第45話

 「まだドン・パラディが定着する前の俺様の渾名を教えてやるよ、“魔法殺し”ってんだな、これが」

 

 どこかふざけた、つまりは余裕のある声とともに、サティはナイフを握っていない方の左手で白炎を切り裂き、そのまま硬直するアルの頭部を掴んだ。

 

 「あり……えない……」

 

 魔法を耐えるでも吹き飛ばすでもなく、消しながら突き進んでくるその手を、アルは凝視したまま視線を外せず、かわすこともできなかった。

 

 「はっ、これだからガキはっ!」

 

 そしてそのままサティは左手を振り下ろし、床に向かって叩きつける――もちろん掴んだアルの頭部ごと。それは建物全体が軋みを上げる程の衝撃だった。

 

 「ふいーっ、ひと仕事終えたってなもんだ」

 

 ぱんぱんと両手を打ち合わせて息をつくサティの足元で、頭からの血で顔面を汚したアルは動かない。

 

 「まあーうん、こんなもんか?」

 

 見下ろすサティの表情は相変わらず口だけが笑んだ軽薄なものだったが、その瞳の温度は数度下がったようだった。

 

 「魔法の腕はかなりのモンだったけどよ……、よくいるお上品なマエストロ様ってとこかな……ひひっ」

 

 ホール内にあったはずの倒れたテーブルや散乱した食器類、そして様々な調度品がきれいさっぱりと消えている。それらは灰も残さずに蒸発しているにもかかわらず、壁や床、天井は焦げているものの消失していない。その事がアルの魔法の技能がいかに高いかを示しているが、サティはそのことにはそれ程の興味を抱かなかった様子だった。

 魔法のうまい使い手などいくらでもいるが、強い使い手でないと、この裏社会の大物の興味はひけない、ということだ。

 

 「杯は……あぁ……もういっか、面倒だし」

 

 一瞬だけ辺りに視線を巡らせたサティは、グラスも何も見当たらないことを確認して、そう結論した。テーブルについていた時の素振りはやはりアルを侮辱するためだけのパフォーマンスであり、古いしきたりにこだわりも愛着もある訳がないことが、態度に表れている。

 

 「ドン、こちらも問題なく終わりました」

 「ヴィオレンツァが全部潰しちゃうから、いっちゃんはつまらなかったのー」

 

 外から触れられた途端に崩壊した扉の向こうには、ヴィオレンツァとインガンノが立っていた。その報告は、アルだけでなくその仲間たちもなすすべなく叩きのめされたことを示している。なにせ、インガンノの言葉通りであれば一人で戦ったというヴィオレンツァの着ているタキシードは、少し皺が寄って砂埃がついている程度であったからだ。

 

 「ヴィオレンツァ~、俺様に報告に来る前に砂くらい払ってこいよ」

 「あっ! 失礼しました」

 

 慌てるヴィオレンツァを愉快そうに見ていたサティは、足元へは視線をやることもなく、続けて口を開く。

 

 「こっちは全然だったけどよ、そっちは多少おもしろかったようじゃんか?」

 「メイドの姉妹は特に何も……、しかしシェイザの小僧は先が楽しみになる程度には。さすがは鬼の一族、というところでしょうか」

 「だから腕くらいもいどこうよって、いっちゃんは言ったのにヴィオレンツァはダメっていったのー」

 

 この二人にそうまで言わせる、という事実にサティは先ほどより少しだけ、軽薄な笑顔に熱を帯びさせる。

 

 「鬼……か、さすがだねぇ」

 「おとぎ話の化け物に例えられるほどの一族……、当主であればどれほどか、と」

 

 好戦的な本性を晒すヴィオレンツァだったが、サティは違う所に反応する。

 

 「おとぎ話……ねぇ……ひひっ」

 「違うのですか?」

 「精霊鬼しょうりょうきは、ほんの百年くらい前にこの辺りにいたとされる化け物なのー」

 

 聞き返したヴィオレンツァに博識なインガンノが説明する。が、興味もなかったようで、それ以上何かを聞こうとすることもなかった。

 

 「お? お仲間の身が心配かい? ……って、起きてはないのか」

 

 その時、ぴくりと手を反応させたアルに、サティはようやく視線を向ける。だが、気を失ったままであり、無意識のうちに聞こえた言葉に反応したのか、あるいはただ動いただけか、定かではなかった。

 

 「いや……取り巻き連中の腕もぐってのいいかもしれん。起きた時にこのつまらねぇガキがちょっとは面白れぇことに――」

 

 嘲りと愉悦の混じった言葉をサティが吐き切るよりも前だった。倒れて動かなかったはずのアルはがばっと起き上がり、寸分のためらいもない動作で右の拳をサティの顔面に向かって振り抜いていた。

 

 「ふぅっ、ふぅっ、ぐ、ぎぃ……が……」

 

 獣のように息を吐き、血塗れの顔を憎悪に歪ませて右腕を突き出したアルは、瞬時に動いたヴィオレンツァによってがっちりと抑えられており、意識があろうがなかろうがこれ以上は動けない。そのうえ、驚きつつもしっかりと反応したサティは身を引きながら首を傾げ、アルの拳をかわしている。

 ……しかし、ほんの浅く、それはサティの左頬を裂いていた。

 

 「…………」

 「意識ありません。闘争心だけで動いたのかと」

 「ドンに傷を……、いっちゃんがそいつを八つ裂きにしてあげるのー」

 

 ヴィオレンツァは静かだが内から怒りを滲ませ、インガンノは露骨に報復を望むがどこか空々しい。

 当のサティはというと、どちらとも違って喜悦の表情。そして頬の傷に軽く触れたサティはその手をそのまま再び動かなくなったアルの方へと差し向ける。

 

 ヴィオレンツァはどう見ても意識のないアルをそれでも警戒緩めずしっかりと押さえつけ、インガンノがわずかに鼻をひくつかせて何かに期待する素振りをみせる。

 

 「……? 何してるのー?」

 

 サティは自身の血がついた指を意識がないままのアルの口内へと押し込み、そのまま何をするでもなく手を引いてしまう。不思議に思ったインガンノが聞くが、サティはへらへらとするばかりで答えようとはしない。

 

 「まぁ、悪くねぇってな。いくぞ、お前ら」

 

 そしてそれだけ言うとサティは半壊した建物を後にし、二人の側近も続いていった。倒れ伏すアル・コレオをそこに残して……。

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