

 そうやりとりしてから、小銭と一緒に腰に下げていた水筒を渡す。特殊な鉱石を魔法で細工したこれは実は中々の高級品なんだけど、薄汚れているしその価値に気付いている者はこの裏町では多くない。

 その数少ない例外にこのロレッタは含まれるんだけど、そんなことはおくびにも出さずにこの女は水筒をぞんざいに扱っている。

 

 「オーセア

 

 ロレッタが唱えると、その手先の少し先からちょろちょろと水がでて、水筒に収まっていく。一文字魔法で、しかもそれすら満足に発動できてはいない。それでも裏町では貴重な魔法使いで、このロレッタは尊重される便利屋だった。

 だけどそんなのはこの女の実体――価値や本質ともいえる――からするとほんの一部でしかない。

 ことさらにゆっくりと水を注ぎつつ、ロレッタは本業の顔になった。それは俯きがちで、距離を離して通り過ぎる通行人には見えてはいないだろう。

 

 「まずファミリーの方は報告できることはないよ」

 

 僕が“情報屋”ロレッタにしている長期依頼のうち、最も金をとられているのがこの情報だ。定期的にパラディファミリーが何か変な動きをしていないか確認してもらっている。

 ここは裏町とはいえコルレオンだ。縄張りのど真ん中で奴らのことを探るなんて、普通は自殺行為でしかない。だから金額が高くなるし、ロレッタがそれだけ腕のある情報屋ということでもある。

 とはいえここ最近はパラディファミリーには何の動きもなかった。僕を排除できて満足したのか、あるいは何か別のことのために準備でもしているのか。これまでにわかっていることといえば、キサラギがパラディファミリーの本拠にいるってことくらいかな。それも囚われているとかではなく、どうも一員みたいになっているらしい。まあ、中に捕まっているままならさすがのロレッタでも情報を得られたはずもないんだけどね。

 

 そっちはそっちで重要事項には違いないけど、そろそろ何かあると期待していたのは別の情報だ。そっちは特別高い金額を取られている訳でもない。

 それはコルレオンとヴァイスの周辺で、何か変わったことは起こっていないかということだ。

 

 「裏町の外だと、最近妙な噂があるね」

 「……うん?」

 

 ゆっくりと水を注ぎ終わった水筒を、これまた妙にもたもたと返してきながらそんなことをロレッタは言った。それを受け取って蓋を閉めつつ、僕は先を促す。

 

 「コルレオンで殺し屋をしている奴がいるらしい」

 「パラディファミリーの……ってことじゃないよね?」

 「もちろん、ファミリーに所属しないもぐりの殺し屋さ」

 

 コルレオンは非常に治安がいい都市だ。スリくらいのことですら、許可・・を得ずにやれば粛清される。誰の許可かというと、もちろん領主ヴィルトこと父上のことではなく、パラディファミリーのということだ。

 つまりパラディファミリーに所属しない殺し屋なんていうのは、コルレオンでは存在するだけで異常事態に違いなかった。名を売るより前に消されていないだけで、相当な手練れだとわかるほどに。

 そしてまさにこれこそが、多少の危険に目を瞑ってでも僕が情報屋を使っている目的だった。

 

 「詳しく教えて」

 「毎度あり」

 

 ちょっと興味が湧いた、という風を装って僕はさっきよりかなり多い金額をロレッタに渡した。受け取ったロレッタは手にした重みに満足したように唇をひと舐めして、だけどさっきより声を落としつつ話し始めたのだった。

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