第125話

 あたしはライラ、ご主人様の忠実な使用人で、サイラの姉です。五年前、その時に仕えていたコレオ家でのちょっとした出来事から子弟であったアル様についていくことを決めたあたしでしたが、気持ちだけでは何の意味もないこともまた学んできました。

 サイラをも救っていただいたことで、あたしの中のご主人様への忠誠心は揺るぎないものへとなりましたが、気持ちが固まるにつれて実力不足への苦い思いもまた強まっていったのです。

 

 最初は、とっさの時に盾にでもなれたらそれでいいと考えていました。貴族とはいえ後継者候補でご主人様の兄であるマイク様に健康上の不安もないコレオ家では、ひどい謀略などないだろうし、コルレオンは治安のいい街。だから事故か何かの時にこの身を投げ出せればそれでいい、と。

 

 しかしそれは甘い考えでした。

 

 ご主人様をご主人様たらしめる、その尋常ならざる慧眼にて、ご主人様は普通に出家して人生を送ることはできないとわかり、裏社会での危険に備えなければならなくなりました。

 そしてある程度鍛錬の真似事をしたことで、あたしには体を動かす才能というものが全くないことも発覚しました。

 

 思っていたよりもご主人様の人生は危険に満ちているのに、思ったほどにあたしは役に立てそうにない。縋るように勉強に精を出したことで、事務的な面ではご主人様のために働くことができるようにもなりましたが、それだけでは駄目なのです。

 裏社会……それは理不尽と悪意が支配する場所。そこで生きていくご主人様を補佐するためには、そうしたものを払いのけるための暴力が、あたしにも必要です。

 

 しかし、思わぬところに光は差し込みました。魔法です。

 ご主人様が得意とするそれを、伏して頼んで教わったところ、どうやらあたしにはそちらの才能が少しばかりはあったようでした。ご主人様を守るための手段を得るためにご主人様の手を煩わせるという、恥知らずここに極まれりという行いでしたが、あたしはもう恥を忍んでそうするしかなかったのです。

 

 

 

 今になったからこそ実感できます。本当にあたしに魔法が使えて良かったと。

 

 「手が……手……手が……どこ……」

 

 だからこそ、こんな危険人物を探るという仕事も、ご主人様から任せてもらえる。

 

 「あなたが巷を騒がせている通り魔ですね? どうしてヴァイシャル学園の生徒を襲うのですか?」

 「ヴァ……ヴァイ? ヴァイ……ぁい……ない? ……ない……手が……」

 

 一応話しかけて見たものの要領を得ない。完全なる狂人……いや、狂ったのではなく壊れたというほうがしっくりときます。何故なら、ぼろ布をまとっているだけのような服装の下に見えるのは右腕がない体。それで「手が」どうのと呟いていれば、酷いことがあってこうなったというのは想像がつく。

 

 一応ということで、ご主人様から通り魔に関する情報を収集するよう言いつかったあたしは、とりあえず通行人がいれば話を聞こうと適当な路地をうろついていました。

 そして遭遇した最初の相手がこれだったのです。

 ……たしかにこんなところでは荒事もやむなしとは思っていたものの、こうなるとは驚きでした。

 

 壊れた通り魔は防具のようなものこそ身につけていませんが、その左手には手首で固定する三本の爪が取り付けられています。刃物でも鈍器でも、手で武器を持てば塞がってしまうので、隻腕の通り魔はあの異様な武器を選んだということでしょうか。だとすると意外とああ見えて合理的な思考をするようです。

 

 「ヴルカ滞留スタレ

 「っ!」

 

 あたしの詠唱を聞いて通り魔はびくりと身構えました。攻撃だと認識して構えたということは火のレテラは認識できている? そして“飛んでくる”と勘違いでもしているような反応ということは滞留のレテラは認識できない?

