第5話

 僕の父上ことヴィルト・コレオが『すぐに手配させよう』と言っていた本は、本当にすぐに僕の手元へとやってきた。父上付きの執事であるコンシレが立派な装丁だけど古臭い本を持ってきてくれた時は、すごく驚いてしまったくらいだ。

 

 当たり前のように何カ月も待たされると思っていたよ。

 この世界では本はそれほど貴重という訳ではない。もちろん書かれている内容によって価値は大きく変わるのだけど、紙と印刷については魔法的な技術によってそれなりに普及しているからだ。

 なら何故待たされると考えていたかというと、コレオ家における僕の立場が理由。今の僕自身にある十歳までの記憶と、ゲーム『学園都市ヴァイス』から得た知識はこの点においても一致していて、僕の立場というのは決して良いものではない。

 父上はいずれ僕を裏社会へ叩き落とさなければならないという引け目から、それなりに気を使ってくれているようなのだけど、そんなある意味“腫れ物に触る”ような態度が事情を知らない使用人たちや兄には“冷遇”と映っている。その結果が“出涸らし次男”という評判だった。

 

 まあ、兄のマイクが優秀なのは事実なんだけど……。あれはいわゆる正義バカだから正論ばっかりいいつつ貴族家長男という立場を十二分に享受して『アル・コレオ』を“曇らせた”原因ナンバーツーとしてプレイヤーからは認知されていた。

 とはいえ、それも優秀な兄への嫉妬が根底にある訳で、結局は今の僕が強くなれば、周りからの評判なんてものも関係なくなる。

 

 そうとなれば勉強したい……と、自室でうきうきしながら本を開いたところで、扉がコンコンと鳴るのに意識を逸らされる。

 誰だよ……、いいところだったのに……。

 

 「アル様、ライラです……」

 

 蚊の鳴くような声。扉越しというのもあって辛うじて聞き取れたというくらいの声量だった。

 

 「いいよ、入って。……どうしたの?」

 

 入室したライラに用件を聞いても、俯いて口をもごもごとしている。最近我が家のメイドとして雇われたばかりのライラは確か十五歳で、茶色の髪を三つ編みにしている地味な容姿の少女だ。整った顔……といえると思うんだけど、全体の印象となるとどうしても地味が先に来る、そんな子だ。

 僕がおそらく通うことになるヴァイシャル学園は貴族・平民問わず受け入れているし、ヴァイシャル学園以外にも勉強ができる機関はある。だけど平民の中にはこうして職業訓練を優先した進路をとる者もすくなくないらしい。いわゆるOJTということなんだろうか。

 

 とか考え事をしている間に、ようやくライラの中で覚悟が固まったようだ。

 

 「そ、その……お勉強を、自主的にされると聞きまして…………。あっ! お飲み物をお持ちしましょうか?」

 

 後半は言いながら思いついた感全開だったし、誰かに探ってこいって言われたなこれは。新人のライラは立場が低いだろうし、この性格だ、好奇心旺盛な先輩たちの良いおもちゃといったところなんだろう。

 

 それ自体は興味がないし、本人から何か助けを求めてきている訳でもないからどうでもいいんだけど……。うん、使えるか?

 

 「そうだね、お願いするよ。これに合うお茶がいいから、味見していってよ」

 「え? え? え!?」

 

 本を読みながら食べようと机に取り出していたお菓子を一つ手渡す。庶民といってもピンキリだけど、お菓子は決して気楽にかじれるようなものではなかったはずだ。

 だけど、腫れ物でも貴族子弟の僕からすれば珍しくもない。何せキャビネットの中に日持ちするものを常備しているくらいだ。弱気なライラが口をつけやすいように口実も整えてやったこともあって、意外とすんなりと受け取って食べている。

 

 「もぐ……あぐ……、あ、あまぁい……」

 

 夢見心地ここに極まれり、といった表情だ。ライラはお菓子が普通以上に好きらしい。

 

 「じゃ、よろしくね!」

 「んぐっ、あ、は、はい! すぐに用意いたします!」

 

 十歳の子供らしく元気よくお願いすると、ライラは部屋を飛び出していった。情報収集に来たはずなのに根掘り葉掘り聞くこともなく。

 

 こんなことをしたのにも理由がある。簡単にいうと、仲間づくりだ。

 そんな言い方をすると妙に幼稚にも聞こえるけど……大事なことだ。特に裏社会なんてところでは。

 五年後に確実に行かなければならない地獄へと、喜んで一緒に飛び込んでくれる人。そういうものを僕は手に入れないといけない。

 

 グスタフはもちろん第一候補なんだけど、ちょっと理由があって簡単ではない。そこでいうと、今この時点でのライラはコレオ家に雇われたばかりの新人で、使用人内ですら“仲間”とは言い切れない扱いなのはさっき見た態度から察せられる。

 もらえるものはもらっておこう、の精神で引き込めるなら引き込んでおこう。あの程度の餌付けでどこまで効果があるかはわからないけど、とにかく屋敷内にアル派閥とでもいえるものを作っていきたいよね。

 

 でも優先は、やっぱり力をつけること。こうした根回しも同時進行でやっていくつもりではあるけど、そこは変わらない。

 ということで、ようやく本の表紙を開くことができて、思わず僕の頬は緩んでいたのだった。

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