第10話

 陽の元へと瑠菜と真鈴がやって来て、背筋を伸ばして並んで座った。

 その二人を見て、陽は微笑む。気丈に振る舞っているが、その行動のひとつひとつが、生命を削るものだ。――これが、人の母なのか。何と、強いものなのだろう。息をのんで、レイヤは三人を見守った。

「瑠菜、真鈴。二人に話があるの。――これから、どうしていくかの話です」

「これから――どうするか? お母さんと真鈴と三人で、ここで過ごすのではないの?」

「瑠菜も真鈴も、わかっているでしょう。――私にはもう、時間が残されていません」

「そんな! 母さん、そんなこと言わないで! ねえ瑠菜姉?」

「そうよ。お母さん、諦めないで。薬草も採ってきたし、レイさんに治してもいただいたし……そうよ、きっと休めばよくなるわ」

 瑠菜と真鈴が、必死に陽に呼びかける。いきなり告げられた現実に、目を向けたくないのだろう。――それはレイヤにも、わからなくはなかった。

「いいえ。……今こうしてあなたたちと話せているのは、レイさんが魔術でご自身の体力を私に分け与えて下さったから。私が劇的に回復したのではありません。この体力が尽きれば、私は恐らくもう起きられないでしょう」

 言葉もなく、目を見開いて瑠菜と真鈴は陽を見つめる。瞳の中には、うっすら恐怖の色が見て取れる。陽は更に、言葉を続けた。

「瑠菜、真鈴。――私が心配なのは、ただあなたたちのことだけ。私がいなくなったら、二人はここでどうやって過ごしていくのでしょう。よくてどこかの下働き、運が悪ければどうなることか。――旅に出なさい。私の故郷である街まで。レイさんがそこまであなたたちをお連れ下さると、約束してくださりました」

「お母さんの……故郷? ここじゃ、なかったの?」

「黙っていてごめんなさい。私はここの生まれではないわ。少し遠くの、開斗かいとという名の港街が私の生まれ故郷。――そこで、あなたたちの人生を選びなさい。ここに留まるよりは、選べる道は多いでしょう」

「母さんは一緒に行けないの? 本当に?」

「駄目なのよ、真鈴。私はもう、長くはないでしょうから。――今書いている手紙は、私の家へ届けてほしいもの。手紙は瑠菜に預けましょう。家がどこかも、レイさんに全てお話してあります」

 重い沈黙が落ちた。――いきなり知らされた現実は、瑠菜と真鈴の二人には辛いものだったことは想像に難くない。

 だが、真実から目をそらしてはならない――それがどんなに己にとって、身を切られるような思いをするものであっても。それをレイヤは、よく知っている。

(私も国の真実を知らされたときは、あのような顔をしていたのだろうな)

 沈鬱な顔。告げられたことを、うまく飲み込めないという表情。

 これからレイヤは瑠菜と真鈴を連れて旅をすることになるわけだが、二人にどうにか前を向かせることも、レイヤの双肩にかかってくるのかも知れない。

(私にお前の真似事が出来るだろうか。なあヴィクター?)

 今も鮮やかに思い出せる。力強い眼差しと、頼もしい背中。レイヤと年齢が四歳しか違わないとは到底思えないほど落ち着いた男。――レイヤを国から脱出させただけではなく、旅のノウハウをも全て教えてくれた、いわば恩人。

(……そうだな。お前に胸を張って再会するためにも、こんなところで弱気になっていてはいけないな。瑠菜と真鈴は、確かに私が預かると約束したのだから)

 レイヤは瑠菜と真鈴の方に視線をやった。

 瑠菜はぐっと両手を握りしめて、黙っている。その大きな瞳に戸惑いの色を浮かべながら。真鈴は母と姉を見守りながら、これまたじっと、黙っている。

「――さあ、瑠菜、真鈴。旅の支度をなさい。行くのですよ、外へと」

 陽が細い手を差し伸べて、瑠菜と真鈴を抱きしめる。ここで限界が来たのか、瑠菜と真鈴は声を上げて泣き出した。

 これはしばらく三人だけに、してやった方がいいな――

 レイヤはそっと、席を外した。


「ねえ、何を持って行けばいいの、瑠菜姉?」

「わからないわ、真鈴。でも――あまりたくさんの荷物になってはいけないと思うの」

 すっかり腫れぼったくなった目をこすりながら、瑠菜は真鈴と一緒に旅支度をしていた。

 瑠菜の中にある旅人のイメージというものはただひとつ、出会ったばかりのレイだった。――沙羅の村には瑠菜の知る限り、旅人は訪れなかったのだ。

 レイは全ての荷物を、一つの背負い袋にまとめていた。ならば旅の支度というのは、多くても背負い袋一つ分ということなのだろう。

 真鈴と並んで、母の用意していた袋に瑠菜は荷物を詰め込んだ。

 母と共に縫った服、料理をするときに使っている前掛け、熱を出したときに額に乗せてもらっていた手ぬぐい――みんなみんな、この家の思い出がいっぱい詰まったもの。

 何も考えないようにしながら荷物をまとめていたら、ぽたりと掌に雫が落ちた。ひとつ、ふたつと。

「……駄目だよ、瑠菜姉。……あたしまで、また……」

 隣の真鈴に視線をやると、真鈴は慌てて目元を拭っていた。

 すっかり荷物をまとめる手が止まった姉妹は、抱き合うとまた涙を零すのであった。


「仕方の無い子たちね……」

 全てのやることを終えた陽は、透き通るような眼差しで瑠菜と真鈴を見つめていた。

「レイさん。瑠菜と真鈴を、宜しくお願い致します……」

 親子の別れを三人だけでさせてくれようと、いつの間にか音も無く姿を消してしまった、少年期を今まさに脱しようとしている年頃に見えた人の顔が脳裏に浮かぶ。――真っ直ぐな瞳の人だった。あの人なら、約束を守って瑠菜と真鈴を無事に送り届けてくれるに違いない。

 どれだけ見つめても足りない、我が娘たち。その姿が、だんだん見えなくなってくる――

 陽は横になると、その瞳を閉じた。優しい微笑みを、口の端に浮かべて。

 それは静かな、朝方のことであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Forsaken Generation~セカイノサダメ<王都解放編> 月雲 @yueyun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