 騙そうとして演技したのでなければ、おそらくこの通り魔はウノマギアといったところでしょう。まがりなりにも魔法使いではあるからこそ、詠唱したのに発動しなかった・・・・・・・あたしの魔法に不思議そうな反応をみせているのだと思われます。

 

 「ヴルカ放出パルティ

 

 続いて後ろに跳び下がりながら詠唱。今度は素直に手から火球が飛んでいきます。運動の苦手なあたしといえども、火球を躱しながらでは距離を詰めてくることもできないでしょう。まずはこうして距離をとってしまうことが、魔法使いにとっての必勝法です。相手が格下であるのならなお更。

 

 え!?

 

 「血が見たい! 血が見たいのっ! 消滅スコンパルサぁ!」

 

 あたしと相対してからもどこかそっぽを向いていた通り魔が、突然はっきりとこっちの目を凝視したと思った次の瞬間、まっすぐに走ってきました。はっきりとした口調で意味のわからないことをいいながらのその突撃は、何らかの魔法を発動したことであたしをより驚かせました。

 予想通りの一文字魔法。だけど認識できなかったそれは、その発動した効果でもって何であったかを誇示します。

 

 「消滅魔法っ」

 

 爪をつけたままの左腕を無造作に振り抜いた後には、あたしの放った火球はありませんでした。弾くでも防ぐでもなく消え去るそれは、ご主人様の使う消滅魔法にほかなりません。

 

 「ヴェント滞留スタレ強化フォルテ

 「あはははは! 失敗っ? また失敗!」

 

 あたしの詠唱した三文字をおそらくウノマギアである通り魔はほぼ認識できなかったはずですが、一応突き出しておいた・・・・・・・・・・右手の先から何も出てこないのを見て、今度も失敗と勘違いした通り魔は嬉しそうに無防備な突撃をしてきてくれる。

 

 あたしが一生懸命跳び下がった距離を、ぼろ布の通り魔は一瞬で詰めてきました。それほどの身体能力差。ですが、この通り魔は見た通り注意力は足りないようです。

 あとほんの一歩であたしを鋭い爪の餌食にできるとでも思っているのか、振り乱した髪の隙間から覗く口が弧を描くように歪んでいます。

 

 「ふふ」

 

 あたしが思わず笑いをこぼした瞬間、通り魔が踏み抜いた地面から炎の渦が吹き上がりました。

 

 「ぴぎぃやぁっ!」

 

 通り魔が失敗と思い込んで嘲笑した最初の魔法。あたしが設置しておいた火と滞留の二文字。それらがまるでヘビのように巻き付いて、その高温の舌に舐められたことによる悲鳴です。

 

 「わ……わ……す、すこ――」

 

 苦しみながら通り魔は反転して、今度はあたしから距離をとろうとする。ためらいなく背中まで向けてくるのは驚いたけど、行動自体は予想の範疇。狂っていようが、壊れていようが、炎は生物の本能を炙るのです。

 だからこうなったなら、とにかく離れようとすることは、消滅魔法を見る前から予想がついていました。

 

 つまりはあたしの設置したもう一つの魔法……三文字のそれも狙い通りに発動します。

 

 「――すこぎゃあぁぁぁっ!」

 

 路地の壁に設置しておいた魔法が強力なつむじ風となって巻き起こり、通り魔を焼いていた炎を猛火へと成長させました。

 

 全ては狙い通り。この通り魔はあたしを圧倒できるほどの身体能力をもっていますが、あたしの“盤面”を覆せるほどの知力は持ち合わせていない。あたし固有の才能だとご主人様も褒めてくださったこの遅延発動式魔法があれば、そんな相手はカモでしかありません。

 

 繰り返しますが、炎は生物の本能を炙る。ここまで体に火の手が回れば、走って逃げるどころかもはや這いずることも不可能でしょう。

 

 「ぇ……ぇぁ……ぉぉ……」

 

 一応死なない程度には加減しました。だからあとは、これに少量だけ魔法薬をかけてから、拠点まで引きずっていきましょうか。

 

 「ぇは……手は……どこにあるのぉぉぉっ!」

 「な!?」

 

 立ち上がって、走り出したですって!? それになんて身体能力……、さきほどまでよりもさらに速い。

 

 そうして、あたしが間抜けに驚いている間に、大火傷を負わせたはずの通り魔は逃げていってしまったのでした。

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