第9話
野宿するときと同じ格好で寝ていたレイヤは、差し込んできた朝日に顔を照らされて目を覚ました。
朝の爽やかな空気を吸い込み、ひとつ伸びをする。――いい目覚めだ。
今日はこの村を発つ。幸い追っ手には追いつかれていないから、しばらく静かな旅が出来そうだ。
また一人の生活に戻る――当たり前のはずのそのことに思い至ると、何故か一抹の寂寥感を覚えた。しばらく瑠菜と一緒にいたせいだろう。まあじきに、その気持ちも薄れるだろうとレイヤは口元だけで笑う。やることがあるのだ。寂しさにかまけている暇は無い。
女性ばかりが眠る寝室に、男の自分が踏み込むわけにはいかない。一体どのタイミングで起き出していこうかと思案したそのときだった。
「お母さん! お母さん、目を開けて!」
瑠菜の、悲鳴にも似た声が静寂を裂いたのは。
「どうした、瑠菜?」
身を起こすと、レイヤは瑠菜たちがいるはずの寝所に踏み込んだ。
寝室と言ってもそんなに大きくない家のことだ、囲炉裏の奥に布団を敷いただけだったりする。
そこでは瑠菜と真鈴が、目を覚まさない母の身体にすがって泣きじゃくっていた。母の陽は、青白い顔に汗を浮かべていたが――娘達がすがりついているにも関わらず、目を開ける様子は全くなかった。
「瑠菜、真鈴。――手を尽くせないか、私がやってみる」
レイヤは躊躇わず、陽の額に手を当てた。――ものすごい熱だ。燃えるような熱さが、レイヤの掌に伝わってくる。手を握ってみると、額はあんなにも熱を持っていたにも関わらず、凍るように冷たかった。
これは、間に合うかどうか、相当危うい――自然と浮かんできた思考を打ち消す。瑠菜と真鈴は私に期待している。その期待を打ち砕くようなことをしてどうすると。
本人の回復力を促すよりは、私の体力を分けたほうが分があるだろう。レイヤは集中し、魔力を練り上げ左手を陽の額にかざした。
「我が活力、この者に分け与えよ……!」
唱えると同時に左手から銀の流れが生じ、レイヤの掌から陽へと光が流れ込んだ。光が流れ込むにつれ、陽の頬に赤みが差してくる。
「……瑠菜、真鈴……」
「お母さん!」
「母さん!」
光の流れが止まると同時に、陽の瞳が開かれた。優しげな目が、娘たちを見つめる。瑠菜と真鈴が母の手を取って喜ぶのをフードの陰から見届けて、レイヤは微笑んだ。――魔術の負担と体力を分け与えたことから襲いかかってくる目眩を、ぐっとこらえて。
「レイさん……母を助けてくださり、ありがとうございます。わたし、何とお礼を言えばいいのか」
「礼はいい。私がしたかったからしたまでのこと」
「母さんを助けてくれてありがとう! ……これが魔術なの?」
「そうだ。間に合って何よりだった」
額に汗しながら、レイヤは答える。……やはり、苦手な術の負担は軽くない。
「瑠菜、真鈴。……新しい水を汲んできてくれるかしら? 私は、大丈夫だから。レイさんに見ていていただくから……」
「はい、お母さん。行ってきます。――レイさん、母をお願いします」
「わかった、瑠菜。私が責任持って見ていよう」
「ありがとうございます。――行きましょ、真鈴」
「うん、瑠菜姉!」
瑠菜と真鈴が、桶を抱えて外に出ていくと沈黙が落ちた。
「……もう、大丈夫かしら」
呟くと、陽が寝床から身を起こした。身体を起こしてレイヤの方を、じっと見つめている。
「無理は良くない。瑠菜と真鈴が心配する。私に気遣いは無用だ、横になってくれ」
「そういうわけにはいきません。……レイさん、あなたが分け与えてくださった気力がもっている間に、私はあなたに頼み事をしなくてはなりません」
「私に、何か頼みがあるのか? ――聞こう」
陽の瞳は真剣だった。その眼差しにレイヤは自然と姿勢を正した。
「大事な娘の危機を助けていただいたばかりなのに、更に厚かましい頼みをしなくてはならないこと、本当に申し訳なく思います」
「それは構わない。何が望みだ?」
