第66話
「……え?」
遺跡を出た僕が出くわしたのは絶望を含んだ小さな声だった。発した当人もまた小さい。ぱっと見で十歳くらいの女の子だ。
ただし“子”なんていっても、子供ではあっても人間ではなかった。肩より少し長い髪は褐色の肌によく映える雪のような白さで、まるで血に濡れたように赤い瞳、そして幼いながら異様に整った顔よりも真っ先に目を引くものが額にある。――黒い角だ。
「おっと」
「ひっ!」
僕が唐突にその子の顎下あたりへと手を伸ばしたものだから、驚かれ、怯えられてしまう。
「あ、ごめんね。ついとっさに」
見ていた時に落ちたものだから、思わず受け止めたのは角の先端だった部分だ。そこが欠け落ちたようだけど、よく見るとそれ以外にも和服にも似た白と紫の服装もあちこちが小さく破れたりしているし、肌にも擦り傷が多い。怪我というほどのものもないけど、何かトラブルの渦中にあるのは明白だった。
「え、あ、あぁ……」
そして僕が手にしたのが何かに気付いたその子は自分の角の先端に手を当てて絶望した表情を見せる。何となく理由は察せられる。というのも、ほんの小さなこの欠片でさえ、非常に硬く、信じられないような魔力を内包しているのを感じる。予想するまでもなく、これは“精霊鬼”にとって普通は欠けたりするようなものでも、していいようなものでもないんだろう。
僕の知る精霊鬼も角の先が欠けていたものだけど、これはよくある事故なんかでは断じてないみたいだね。
とはいえこれだと話が進まないし、さっき聞こえた大きな音からしてもトラブルの中身が気になる。角の欠片は一旦ポケットにしまいつつ――大切なものなら目の前で投げ捨てるのもさすがに気が引けた――僕は会話を続けようと試みる。
「何か、困りごとかな? 僕で良かったら力になるよ」
半分嘘だ。力になるかどうかは話を聞いてみて、内容による。それが僕の状況を解決するヒントになりそうなら手を貸すけど、そうでないならそんな義理はない。だけど僕のそんなうまくもない嘘は、なかなかに効果的だったようで、怯え切っていた鬼の子供はぽかんとした後で口を開く。
「……ぁ、えと……、妾はその……最近目が覚めたばかりで、怖い人間が追ってきたから逃げて……」
スケルトンの硬骨ですら、魔獣の素材というのはそれなりの値がつく。まして幻の魔獣ともいえる精霊鬼であれば、それこそさっきの角の欠片でも目が飛び出るような価値があるんだろうね。一応は貴族である僕でも、値を聞けば心が揺らぐくらいの。
そう考えると追われる理由なんて容易に想像はつくけど、精霊鬼っていうのはこの位の大きさで唐突に顕現して、その後は成長するってことなのか……? 顔見知りの食いしん坊鬼は成人くらいの姿だったし。魔獣っていうのはつくづく不思議な生態をしている。
「君を追っていたのって……、あぁ、君じゃ何だから名前を聞いてもいいかな?」
「名前?」
質問に質問で返された。けどこうまで見事な“きょとん”を表情で見せられると、それに苛つくこともできない。本当にぴんとこなかったようだ。……考えてみれば、僕も僕だ。魔獣相手に何を聞いているんだ。
「名無しだとちょっと不便か……。えっと、とりあえず仮にだけど、ラセツって呼んでいい?」
「っ! らせつ……ラセツっ! ととさま、ありがとう!」
何でもよかったんだけど、精霊鬼っていうことで思い浮かんだ名前を安直に口にすると、とても気に入ったようだ。ここまでずっと悲壮な表情しかしていなかったのに、ぱっと嬉しそうな顔をする。
それに魔獣に親という概念があったことに驚いたけど、“名付け親”としてこの一瞬で随分と懐かれてしまったようだ。まあ、敵意や悪意ならともかく、好意や尊敬ならいくらでも勝手に抱いてくれればいい。こっちに損はない。
……。
…………。
………………っ!?
僕は馬鹿か? 間抜けか? それとも阿呆なのか!?
外見が違うってことで、同じだなんて考えもしなかった! 魔獣である精霊鬼の成長を都合よく考慮外にしていた。そもそもあっちのラセツから親がどうとか聞いたときにもついさっきもそれほど深く考えもしなかった。
ラセツが空の棺に封印されていたのが推定百年。空の棺の説明書によるとあの中では歳をとる。乱暴な決めつけだけど鬼の老化がざっくり人間の十分の一ペースだとすると、二十歳くらいに見えていたあのラセツが封印されたのはちょうど十歳くらいの外見年齢の頃ということになる。
そしてさらに考えなしの僕が積み重ねていた事実だ。欠けた角を持っている、父と認識されている、という成立したばかりのこの二点。
違うと考える方が難しい。この子が“ラセツ”で間違いない。僕が本来父となるはずの誰かの場所に違う時間から来て割り込んでしまったのか、あるいはこれも含めてすべてはなるようになったということなのか、それはまた何ともいえないけど……。いや、これも今考えるようなことじゃない。
「ととさま……? いや、だった?」
「別に嫌ではないよ。まあ、好きに呼んでくれ。それより……」
僕がしばらく黙ったことで、不安そうにラセツが聞いてきた。ここに至って否定しようとしたところで無駄だろうと受け入れることにした僕だったけど、そもそも擦り傷だらけのラセツを追っていたという存在について聞こうと話を変えようとしたところで、それは現れた。
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