第174話

 体は震えて声もうまくでないまま、僕は目線を動かすことは止められません。あるいは、同じ学園で学ぶ学生が作り出した惨状から目を背けたいだけだったのかもしれませんが。

 

 ――おい!

 ――わかってる一旦引くぞ

 ――くそっ、マジかよ信じられねぇ!

 

 襲ってきた集団のうち向かってきた者はあっという間の出来事で皆倒れてしまいましたが、余裕を持って様子見をしていた人達は何人も向こうに残っています。そして声が大きいのか、そのやり取りのいくつかはここまで聞こえてきました。

 その内容は状況からすると当然のもの――逃げるということです。あと、信じられないという部分になら、僕も心の底から同意できます。

 

 「ライラさん、対処は……?」

 「とうに済んでいます。あれらはもう籠の中の小鳥……いえ、罠にはまったドブネズミです」

 

 逃げようとする人達の背中を見ながらルアナさんが不安を口にしましたが、ライラさんはもう済んだと言います。いつ、何を済ましたというのでしょうか……?

 

 不思議に思う気持ちが湧いたからか、さっきよりは少しだけ余裕のある心持ちで、向こう側を注視していると、それは起こりました。

 初めは地面が光ったのを見ました。続いてそこから炎が吹き上がり、さらには壁からも横向きに炎が出ています。

 

 ……それは確かに籠、あるいは檻の様にも見えました。逃げようとしていた人は一人残らずその中に囚われ、さらに内部に向かって不自然な風が吹き込んでいるようでごうと燃え上がる音以外には悲鳴も聞こえてきません。どれ程の罪を犯した悪人ならば、あのようなむごい檻に収監されるというのでしょうか。

 

 そして消えることのない地獄の業火のようにも見えていたそれは、次の瞬間には嘘であったかのようにふっと消え失せ、残る熱気だけが事実であったと主張します。その場所にはいくらかの灰だけが落ちていて、それが“何人分”かもわかりません。

 

 「あれは……まさか……そんな……」

 

 あのような現象は魔法以外にありえません。そしてそれはライラさんが為したことだということも明らかです。だけど立て続けに起こっていることがあまりにおぞましくて、うまく言葉にすることもできません。

 

 「あれってば、ライラちゃんの魔法なのよ。いつの間にか用意されてて、急にぶわって来るの……」

 

 期待していなかった答えが聞こえたことに驚きますが、どうやらサイラさんも怖ろしく思っている様子です。一瞬だけ身を震わせたその様子は、まるで自分であの魔法を受けたことがあるかのような言い様でしたから。

 

 「噂以上でしたね……。ところで、あちらの方は気にしなくて大丈夫、なのですよね?」

 「ええ、大丈夫です」

 

 そして感心しているようではあっても怖れは見せずにルアナさんは話しかけ、ライラさんも何でもない様子で返事をしています。話の内容は僕にはよくわかりませんでしたが、そんなことよりその平然とした態度の方が僕としては気になってそれどころではありません。

 

 とんでもない所へと首を突っ込んでしまいました……。何度目かもわからないことを考えて、無言のまま頭を抱えます。口に出して何かをいうのも怖いですから。

 しかしあまりのことが続いたからか、体の方は恐怖にも慣れてきたようで、震えてはいても普通に動くようになってきました。人間の適応力こそが怖いのかもしれない……なんて益体もない思考でなんとか気を紛らわします。

 

 っ!?

 

 そうして顔を上げると、とんでもないものが視界に入ってしまいました。黒い服や装備品で身を固めた、いかにも暗殺者然とした人が僕のすぐ近く、サイラさんの方へと手にした刃を差し向けようとしているのです。

 顔も隠していて男か女かもわからないその相手は、しかし状況からさっきの襲撃者達の最後の一人なのでしょう。あまりのことに喉も固まって声どころか息すらまともにできません。

 

 「やってくれたな! せめて落とし前くらいはつけさせてもらう!」

 「あ、危ないっ!」

 

 だけど、この怖ろしい悪夢の世界みたいな状況の中で、唯一優しい心を持った存在であるサイラさんを犠牲にする訳にはいきません。

 

 だから僕は……、自分の身を盾にしようと前にでました。停滞なく足が動いたことに我ながら驚きつつ、さらに二歩目を踏み出そうとしていたところで、突然の衝撃に襲われ視界がぐるぐると回転します。

 

 「あなたってば邪魔なのよ…………。仕掛ける前に声なんて掛けたらラセツにたくさん叱られるのよ?」

 

 前半は僕に対してで、後半は暗殺者に対して。それはわかりましたが、それ以外はわかりません。――助けようとした僕が邪魔とか、ラセツって誰とか、叱られるって何とか、どうしてこの子はこの状況に笑みを浮かべているのか……とか、何もわかりません。

 

 「うああぁっ! くっ、う…………え?」

 

 サイラさんに突き飛ばされたらしい僕は、ぐるぐると何度も転がってから壁か何かにぶつかって止まったことで、ようやく顔を上げて周囲を見ることができました。どっちを向いているかもわかりませんでしたが、目を向けた方はちょうどサイラさんが立っている方向でした。

 サイラさんが……、黒い布や革の切れ端が混じった血肉の塊の傍らで、嬉しそうに笑って立っている方向でした。

 

 僕は本当に……何に首を突っ込んでしまったというのでしょうか。

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