「術を使ってくださったレイさんにはもうおわかりでしょう。――私の生命は、もうそれほど長くはないということが」
――そんなことはない、とは言えなかった。
――それはまごうことなき、事実だったから。
「私自身の人生については、何の悔いもありません。愛する人と共に生きることができた、充実した人生でした。――心残りはただひとつ。瑠菜と真鈴の行く末です」
「そうか。それで――私に何を頼みたい?」
「瑠菜は今年で十四、真鈴はまだ十一……まだ庇護が必要な年齢です。ですがあの子達の父は既に亡く、今私もこの世を去ろうとしています。亡き夫の係累は既になく、私は元々この村の人間ではなく、この村にはあの子たちの後ろ盾になるものはありません」
瑠菜たちの母は、元々この村の人間ではなかったのか――レイヤは内心驚きを隠せなかった。と同時に理解した。それならば、このまま村に留まったとしても、両親のいなくなる瑠菜と真鈴のたどる運命は、決して良いものではないだろうことを。
「厚かましい頼みとは承知でお願い致します。レイさん、
「開斗か。確かアルンの港街の一つ、だったか。大きな街だと聞いているが」
「その街が私の故郷です。後で手紙を書きますから、開斗にある『
――レイヤはしばし考え込んだ。瑠菜と真鈴のことは心配だ。だがレイヤも追われる身だ。己と共に行動させては、かえって二人を危険に晒しはしないだろうかと。
――だが、最終的にレイヤは頷いた。
「あなたの心配はもっともだ。瑠菜と真鈴のことは承った。私でよければ、二人を無事送り届けよう。ただ――あなただけに打ち明けるが、私は事情あって追われる身だ。瑠菜と真鈴のことは精一杯守るが、決してこの旅は安全な道のりにはならない。それでも構わないのか」
「構いません。――この村に二人を留めるよりは、良いでしょうから。それにレイさん、あなたにも何かご事情があるのだろうということは、わかっていましたよ」
「そうだった、のか?」
「ええ。お顔を一度もお見せにならないし、あとはお育ちが良さそう。きっと本来ならば、私たちがお目にかかることはないような方なのではないかしら?」
正直、驚いた。たった一日話しただけで、レイヤのことをそこまで察していたとは。
「――その通りだ。素性の知れぬ男に大切な娘達を預けるのも不安だろう。あなたには、我が名と姿を知る権利があるように思える」
レイヤは被っていたフードを外した。銀髪がきらりと輝きを放つ。
「瑠菜と真鈴には黙っていてほしい。二人を危険に晒すのは本意ではない。私は北方大陸ネーヴェの王国、セヴァスラントの王子、レイヤ・カイン・セントディアだ。現在は理由あってこの通り、旅をしている」
「セヴァスラントの方なのですね。あの魔術王国の。……確か、お国が大変な状況なのでは? 私が開斗を出る前、そう聞いていました」
「いかにもその通りだ。未だ国は混迷の中にあり、私はこうして外にいる。……姉を犠牲にして、な」
「そのような大変な状況で、娘達のことを引き受けてくださったこと、どれほど感謝しても足りません。――お姿をお隠しください。そろそろ娘達が戻りましょう」
陽の言葉に甘えて、レイヤは元通りフードを被り直した。
「それでは今から手紙を書きます。少しお待ちを」
陽は立ち上がると、文箱を持ってきて開いた。そして墨をすると、すらすらと手紙を書き始める。
「ただいま、母さん!」
「お母さん、今戻ったわ。……あれ、手紙? どうしたの?」
「瑠菜、真鈴。話があります。水を水瓶に入れてきたら、こちらにいらっしゃい」
瑠菜と真鈴が一所懸命働くのを、レイヤは見やる。
もう一緒に旅をすることは無いと思っていたが――
思わぬ展開に驚きながらも、何故か胸の中に温かいものが広がってくるような感覚を、レイヤは覚えていたのであった。
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