第75話

 俺、グスタフ・シェイザは子供の頃は気弱で大人しかった、今も別に派手な気質になったということではないが。とにかく、なりたい自分がなかったから常に不安を抱えていた。

 シェイザの家に生まれたからには、剣術を極めることを求められるし、それに疑問を抱く子弟などいない。そういった環境にあって、当時の俺は強さを求める“理由”を見出せなかったということだ。

 

 そんな俺の“理由”になったのが、アル君……アル・コレオだった。

 かつてはただのうっとうしい幼馴染でしかなかった。貴族同士のしがらみによって近くにいるだけの――幼い俺はその理由もしらなかったが――いい感情など抱くはずもない相手だった。

 

 しかしあの日に全てが変わった。実はその少し前から変わっていたということは打ち明けられているけど、少なくとも俺が気付いたのは俺たちの額に傷ができたあの日だ。

 あの日に見た戦うアル君の背中、そして己に感じた無力感。初めて自分が弱いということを悔しく思ったことで、シェイザとして強さを求める“理由”が芽生えた。

 

 体を鍛え、剣技を磨き、心を静かに保つよう努めてもきた。それもこれも全てはアル君の相棒として、隣に立っているためだ。

 倒れたアル君を背負って運びながら俺は悔しかった、守られていたことが。そんな強いアル君を心の中では見下していたことを、恥じていたんだ。

 自らを傷付けて、その傷を誇りに思うとまでいってくれたアル君に、その先も庇護されていくなんていうのは、駄目だと強く感じた。

 

 そして十五歳になり、ヴァイシャル学園にもいい成績で入学を果たした俺は、うぬぼれていた。だからアル君を押さえつけようとする宿敵ドン・パラディの配下二人にすら敗北し、今度は目の前でどこかへ消されることを止められなかった。

 

 

 

 「アル君がっ! いなくなったんだっ!」

 

 実習中のダンジョンから飛び出し、近くに待機していた仲間たちのところへ辿り着いて状況を伝えた時も、まだ冷静ではなかった。

 

 「誰がやったのじゃ?」

 

 だからラセツからそう問われてハッとする。そうだ、あの双子を放置してきてしまった。アル君を消した手段がなんであったにせよ、その情報を聞き出さないといけなかった。

 どんな姿を理想として、どんな努力をしてきたとしても、どうにも気弱な本質は変え切れていないらしい。だから動揺した時に仲間がいるところへ合流することを何よりも優先して、考えなしに動いてしまった。

 

 「もどっ――」

 

 すぐに引き返そうとしたところで、表情のないライラに引き留められる。こちらは仲間だと認識しているとはいえ、自分がアル君の使用人であることに誇りを持っているライラが、一応は貴族子弟である俺の腕を掴んで引き留めるなんていうのは、らしくない振る舞いだった。

 そして俺が「戻らないといけないから放してくれ」というために口を開くよりも、ライラの表情が崩れる方が早かった。

 

 「ご、ごご、ご主人様は!?  うぅぅぅぁぁぁぁあああ!」

 

 涙と鼻水に塗れて泣きじゃくる姿を見ると、少しだけ懐かしい気持ちも湧いてくる。今でこそ冷静沈着な参謀的雰囲気があるライラだが、数年前まではこの姿が素だった。

 そして俺の本質が変わってはいなかったように、忠誠心を悪くいえばアル君に依存しているライラは、この状況では正気を保てない。

 

 「ぇ、え、あ……ライラちゃん? えと……」

 

 そしてサイラの方はこれがずっと本質だ。その生い立ち故に仕方がないが、サイラはアル君かライラからの指示がないと、自分で考えて行動するということはできない。

 

 そう考えると、先ほども俺の失敗をすぐに指摘したラセツの存在はありがたい。新参だが、落ち着きのある実力者であり、大人――という言い方が正しいのかはわからないが――である彼女は俺たちに欠けていたものを埋めてくれているのかもしれない。

 この窮地にあって、直前にそれを引き当てていたアル君はやはり天に愛されているともいえる。俺だけで空の棺を見ていても絶対にああはならなかった。やはりアル君を失う訳にはいかないという気持ちを固め直していると、ラセツがふと違う方向を見ていることに気が付いた。

 

 「そこにいるようじゃの」

 

 何のことはないように言ったラセツが指さす方を見て、俺が、そして続いてライラとサイラが、言葉も出せずに固まる。

 

 「いやぁ、大変だったよ」

 

 アル君だ……。歩いてきた方向からしてダンジョンを出て俺を追ってきたんだろうけど、何事もなくひょっこり現れたなんてことではないことはひと目でわかった。

 あの双子に何かを仕掛けられた時、アル君は無傷で綺麗な服装と装備だった。それが今、防具は半分以上がなくなっていて丈夫な布地の服はあちらこちらが破け、肌には傷が無数にあった。

 俺には見ただけでわかった。あれは想像を絶するような技量で斬りつけられた跡だ。一見無作為についている傷の全てが、的確に急所かそれに近い部位にある。アル君がそれらの一つでも避けそこなっていたら、ここに帰ってはこれなかったであろうことが、手に取るように理解できた。

 

 「アル君ごめん……俺はまた……」

 「何を謝ることがあるんだよ、まあ僕も含めて油断したのは確かだから反省はあるけどね」

 

 とっさに謝ろうとした俺をアル君が止める。

 

 「ご主人様ああああっ!」

 「よかったって、サイラも思うの!」

 

 泣いて縋りつくライラと、無邪気にはしゃぐサイラの二人を適当にあしらう姿に、ようやくほっとした心持ちとなってくる。

 

 だけど、冷静だったラセツが、どうにも静かすぎることが気になって視線を向けて、驚いた。

 

 「え? え? とと……え?」

 

 余裕のある態度を緊急事態でも崩さなかったラセツが、妖艶ともいえるその顔を間抜けに呆けさせて、何度も首を傾げている。

 

 「ちょっと長く待たせて悪かったね」

 

 何やらを知っている雰囲気でアル君がそう声を掛けると、ラセツの雰囲気がさらに一変した。

 

 「ととさまぁっ! ふえぇぇぇん」

 

 幼児のように泣きじゃくるラセツがアル君に縋りついたことで、ライラとサイラもどうしていいかわからずにいる。あれ程取り乱していたライラすら困惑のあまりに逆に落ち着かせたラセツの様子だったが、アル君だけは普通に受け入れている。

 

 「まあ何があったかは後で話すから、一旦実習の方に戻ろうか。今ならちょっとさぼったってことで誤魔化せそうだし。あの二人のこともあるから、その後で拠点に戻って作戦会議だ」

 

 そんな風にいつもの調子で指示を出していくアル君を見て、不意に足から力が抜ける。

 

 「っと」

 「大丈夫?」

 「ああ、ごめん。もう大丈夫だ」

 

 片手でラセツをあやしつつ、もう片手で俺を支えてくれたアル君に心配ないと伝えてから動き出す。

 気が抜けている場合でもないな。俺はもっと強くならないといけないと痛感した。それは今回みたいな不甲斐ないことを繰り返さないという意味でもあるけど、それだけではなかった。

 

 「……」

 

 ラセツに先に拠点に行っているよう言い聞かせてから歩き出したアル君の背中を見ればわかる。この短い間にどんな修羅場を経験したかはわからなくても、間違いなく一段階上の強さを身につけて戻ってきたんだ。

 どんどんと強くなる相棒の隣に立ち続けるためには……、あの日みたいに守られるだけでいたくないなら……、俺は「さすがシェイザ家の子弟」なんて言われるようなところで満足してはいられないようだ。俺は……もっと強くなろう。

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