第287話

 「ご当主様…………ヴィルト様?」

 

 しばらく鏡を見つめて呆としていた私に、背後から声が掛かる。鏡面越しに心配そうな視線を送ってきているのは老年の執事コンシレだった。

 

 「ああ、問題はない」

 「……」

 

 執務室として使う書斎には大きな姿見が置いてあり、定期的に席を立ってそれを見るのは私の良くする行動だ。とはいえ、己の容姿が好きな変わり者ということではない。男爵家の当主として恥ずかしくない身だしなみを心掛けるということであり、座り仕事に没頭しすぎないための気分転換でもあった。

 しかし元は立って、一瞬鏡で確認して、また席につく、という行動であったはずが、近頃は鏡を覗き込む時間が多少長くなっているのは確かだった。だからこそ、長く私に仕えてくれているコンシレには心配にも見えるのだろう。

 

 「ふう……」

 

 わざとらしくため息など吐きながら椅子に座り直し、殊更に少し疲れただけだと主張する。おそらくこの程度のことなど見透かしているであろうコンシレは、しかしそこから深く追求してくれるなという意図も読み取って、黙って次の書類を差し出してくれる。

 

 だが、仕事に没頭して苦悩を追い払おうとしたことはすぐに中断されることになった。

 扉を叩く音がしたからだ。

 

 「はい」

 

 すぐに音を立てず、しかし素早く動いたコンシレが厚い扉を少しだけ開き、短くやり取りをする。そしてこちらを振り向いて静かな声で報告をしてくる。

 

 「マイク様です」

 「ああ、入れてくれ」

 

 声が聞こえたからわかっていたとおり、それは長男のマイクだった。学園を休ませてまで呼びつけたのは私だが、思ったよりも早く来たようだ。

 元々優秀で正義感の強い息子であったが、一年前からは以前より増してこうした行動が多いように感じる。おそらくマイクなりにあの子の分まで気負っているのだろう。

 

 「父上、何用でしょうか?」

 「うむ……」

 

 考えるような仕草をしたものの、これはただためらっているだけだ、話の内容は決まっている。だから呼び出したのだから。

 もうあと半年もすればマイクはヴァイシャル学園を卒業し、正式に私の後継者となる。つまり、コレオ家の裏の顔についてもそろそろ知っておかなければならないということだ。

 

 我が家は現在苦しい状況にある。後継者候補ではなかったとはいえ出家前の子息が罪人となったから――ではなく、コレオ家が代々引き継いできた役目を果たせなくなりそうだから、だ。

 私の個人的感傷などは関係なく、アルがいなくなったことでパラディファミリーを次代に引き継がせることができなくなったことが問題だった。定期的にコレオ家の主導で首領ドンを変えることは、パラディファミリーが暴走することを防ぐ意味もある。というのに、正に今はサティによって暴走してしまっているという状況だ。

 どうするかといえば、出家済みの元貴族の中から優秀な者を探して養子にとることになるだろう。しかしいかに優秀な者であっても、あのアルすら排除されてしまった役目に突然押し込めば二の舞になるだけなのではないか……。とはいえマイクを後継者から外して裏の方にまわらせるというのも、ありえない。マイクは優秀だが世の中は正義によって回っていると信じているような性質だ。表の方であれば経験を積んでいけばこなせるであろうが、裏の方はおそらく無理だ。裏社会という場所では、もっと暗く、捻じ曲がっていて、それでいて強靭な、そんな性質こそが求められる。それこそアルのあの目……、海千山千の貴族社会で生き抜いてきた私をすら時に怯ませたような……ああいうものが必要なのだ。

 

 だめだな、過去ばかり見ていては。どうであっても、選択肢などないのだから。マイクにはコレオ家の役目を知り、後継者として務めを果たしてもらう。そして裏の方は、なんとかしてサティにも対抗しうるような者を見つけてくる。

 

 ただやはり私には決して折れない強靭な精神などはないから、考えてしまう。いっそ何かが起こってパラディファミリーなどなくなってしまってくれないものか、と。

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