第78話
学園都市と呼ばれるここヴァイスは、かなり治安がいい。裏側をパラディファミリーが支配する僕の故郷コルレオンほどではないにしても、それに近いくらいだ。
ヴァイシャル学園を中心に発展した街というだけあって、その大半を構成する住人が学生、教員、職員、そしてそれらの関係者であるということが理由だろう。ほかも殆どがそれらを相手にする商人とかになる訳だし。
なんでそんなことを急に考えるかというと、それでも例外はあるということだからだ。そうした中でも生じてくる淀みみたいな存在はどこにでもあるし、あるいはそうした街だからこそカモが多いと考えて寄ってくる輩だっている。
「いい所のお坊ちゃんかなぁ? かわいいメイドを連れ回してお楽しみだなぁ!?」
目の前で僕らに絡んできている男は、それでいくと後者。どこからかやってきた小物の盗賊かなにか……いわゆるチンピラだろう。
そもそもの話、ここに根を張った裏社会の人間なら“いい所のお坊ちゃん”に冗談でも手を出したりしないだろう。有力者――特に貴族――の子弟に絡んで、怪我でもさせようものなら、それはそれは苛烈な報復を受けることなんて、そういう人間の方が良く知っているはずだ。……実際に僕はコレオ家の人間な訳だから、こいつは正に今“当たり”を引いてしまっているし。
まあある意味、絡んだのが僕であったのが、こいつの幸運だったのかもしれない。
「うるさいよ、娘に変な目を向けるな」
「はあ? 娘? 何言ってんだこの――」
ぞんざいに返すと、チンピラはラセツを見ていた不快な目を片方だけ大仰に見開きながらこっちに向ける。
僕は今は機嫌がいい。穏やかに過ごす休日の気分が悪いわけがない。加えて、グイドなんていう特大の暴力と争ったばかりで、静かに過ごしたい欲求も僕にしては珍しくわりとあったりする。
ということで、問答無用で殴り倒しても良かったんだけど、適当にあしらうことにして僕もじっと見返した。
こっちを見てきた不快な目をただじっと覗き込んだ。それだけだ。
「――この、その……あの……まあ、なんだ、なんでもねぇよ……くそっ」
もごもごと何かを口にしていたチンピラは、途中でふいっと目を逸らすとそのまま路地に入ってどこかへ行ってしまった。
小物とはいってもああいうチンピラは、それなりに暴力の中で生きているはずだ。そういう人間だからこそ、嗅ぎ取れる匂いみたいなものもある。長身だけど細身で金色の髪もふわっとしている僕はこいつの言った通りいかにもお坊ちゃん然としている……認めるのはちょっと癪だけど。だけどそんな風貌だからこそ、見返してくる目線の揺らぎのなさに感じるものがあったはずだ。というかそれすらわからないようなら、それはただの狂人だから、それはそれでこっちが放ってはおけないけど。
「いこうか」
「ととさま、妾はあれも食べてみたいのじゃ」
一連のやり取りがなかったかのように、ラセツは通りの向こうに見えている露店を指差している。手にしている箱はいつの間にか空になっていたようで、今度は辛いものが食べたくなったようだ。
そんな風にちょっとしたトラブルもありつつ楽しく過ごしていると、ふとラセツの姿が見えないことに気付いた。もちろん普通に歩いていて見失った訳じゃなくて、冒険者や旅商人向けの小物屋で夢中になっていたからだ。
いや、仮にも娘と休日を楽しんでいる最中に、自分の見たいものに夢中になるなよって話なんだけど……それはまあ、置いておこう。
「えっと……あれ?」
小物屋の外を出ると通りになっている。学園の正門から続く大通りではなくて、一本ずれた通りだけど、それでもそれなりに大きな通りだ。だから解析のレテラの副次効果で探っても、人通りが多くて意味がないかなと思ったんだけど……、そうでもないようだった。
街中でまともに魔法を発動させる訳にもなぁ、なんて心配は杞憂で、副次効果で明らかに気付けるくらいの規模でラセツの魔力を感じる。さっきまでの日常ではありえない、明らかに何かを使ったって規模の魔力だ。
あの路地を入った先か……? ちょっと行ったところだな。あっちの方は何もないはずだけど、そんなところに何の用だ? 退屈して迷子にでもなったのかな。
「あぁ……なるほど」
「あ、ととさま。探させたのなら悪かったの」
奥にある何やら大きな敷地の建物を囲う立派な塀に、氷の塊が張り付いている。ラセツがおそらくあの精霊鬼の魔法でやったんだろう。
「しかし……」
すこし思いを巡らせて眉間に皺が寄る。突然氷遊びを始めた娘を心配して……では当然ない。理由ならその氷の
「ととさまに迷惑を掛けたこやつがこちらを探りながらついてきておったようじゃから黙らせておいたのじゃが……もしかして、まずかったかの?」
そんな僕の表情を見て、ラセツも不安そうにする。無用な不安を与えてしまったみたいだ。
「いや、こいつは問題ないよ」
「なら、良かったのじゃ」
さっきも考えていたように、こいつはおそらく流れ者だ。地元のチンピラなら、僕も立場上面倒なことになりかねないけど、こいつは大丈夫だろう。
とはいえ、考えてみればラセツはそもそも人間ではないんだから、一応釘は刺しておかないと。
「でもほどほどにな」
「うむ」
行く先々で死体の山……というか氷の塊を作られたら、さすがに誤魔化しきれなくなりそうだしね。今回はまあ、相手が相手だし放置でいいだろう。
一応、周囲の気配を探って誰も見ていないことを確認しつつ、僕はラセツと通りに戻ってきた。
「ととさまはあの店はもう良いのか?」
途中でラセツがいないことに気付いて出てきたけど……そもそも何か探し物をしていた訳でもないし。
「ああ、大丈夫だよ」
「ならあっちも気になるのじゃ」
元気にラセツが引っ張っていこうとするのは、わりとがっつり感のある串肉とかが売ってる露店のある方だった。
やっぱりこの“食いしん坊鬼”は、焼き菓子とかよりもお腹にたまるものの方が好きなのかな。とか思いつつ、僕は僕で育ちざかりなものだから、タレで焼いた肉を想像しただけで口の中に涎がたまりそうになるのだった。
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